Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … ·...

14
Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 方に Author(s) 清水, 純夫 Citation [岐阜大学教養部研究報告] vol.[20] p.[143]-[155] Issue Date 1984 Rights Version 岐阜大学教養部ドイツ語研究室 (Faculty of General Education, Gifu University) URL http://hdl.handle.net/20.500.12099/47562 ※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。

Transcript of Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … ·...

Page 1: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼方に

Author(s) 清水, 純夫

Citation [岐阜大学教養部研究報告] vol.[20] p.[143]-[155]

Issue Date 1984

Rights

Version 岐阜大学教養部ドイツ語研究室 (Faculty of GeneralEducation, Gifu University)

URL http://hdl.handle.net/20.500.12099/47562

※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。

Page 2: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

143

『ヴィルヘルム ・マイスターの修業時代』

塔の結社の彼方に

清 水 純 夫

岐阜大学教養部 ドイ ツ語研究室

(1984年10月12日受理)

1

『ヴィルヘルム ・ マイスターの修業時代』 は, 俳優になって舞台に立つこ とをめざしたヴ

ィルヘルム ・ マイスター (以下ヴィルヘルムと略す) がさまざまな迷誤を経ながらも塔の結

社の導きによって教養を積み, やがて社会の有用な一員へと成長してい く過程を描いた教養

小説と これまで言われてきた。 しかし最近になってこの定説にも異論が唱えられ始めた。 た

とえば Blessinは, 「「修業時代」 は教養小説ではあるが, 主人公は何も学びはしないJ 「ヴ

ィルヘル。ムは経験を積みはするが, ……しかし彼は行為に導 く よ うなどんな認識にも到達し

ない。(1)」 と主張し, また Sagmoは, 「……だから小説のおわりでもヴィルヘルムは自分の

洞察力に自信も持てなければ自分自身の力に確信も持てず, 気持ちが充たされてはいない。

反対に彼は自分自身の人生を何ともできないとい う無力から絶望にとらわれる丿)」 と述べて

いる。 これらはいずれもヴィルヘルムとそ して間接的にではあるが塔の結社をも否定的にと

らえてお り, 従来の見解とは大分異なるものである。 それゆえこ ういった見解が出て来た以

上, ヴィルヘルムと塔の結社を改めて検討し直してみる必要があるよ うに思われる。

また, 実の妹と愛し合い交おった竪琴弾きの老人やその間にできた子 ミニョ ンについては,

運命に呪われ, 狂気にと らわれ, 生の暗い非合理な世界に生きる悲劇的人物とい う解釈が一

般になされている。 た とえば著名なゲーテ研究家 4氏は次のよ うに述べてい る。 まずGun-

dorfによると, 「竪琴弾きと ミニョ ンの歌は全ての制約が初めて造られるところの深淵から,

そしてそこから身分, 性格, 形象が養分を得ると ころの運命, 魂, 自然の混沌から響いて く

る原音であるJ そして老人の歌については, Gundorfはイフ ィ ゲーニエの歌を引き合いに出

して, 「……それは空し く存在の意味, 信仰への勇気を求め, 自分が呪われているこ とを知っ

てはいるが, 自分の中に呪いのいかなる起源も救済も見い出しえない高貴な魂の最も率直な

最も完全な嘆きである。 それは苦悩によって世界の意味がわからな く なってしまった高貴な

精神の嘆きである。 (3)」 という。 Staiger は, 「竪琴弾きは悲劇的漂泊の化身となる。 彼はヴィ

ルヘルム ・ マイスターの信念の影の部分であ り, 人間の上を不確かに漂 う運命への暗い警告

であり, 魂の深みにまどろむ運命の不安が現身となってあらわれたもののように思われる昌

と述べている。 Trunz は, 「啓蒙や教育を信じる18世紀の明る く澄んだ像に暗黒もまた入 り

こんで きた。 マ リアーネの死, アウレーリエの死。 そして何よりも ミニョ ンと竪琴弾きの姿

と運命。 何十年も人々は合理主義に慣れ親しんできた。 深淵をのぞき見る何人かの者がデモ

ーニッシュな敵対的な力を予感し始めた。 シュ ト ゥルム ・ ウソ ト ・ ト ランク以来のゲーテが

そうであるよ5)」 と, そして Reissは, 「ヴィルヘルムにとって竪琴弾きは非合理的な諸力の

象徴と なる。(6)」 と主張する。

しかし, この4氏のように彼らの苦悩に深 く立ち入ることな く , いたずらに苦悩を絶対化

Page 3: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

清 水 純 夫144

して彼らを言わば生の不条理の象徴に祭 り上げるのではな く , むしろその苦悩と時代との関

係を明らかにする作業をまず我々ぱしなければならないのではあるまいか。 その上ではじめ

てその苦悩が絶対に解決不可能なものなのか, それと も時代の客観的条件に規定されたとこ

ろの本来は解決可能なものなのかの結論を我々は下しえるのではないだろ うか。

しかも運命については竪琴弾きの老人ばかりでな く , ヴィルヘルムや塔の結社にとっても

作品の中で重要な意味を もっている。 ヴィ ルヘルムの独白や塔の結社と彼との会話の中に頻

繁に運命とい う言葉が使われることからそれがわかる。 そこで本論文では運命をめぐる問題

を考察するこ とから出発して, ヴィルヘルム, 塔の結社, そして竪琴弾きの老人の本質に迫

っていきたい と思 う。

2

運命 と並んでこの作品の中でよ く使われる言葉に偶然, 必然, 理性がある。 これらはいず

れもお互いに深い関係のある言葉であるが, 何故こ ういった言葉がよ く使われているのか,

それは取 りも直さずゲーテが当時これらの言葉に強い関心を抱いていた こ とを示しているの

であろ うが, 何故ゲーテにとって, そ してまたこの作品を受け入れた読者にとってそ うであ

ったのか, このあた りの事情から考えてみよ う。

まず作品の成立史であるが, 当初, 『ヴィルヘルム ・ マイスターの演劇的使命』 とい う タイ

トルで1785年に第六巻まで書き上げたと ころで中断していたゲーテは,・ その後, 内容をかな

り修正し, 新たに第七巻, 第八巻を付け加え, 『ヴィルヘルム ・ マイスタ ーの修業時代』 とし

て1796年にこの作品を完成した。

『演劇的使命』 では塔の結社は登場しないし, ミニョ ンと竪琴弾きの老人の素性も明らか

にされないままである。 またヴィルヘルムについては, 彼が演劇家になるところで作品は終

ってし ま う。 と ころが 『修業時代』 では, 旅の芝居一座と行動を共にし, やがては演劇家に

なろ う と考えているヴィルヘノレムに塔の結社はそれとな く接触し, 彼を指導することで演劇

へり迷いから彼を救い出し, 塔の結社のメ ンバーに加えるとなっている。 そして社会の有用

な一員と して活動に携わる決心を したヴィルヘルムが同じメ ンバーのナターリエと婚約する

と ころで作品は終る。 演劇家になるこ とを断念し, 塔の結社のメ ンバーに加わるこ との描か

れてしヽ る部分が後に書き加えられた第七巻, 第八巻である。 しかもここで初めて ミニョ ンと

老人が親子で, しかもに ヨソは近親相姦の結果生まれた子分あるとい う こ と も明らかにされ

るし, 2人がいずれも死ぬのもこの箇所である。 このように第七巻, 第八巻はヴィルヘルム,

塔の結社, 老人, そして ミニョ ンのいずれにとっても最も重要な箇所である。 それゆえ, ま

た運命, 偶然などの先の言葉にゲーテが強 く関心を抱 く よ うになったのもこの第七巻, 第八

巻が書かれた1785年から1796年の間とい う こ とになろ う。 運命などへのゲーテの関心はこの

時期の歴史的状況や雰囲気と密接不可分に結びついていると思われるのでまずそれを考察し

てみよ う。

何と言っても当時の最大の事件は1789年フランスに起こった革命であった。 人々は自由,

平等を合言葉に理性の王国を建設しよ う と した。 ドイ ツでも多 く の知識人が熱烈にこの革命

を支持した。 しかしやがて革命の影響はドイツにも及び始めた。 たとえば革命の勃発以来多

くの難民が ドイ ツに次々と流れこんで国内は騒然と していた。 また革命を失敗させよ う とし

て1792年にオース ト リア ・ プロイセン連合軍がフランスに軍隊を進めたが, ヴァル ミーで連

合軍はフ ランス軍に敗れ, 敗退を余儀無 く された。 この戦いにはゲーテも加わっていた丿こ

の地から, そ して今日から世界史の新しい時代が始まるのだ。 そ してあなた方はそこに居合

Page 4: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

『ヴィルヘルム ・ マイスターの修業時代』 145

わせたと言うことができるのだ。町 という 有名な台詞も連合軍の敗北を 目の当りにした時に

言われた ものであ り, ゲ¬ テがいかに強い印象を この戦いから受けたかがわかる。

こ う して革命は ドイ ツ国内を も戦乱に巻 き込んでい く のであるが, 間もな く王侯貴族の処

刑ばか りでな く , 革命派の中の矛盾の激化に伴ないテ ロや粛正が強行されるに及んで, 啓蒙

主義以来の理性に対する幻滅が人々を襲った。 革命を讃美した ドイ ツの知識人の多く は革命

に背を向けた。 革命はもはや理性とは無縁な呪わしい偶然, 運命 と思われたのである。

七かも一方ではますます資本主義化が進み, 昔ながらの生活様式が破壊されてい く 。 農業

改良によって昔の自給自足経済から剰余生産物を商品と して売る余裕がで きた農村工業は,

問屋制商業資本と結びつ く ことで急速に発展し, その結果市場経済が発展する。 当然ここで

は商人と農村生産者の利害の対立が起こる。 こ う し七市場経済が発展するに応 じて経済が偶

然に支配される度合が高まる。 これは需要 と供給の無政府性とい う資本主義の宿命的な矛盾

に由来するわけで, 偶然に支配される とい う意識が人々の頭の中に否応な しに大きな比重を

占めるようになる。 また金納化した地代を払えず, 先祖代々住み慣れた農村から引き離され

て労働者に転落してい く農民の数の急速な増加もこ ういった意識の蔓延に拍車をかけた。

このよ うに封建制から資本主義へ移 りつっ ある時代の激動の中で, 何もかも動揺しはじめ,

自分の存立基盤も脅かされているのを強 く 感 じ, しかも 自分の理性がそれに対 して無力であ

るのを痛感 した時, 人々が運命, 偶然に弄ばれるといった気持ちを強 く抱 く よ うになるのは

当然であろ う○ `

3

こ う した時代の雰囲気はヴィ ルヘルム, 塔の結社や竪琴弾きの老人たちの運命, 偶然に対

する見方にもそれぞれ独自のあらわれ方を している。 まずヴィ ルヘルムについて見てみよ う。

役者マ リアーネがパ ト ロンによって養われている身だと も知らず彼女に夢中になっている

ヴィ ルヘルムは, 「長いこ とそこから逃れたいと願っていた停滞し , 澱んだ市民生活から脱す

るために, マ リアーネを介して彼に手を差 しのべて く れる運命0 はっ き り と した合図がわか

るよう に思った。町 という表現からわかるように, 自分を運命0 寵児だと信じている。 こ う

した ヴィ ルヘルムの運命観は塔の結社の最初のメ ンバーとの会話にはっ き り示されている。

ヴィ ルヘルムは言 う。「私の最善のものを, そ して各人の最善0 ものの 1つを導 く こ とので き

る運命を私は崇拝します。勺 「ではあなたは運命を信じないのですか? 我々を支配し, 一切を

我々の最善となるように導くあの力を ? (lOり

彼のこの確信は, 彼がマ リアーネ宛に書かれたパ ト ロンの文を見つけて彼女に裏切られた

と思い, 失恋の痛手から病気にな り, 生死の境を さ迷った後でも なお, 健康の回復につれ運

命を 自分に都合のよいよ うに解釈させるよ 実家の商売上の仕事で旅立つヴィ ルヘルムの気持

ちは次のごと く である。「こんな具合にヴィ ルヘルムはしばら く の間大変生活に力を注ぎ, あ

の苛酷な試練も運命が彼の最善となるよ う手筈して くれたものだ とい う研信を抱いていた。

他の人たちが若いころの思い上がりによって犯した失敗を後にな って・ 一層ひどく償 う もので

あるのに, ヴィ ルヘルムはまこ とに不愉快な仕方ではあったが, 人生の途上, ち ょ う どよい

時期に戒めてもらったことを喜んだ。判

しかしマ リアーネはヴィ ルヘルムヘの愛に目覚めてからはパ ト ロンを拒絶 してお り, ヴィ

ルヘルムの行為は結局彼女の誠を踏みに じ る ものであった。 だか ら彼女と一緒になって こそ

彼は運命の寵児であるのにその正反対の道を歩みながらなお運命の寵児と思いこ も う とする

のは実に皮肉の極みである。 運命に好意を見よ う とするこ との愚かさをゲーテは示 している

Page 5: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

146 清 水 純 夫

のであろ う。 しかしそ う した事情を知る由もないヴィ ルヘルムは運命に翻弄されながら も依

然と して 自分に寄せる運命の好意を信じて疑わない。 このままでは運命に対する彼の受動的

な姿勢は変わるこ とがな く , 彼は際限な く運命に弄ばれるこ とであろ う。

ヴィ ルヘルムは救われるためには運命を克服しなければならない。 そのためにここで運命

を も う少し明確に規定してお ぐ必要がある。 塔の結社の先のメ ンバーは言 う。「またもや若い

人の口から運命という言葉を耳にするとは残念です。 その年齢では大抵は自分の強い愛着を

よ り高い存在の意志とす り替えるものですよ。 ……この世界という織物は必然と偶然からで

きています。 人間の理性がこの両者の間に入 り, それらを支配するこ とができるのですよ理

性は必然を 自分の存在の根拠と して扱い, 偶然を制御した り導いた り利用した りするこ とが

で きます。 理性が揺ぎない確固たるものと して立つ時にのみ, 人間は地上の神と呼ばれるに

値す るのです。 若いころから必然の中に任意を見い出そ う と した り, 偶然に一種の理性を帰

して, それに従 うのが宗教である とす ら思った りする者には困った ものです。 ……我々は深

く考える こ と もな くぶらぶら と暮らし, 偶然が心地よ く思われる時にこの身を任せ, ついに

はこ ういった不安定な生活の結果に神の摂理の名を与えて敬虔なつも りでいるのです丿」

塔の結社は必然と偶然並びに理性を重視してお り, 運命にはあま り重きを置いていないよ

うに思われる。 偶然と必然だけが存在するからには両者の関係は, 必然が偶然を介して現象

する とい う こ とになろ う。 そしてこの中間に理性が位置して偶然の背後に潜む必然を洞察す

る。 このよ うに理性を介してその都度何の意味もないよ うな偶然の出来事に必然を見て とれ

るよ うになるならば, もはや時代に盲 目的に流されるこ と もな く逆に先手を打つなどして積

極的に流れに対応してい く こ と もできるはずである。 こ こには運命とい う概念の入 り込む余

地はな く , 塔の結社がも と も と運命を 劃と もには認めていないのも も っ と も と思われる。 む

しろ運命は偶然に最も似ているとさ え言える。 塔の結社の二番 目のメ ンバーとの会話では次

の内容が述べられる。「運命は高貴な, しかし高 くつ く師匠です。 私はいつも人間である親方

の理性にむし ろすが りたいと思っています。 運命の知恵には私もあらゆる畏敬の念を抱いて

いますが, 運命は偶然とい うなかなか手に負えない器官を もっているら し く , この偶然を介

して作用するのです。 とい うのは運命が決定したこ とを偶然がそのとお り実行するこ とはめ

ったにないよう に思われるからです。 ……た とえば運命かおる人を偉大な画家になるように

定めた と仮定しまし ょ う。 と ころが偶然が勝手に彼の青春を汚れた小屋, 馬小屋, 納屋に押

し込めた とすると, こ うい う人がいつか魂の純潔, 高貴, 自由にまで高まるこ とがあると信

じることができますか? (?)

また ヴィ ルヘルムは塔の結社から修業証書を も ら う時にこ う独白する。「偶然の出来事が連

関しているのだろうか?そして我々が運命と呼ぶものは単に偶然にすぎないのだろうか?(14にのように運命という概念が塔の結社やヴィルヘルムにとっては限りなく偶然という概念に吸収され うるとい う こ とから, 結局彼らにと って重要なこ とは先に述べた偶然, 必然, 理

性だけ とい う こ とになる。 つま り必然と理性を武器にいかに偶然に翻弄されるこ とを克服す

るかとい う こ とが課題となる・。 そのため塔の結社は社会改革を実行しつつ, 同時に迷誤に囚

われてい る者を指導した り, 教育した りす る活動を行 う。 これは1783年に書かれた 『神性』

の理念の具体化 とみなす こ とがで きよ う。

なぜな ら 自然は

感 じ る心を持だない。

太陽は

Page 6: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

悪人に も善人にも光を恵み

月や星 は

罪人に も偉人にも

その輝 きを送 る。

147『ヴィ ルヘルム ・ ヤイスタ ーの修業時代』

風も水流も

雷も霞 も

己の道を音をたてて進み

通 りす ぎながら

無差別 に人を襲 う。

この 「人間」 とい う主語がこ こでは塔の結社となっているわけである。 塔の結社によって ,

自然界の偶然を克服し よ う とする。 すなわち塔の結社は理性を通して必然を洞察し, 時宜に

かなった対策を打ち立て, 場合によっては必要な社会改革を断行するこ とで偶然を克服し よ

う とす るのであ る。 その基本的な姿勢は革命などが起きざるをえない客観的条件を取 り除 く

ことと(1卜万一起きた場合を考えてあらかじめ対応策を考えておく という 2つに大別できる。

前者については塔の結社の中で最も改革に熱心な ロタ ー リオは言 う。「私がはっ き り と展望 し

ている こ とは, 自分の領地を経営してい く にあた り多 く の点で農民の夫役が必要不可欠のも

のだ とい うごとや, ある種の権利は厳格に守っていかざるをえないとい う ことです。 しかし

また他の権能で なるほど私に利益を もた ら しはす るが無 く ては全 く 困るとい う もので もな く ,

その一部は農民に分け与える こ と もで きる ものがある とい う こ と もわかっています。 無しで

す ま し て も失 う と は限 り ません。 私は父よ り も領地をはるかに うま く利用しているではあ

りませんか? 収入はもっ と増加してい く こ とで し ょ う。 それなのに脹らんだ利益を私 1人が

享受すべきで し ょ うか? 私と一緒に, 私のために働いて く れる人にも知識の拡大や時代の進

歩がもたらす利益を彼の財産として分け与えるべきではないでし ょうか? (?)

また領地と課税については, 「国家に対して当然の責務を支払わないよ うな所有は全 く合法

的である, 全 く 清浄であるとは思えないのです。町 とロターリオは述べて, 土地を課税地に

すべきだ とい う考えを示す丿国家は正当な規則正しい租税 と引き換えに愚かな世襲領地制度

を廃止して, 我 々が領地を 自由に処分できるよ うにすべきです。 そ うすれば我々は領地を大

きな塊のまま維持する必要はな く なるし, それを子供たちによ り公平に分配してやるこ とが

彼だけが

善人に報い

悪人を罰し

矯正 し救い

迷いさ まよ う全ての者を

有用な形で結びつけることができるざ

ただ人 間だけが

不可能 を可能にす る。

彼は区別し

選びそ して裁 く。

Page 7: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

清 水 純 夫148

で きます。 彼らはみな生き生きとした 自由な活動をするこ とで し ょ う。 制限された り制限し

た りする特権を譲る必要もな く なるから, これまでのようにその特権を享受するために先祖

の霊を呼び出すようなこともなくなるのです。町

このよ うに課税と引き換えに土地を封建的な束縛から解放し, 経営を改善することによっ

て利益を増大させ, それをみんなに還元するとい うのがロターリオの改革の内容である。 こ

こには自分の利益の追求が同時に万人に利益と幸福を もた ら し う ると考えるアダム ・ ス ミス

的な楽天主義が貫いているCレ

また後者については, ヤルノーがヴィルヘルムに語る次の言葉の中に明瞭に示ざれている。

「ち ょっ とでも世界の出来事に目を向ければ, 我々が大変革に直面しているこ と, 私有財産

がほとんどどこでも もはや安全ではないとい う こ とに気が付 く はずです。 ……目下の情勢で

はただ1ヶ所に土地を所有したり, ただ1つの場所にお金を預けておく という二と呼決して得策とは言えないのです。 けれども多 くの場所でそれを監視するのもまた困難です。 それゆ

え我々は少し違った こ とを考え出し ま した。 我々の古い塔から結社を発足させるのです。 そ

の結社は世界のあらゆる部分に広がる し, 世界のあらゆる部分から結社に加入できます。 我

夕は国家革命が誰それの財産を全部奪 うとい うたた 1つの場合に限 り, お互いに我々の生存

を保証し合うのです。ツ」

このよ うにフランス革命から教訓と して引き出された私有財産を守る対策が塔の結社のも

う 1つの大きな柱となっているのである。 こ う して万一の革命に備え, 革命の全 く起きる必

要のない豊かな社会建設に取 り組みつつ, 塔の結社はその社会の要請に応えうる人間造りに

も力を注いでいる。 ロタ ー リオの恋人テレーゼが子供たちに対する教育活動を行っているの

もその良き例である。 その教育の仕方は, 「洞察, 秩序, 規律, 命令, それが私の専門です。町

というテ レーゼ自身の言葉が示しているよ うに, 有能な労働者を育て上げるためにかな り厳

しいものであることを うかがわせる。 また塔の結社の修業証書には丿人類は万人から。成り立

ち, その全ての力が集まって世界を成す。(勺 と書かれている。 あるいはヤルノーは次のよう

に言っている。「世間に出たばかりの人間が自分を過信して, 多 く の美点を身につけよ うと し

た り, あ らゆるこ とを可能にしよう と試みるのは結構だが, しかしその人の教養がある段階

に達したらもっ と大きな集団に身を投げて, 他人のために生き, 義務的な活動で我を忘れる

とい う こ とを学ぶのが有益です。 その時はじめて自分とい う ものがわかるのです。 なぜなら

行為することはもともと我々を他人と比較することだからです。ツ」

これらの言葉に共通していることは, 個人は全体の一部であることを自覚して有用な構成

員となるべきだとい う こ とである。 具体的には, 1つの専門を身につけるこ とであ り, この

理念に従ってヴィルヘルム自身後には外科医になるのである。 ここには資本主義の浸透につ

れて分業が進み, マニュフ ァ クチュアなどによってさ らにそれがエスカ レー ト しつつある時

代においては, 人間も傑出した天才的な人よ りはむしろ全体の一部を構成すると ころの 1つ

の専門を身につけた人が求められる とい う事情が反映している。

以上のことから明らかなよ うに, 理性による必然の洞察に基づいて社会改革と教育活動を

行うことで偶然を克服しよ う とする塔の結社は, まさに先の 『神性』 の精神をよ り具体化し

たものであると言える。 そ してヴィルヘルムもそのダンパーになるこ とで根拠のない運命楽

天主義を克服し, さ らに偶然を も克服するこ とが可能となったわげである。 だが, 実はここ

に大きな落し穴があったのである。 竪琴弾きの老人の件を通してそれを明らかにしていこ う。

Page 8: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

4

塔の結社のよ うに必然と理性によって偶然を克服し よ う とするのとは対照的に, この竪琴

弾きの老人はも と も と瞑想的な人間で, 以前は牧師になるべ く僧院にいた。 宗教にすがる彼

の姿勢はいわば偶然に翻弄されるこ とから救われるために神的な絶対者を求める ロマン主義

の1つの典型であろ う。 その点では第六巻の 『美し き魂の告白』 の女性と よ く似ている。 こ

ういう人間は神を信じている うちは確かに内面的に安らぎが与えられ救われるであろ うが,

ひとたび思わぬ偶然によって不幸に見舞われた時, それを単なる偶然による不幸 とみなさず,

むしろそれを神の意志による運命とみなして限 りない絶望にと らわれる危険がある。 竪琴弾

きの老人の場合がまさ にそれである。

老人は自分が心の底から深 く愛した女性が実の妹であると知った時, 幸福の絶頂から奈落

の底に突き落された。 近親相姦とい う許されざる罪を犯した老人はそれを単なる偶然ではな

く , 神の意志による運命とみなす。 神の恐ろ しさを思い知らされ, 呪いと罪の意識によって

彼は半狂乱とな り, 孤独な放浪の人生をあて もな く さ迷 う こ とになる。 老人の歌にその気持

ちがよ く あ らわれている。

149『ヴィ ルヘルム ・ マイスタ ーの修業時代』

彼はまた次のよ うにも言っている。「私を追って来る復讐は地上の裁判官のではあ りません。

私は仮借なき運命の手に委ねられているのです。 留ま りた くて もその力もなければ, また許

されも しないのです。 ……私の不幸の霊はゆっ く りと私の後を追って来て, 私が横になって

休も う とすると姿をあらわすので, その霊に追いつかれまいとすればいつで も逃げる体勢で

いなければならないの七す。勺「前も後も何も見えません6果てしない闇があるだけです。 こ

の中で は世にも恐ろ しい孤独に苛まれます。 残された感情といえば私の罪の感情だけです。

この罪も遠くの奇怪な妖怪のようにわずかに背中を見せているだけなのです。 しばしば私は

この冷た さ に耐えられな く なって激し く 永遠 / 永遠 / と叫んでみますが, この不思議で不可

解な言葉も私の状態の暗黒に比べれば明る く澄んでいます。 一筋の神の光も この闇の中には

さし込みません。(?)

このよ うに天の力の残酷さをいわば告発す る老人はヴィ ルヘルムの以前の運命楽天主義と

は正反対である。 老人の苦悩は, 神々の呪いによ り母親殺 しをせざるを えなかった 『イ フ ィ

ゲーニエ』 の中のオレス トと よ く似ている。 オレス トもその後, 老人同様, 復讐の女神フー

リ エた ちに追われている とい う強迫観念に悩まされ, 狂乱するが, ついにはイ フ ィ ゲーニエ

を通じ て 「純粋人間性」 に目覚め, そして 自立した人間と して神々の不正を糾弾しつつ, 『神

性』 の理念にのっ とった積極的な行動の中に彼の過去の罪の償しヽ を し よ う と決意して, と う

お前たちは我らを生に引き入れ

憐れな者を罪人と成し

苦痛に委ねる。

いかなる罪も地上にて報いを受けるがゆえに。

泣きながらパソを食べたこ とのない者や

悩み多き夜をベ ッ ドの上で

泣き明かしたこ とのない者は

お前たち天の力を知 らない。

Page 9: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

150 清 水 純 夫

と う運命の呪いを克服する≒ ところが老人の場合はオレス トとは全く違う。 わずかにヴィル

ヘルムが手を差 し伸べるだけで, 塔の結社はほとんど彼を相手にしない。 だから彼はオレス

トとは違って 「純粋人間性」 に目覚める契機も与えられなげれば, 自立した人間と して, 近

親相姦を偶然の出来事と して神から切 り離して, 積極的な活動の中に罪の償いと苦悩の克服

を追求すること もできないのである。 しかも塔の結社は, 彼の近親相姦の件を詳述した極秘

記録を彼に読まれるとい う ミスを犯すこ とによって, 彼を自殺に追いこんでし ま うのである。

何故, 老人はオレス トのよ うには救われないのか。 また何故, 塔の結社は老人を救お う と し

ないの力‰

『イフ ィゲーニエ』 が最終的に完成されたのが17’87年,つ『修業時代』 は1796年に完成だから,

この間 9年が経過している。 この9年間は先に論じたよ うに, フランス革命を頂点と した歴

∧史上でも稀な激動期であった。 自由, 平等を合言葉に理性の王国を築こ う と した革命は, 蓋

をあけてみたら結局はブルジ ョブジーの王国にすぎなかった。 革命主体の側におけるブルジ

ョアジーと労働者 ・農民の間の矛盾は間も無 く テ ロや恐怖政治といった形で吹き出て く る。

彼らの間の階級対立が激化したわけである。 こ う して, 同じスローガンの下, 一致団結して

|日体制を打倒しよ う と した革命主体の側か実は一枚岩でぱな く , 階級対立を内に孕んだ敵同

志であったとい う こ と, これは 『神性』 の 「人間」 とい う概念にも疑問を投げかけずにはお

かない。 実際, ゲーテが 「人間」 と言 う場合には, 『神性』 や塔の結社からわかるよ うに当然

その中には貴族, ブルジ ョアジー, 市民, 労働者, 農民など全ての階級 ・階層を含んだいわ

ば人類一般をさ していた。 しかしながら, フ ランス革命の階級構造をた とえゲーテがはっき

り理解していな く ても, 少 く ともその後の革命の経過から, 『神性』 の 「人間」 の中の階級的

矛盾がもはや無視しえないものに脹れ上がり, 『神性』 の理念にのっ とったオレス トの救済に

ゲーテが疑問を抱き始めていたこ とは十分推測できる。

また塔の結社についても, それが完全に肯定されるべき結社であるのか, 矛盾は内在しな

いのかを も う一度検討し直してみる必要がある。 そこでまず想起しなければならないのが先

に引用した次の文章である。「私かはっきりと展望づ いることは・ 自分の領地を経営してい く にあた り多 く の点で農民め夫役が必要不可欠なものだとい う こ とや, ある種の権利

は厳格に守っていかざるをえないとい う こ とです9」 こ こでは農民の夫役は必要不可欠なもの

と七て肯定されている。 利益の増大に伴い農民への配分を増やすことに吝かではない娯, 口

ターリオたちは制度の大枠は全然変えよ う とはしない。 つま り, やがて政治的に大きな課題

となる農民解旋牡彼らは極めて消極的なのである。もっとはっきり言えば, 彼らの改革は依

然として搾取される階級の存在を前提にした改革なのである。 それゆえロターリオたちの土

地改革は, 封建的支配関係を事実上温存しながらも土地の自由な分割, 投機などを通して利

潤を高めるとい ういわば資本主義化を進めるこ とに他ならない。

一方, 都市商業資本を代表するヴェルナー ( ヴィルヘルムの妹婿で幼馴染) の資本に対す

る見方は, ヴィルヘルムに向かって話す彼の次の言葉のうちに示されている丿死んだ資本を

抱えていても何も うれし くはない。勺「ある非常に肥沃な地方に差押えになっている大きな土

地があるのだ。 お父上の家を売った金をそれに充てる。 一部は貸し付け, 一部は寝かせてお

く。 だから君 ( ヴィルヘルムー 訳者注) がそこへ行って改良を監督して くれるとあ りがた

いのだが。 要するに, そ うなれば土地は数年のうちに% ほど値上がりする。 そこで再び売っ

て, もっ と大きな土地を買い, 改良してまた売るのだ丿」

このよ うに土地を資本と して有効に利用し よう とい う点で ロターリオもヴェルナーも共通

している。 従って, ロタ ー リオがヴェルナーのよ うなブルジ ョ アジーと協力するのは当然の

Page 10: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

『ヴィルヘルム ・ マイスタ ーの修業時代』 ! 51

帰結である。 売 りに出されている近所の土地を購入する際, ロタ ーリオが競争相手であるヴ

ェルナーと張 り合 う こ とを避け, むしろ安 く手に入れるために協定を結ぼう とするのはその

典型であろう呪

またテレーゼの教育方針も有能な労働者を育て上げる厳しいものであったが, しかし果し

てこの教育方針は本当に賞讃されるべきものだろ うか。 テレーゼはナターリエに言う。 「『も

し私たちが人間とは今のまま変わらないものだと考えるなら, 私たちは人間をもっ と駄目に

してしまうでし ょ う。 も し私たちが人間を理想的な人間であるかのよ うに扱 うならば, 私た

ちはその人間をその水準にまで高めることができるのです。』, こ うあなたはおっ し ゃいまし

たわね。 私には残念ながらそ ういった見方や扱いができません。 それはよ く心得ています。

……ヤルノーさんがこ う言われたことを私は今でもよく覚えています。『テレーゼさんは生徒

を鍛え上げるが, ナタ ーリエさんは生徒を造 り上げる。』ヤルノ ーさんはそればかりか私には

信頼, 愛情↓希望とい う 3つの美しい性質が欠けているといつかおっ しゃいました。 彼によ

れば私は信頼のかわ りに洞察を, 愛情のかわ りに忍耐を, 希望のかわ りに信用を もっている

のだそ うです。 あなたに喜んで告白しますが, あなたと知 り合いになる以前は, 私は世の中

に明晰と賢明以上のものを知 りませんで した。 あなたの存在によって私は説得され, 鼓舞さ

れ, 打ち負かされたのです。 あなたの美しい, 気高い魂比は喜んで降参致しますわ。町

現実め要請に応えるべ く規律と抑圧で徹底的に人間を鍛え上げるテレr- ゼの合理的な冷た

い教育は, 人間の理性と感情の内面的調和, 内面的救済をめざす真の教育などとは無縁であ

る。 つま り 『イ フ ィ ゲーニエ』 の 「純粋人間性」 はこの教育からは育だないのである。 それ

ゆえテ レーゼには竪琴弾きの老人や ミニョ ンを救 う力は無い。 それどころか反対に, 皮肉に

も彼女自身がヴィルヘルムに対する激情にと らわれて彼を抱擁した時に, その光景を 目撃し

た ミニョ ンは心臓麻庫でショ ック死するということから, 彼女は間接的にミニョ ンを殺すこ

とになる。 このこ とは人間の内面的調和をつ く り上げるこ とが不可能とい うテレーゼの教育

の限界をテレーゼ自身を通じて象徴的に暗示している。

それゆえ, テレーゼに代表される塔の結社の教育活動では社会の排他的な競争によってま

すます人間性を失い, 奇形化する傾向を押し と どめるこ とはできない。 こう いった人間の典

型をヴィルヘルムは役者に認める。 彼は役者について丿誰もが第一人者に成りたがるばかり

でな く , 唯一の者に成 りたがるのです。 誰もが他の全ての者を排除したがるが, 自分がそれ

らの人と一緒ですらほとんど何もできないこ とがわかっていないのです。 誰もが自分こそ素

晴し く 独創的であると自惚れていながら, 旧套を一歩も踏み出すごとができないのです。 そ

れにもかかわらず新しいものを求めていつも落ち着かないのです。 何と激し く彼らは互いに

衝突し合っているこ とで し ょ う。 お互いを結びつけているのは実にけち く さい利己心と偏狭

な我欲なのです。 相手を思いやる気持ちなどは全 く無いのです。 永遠の不信が密かな策略と

破廉恥な話によって養われますご)」 と述べるが, ヤルノ ーはそれに応えて, ( あなたが描い

たのは劇壇というより世間一般のことですよぷ)」 と言う。 ヤルノーは社会の非人間化を認識

しているのである。 しかし同時に彼自身, 老人や ミ三ヨ ソを毛嫌いしている9ことにみられる

ごと く , 社会の要請に応えるこ とのできない人間に温い救いの手を差し伸べよう とはしない。

このこ とはヤルノー自身の非人間性を物語っている。

ところで塔の結社そのものは当時流行のフ リーメ ーソンをモデルにしているこ とは広 く指

摘されているとおりである。 ヴァイマルでは大公母がこの会の中心となっており, ゲーテも1780

年に入会して翌々年にはマイスターに昇格した。 しかしこの年に大公母は故あって会を閉鎖

Page 11: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

152 清 水 純 夫

しだ7ムゲーテは後にだんだん会に批判的になり, 1789年には, 「御存知のようにイェーナはフ

りーメ ーソンの脅威にさ らされていました。 ……あなたが ( カール ・ アウグス ト公一 訳者

注) ペル ト ゥーフ ( ヴァイマルの文人一 訳者注) に説明なさろ う とするのは大変望まし く

思われますし, 一同の者に秘密結社の不埓な所業を読ませよう というお考えは結構だと思い

ます。 私は文芸新聞の主事にあなたも受け入れられた提案を しました。 それによって全ての

秘密結社はかなりの打撃を受けます。(勺と, そして1807年には, 「フ リーノーソソは相変らず

です。 フ リーメーソンがいったん導入されると政府はそれを支配した り無害にしよ う とする

でし ょ う。 それがまだ存在しないところへ導入しよう とすることは決して得策ではあ りませ

ん。 ……ここヴァイマルでは我々はフ リーメ ーソンを全 く必要と しませんし, 上述の, ある

いは他のいろいろな理由からイェーナにとってはそれは危険だと思います。町 とさえ言って

いる。 こ ういった事情からも, ゲーテが塔の結社を冷やかに見ていることがわかる。

以上のことから塔の結社の本質をすでに我々ははっき りと断定できるであろ う。 つま り,

ブルジ ョ アジーと協力するこ とで封建主義の枠組の中で資本主義化を促進し, それに必要な

有能な労働者を供給するこ と。 一方では農民の完全な解放には反対して, 依然とし七被搾取階

級を存在させること。 社会に役立たない無用な人間は切 り捨てること。 これが 『神性』の「人

間」 が13年後に塔の結社として行う内容なのである。 もちろんゲーテがこ ういった階級的視

点を持っていた と判断するのは行きすぎであろ う。 しかし明確に理解していな く ても漠然と

それを予感し, 作品の中に結果的に塔の結社の矛盾を到る所描き出した ところにゲーテの先

見性を認めないわけにはいかない。 そしてその矛盾の最たるものが竪琴弾きの老人と ミニョ

ンを塔の結社が救 うこ とができず, むしろ殺してしま う とい う事実である。

5

こ う し て竪琴弾きの老人の件を通七て, 塔の結社の否定面を我々は明らかにするこ とがで

きた。 この結社の一員となったヴィルヘルムには老人や ミニョ ンを死から救 う力が無いのは

当然であろ う。 老人や ミ4 ヨ ソの救いは, 塔の結社の彼方の, すなわち封建主義や資本主義

の彼方の人間の内面的調和と専門能力が真に調和し うる世界に委ねられることになる。 こ う

いう世界はいかにしたら可能であろ うか。

ゲーデは生産力の発展が人々の幸福につながると確信していた。 メ フ ィ ス トと最後までフ

ァウス トが手を切らなかったのも, メ フ ィ ス トの魔力による生産力の発展が必要だ とフ ァ ウ

ス トが考えていたからに他ならないごそのためには塔の結社による土地改革も一定程度は

やむを得ないとゲーテが判断したのも うなずけよう。 だが他ならぬ塔の結社のナターリエが

まさに塔の結社の限界を乗 り越えて行 く こ とを我々に予感させる。 これは先に引用した彼女

の教育方針が, テレーゼのそれとは違って, むしろ 「純粋人間性」 を造 り上げるものと考え

られるからである。 また彼女自身の内面性は, 「ナターリエは生きている限り幸せだと賞讃

されるこ とだろ う。 とい うのは彼女の天性は世間が望み, 必要とするもの以外は何も要求し

ないのだから。(町 という彼女の叔父の言葉からわかるように, いわば欲するところに従って

法を越えずとい う理性と欲望が完全に調和したものである。 資本主義的分業が強いる人間の

一面化や奇形化とは全 く違った豊かな人間性, これはゲーテが塔の結社の彼方に, 大き く発

展した生産力の上に夢見た理想社会の人間像ではなかろ うか。 幸いなこ とに, ヴ ィ ルヘル

ムも塔の結社のメ ンバーに成 りながら塔の結社の指導や教育は彼にはあまり効を奏さなかっ

たよ うである。 ヴェルナーと と もに土地を手に入れたヴィルヘルムは, 「ヴィルヘルムは息子

のフ ェー リクスをそばから離さ なかった。 そ して この児のためにこれから手に入れる土地を

Page 12: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

『ヴィルヘルム ・ マイスターの修業時代』 153

大層喜んだ。 やがて熟するはずの桜桃や苛を子供が欲しがる様子は彼に自分の青春時代を想

起させ, また子供たちに楽しみを用意し, 与 え, 保持するとい う父親のさまざまな義務を想

起させた。 何とい う関心を持って彼は苗木仕立場や建物を眺めたこ とだろ う / ……これから

設けよ う とする全てのものは子供と と もに成長して行 くべきものであ り, 築き上げた全ての

ものは数代にわたって引き継がれ。ていくべきものであった。町 ことから, 彼には土地を資本

として利用する意図などはさ らに無 く , ただ土地を子供と と もに享受したいとい う貴族趣味

があるのみであるこ とがわかる。 冒頭に紹介 した Blessinや Sagmoの見解もこのよ うに見

て く る と妥当な ものと言 う こ とがで きよ う。 ヴィルヘルムは塔の結社の教育にもかかわらず

一向にブルジ ョ ア化していないのである。 そ してこのこ との中に我々は, ヴィルヘルムを塔

の結社に染まらせるよ りはむしろさ らにしばし迷わせて, ナターリエに高い次元の指導を託

そ う とい うゲーテの意図を見い出しえるのではなかろ うか。 この意図は, ヴィルヘルムは初

めは子供のためにテレーゼと結婚しよ う と決心するが, その後め成り行きでテレーゼはロタ

ーリオと, そ してヴィルヘルムはナター リエ と婚約するとい う こ とにも読み取れると思う。

ヴィルヘルムは塔の結社よ りも高い次元で努力し迷 う。 その彼をナターリエが救 う。 いか

にもフ ァ ウス トの救済のモチーフ と重なるよ うである。 ただ舞台が天国ではな く アメ リカ と

なっているのではあるが。 いずれにしてもゲーテ時代の ドイ ツでは残念ながら救済の実現は

不可能だから, ゲーテは天国やアノ リカ とい う他の舞台にその後の救いを託さざるを得なか

った。 しかし これまで述べてきたこ とから時代の持つ階級的矛盾がヴィルヘルム, 竪琴弾き

の老人, ミニョ ンの救いを不可能にしている こ とが明らかになった以上, その矛盾が取 り除

かれた社会, そ してそれは紛れもな く可能なのだが, その社会において初めてナターリエの

ヒューマニズムによる救いが実現し うるのである。 そしてその時こそ老人や ミニ ョ ンが救わ

れるこ と も可能なのである。

さて, 本論をまとめよ う。 ゲーテは塔の結社が, 運命からの救済とい う形で象徴されるよ

うに, 人類を救いえるとの希望を抱 く一方, それが幻想にすぎないかも しれないとい う予感

を竪琴弾きの老人の死と ミニョ ンの死とい う形で表現した。 塔の結社の階級的性格を認識す

るこ とはゲーテには不可能だったであろ う。 全ての階級の利益になるとい う こ と, 全ての階

級の幸福になるとい う こ とは本来あ りえないのである。 塔の結社のめざす利益は結局支配階

級の利益, すなわち封建勢力とブルジ ョアジーの利益であった。 こ ういった点でゲーテの認

識は確かに限界を持っていた。 しかしそれに もかかわらずゲーテがナタ ーリエを介して提起

した理想的人間教育は, 当時まだ現実的な力 とは成りえなかったが, これこそ資本主義の奇

形化した人間とは全 く対照的な豊かな調和 した人間を造 り上げるものであ り, 竪琴弾きの老

人と ミ ニョ ンをその苦悩から救い, 生に立ち返 らせる可能性を もっだものであって, まさに

我々が引き継ぎ発展させていかねばならない ものである。

;王

テ キ ス ト は Goethes Samtliche W erke, H amburger Ausgabe in 14 Banden. B.7, 7.Aufl.1968. を 使

用。 以下 H.A. と略す。

(1) Stefan Blessin: Die Romane Goethes. (Athenaum) 1979. S.27.

(2) lvar Sagmo: Bildungsroman und Geschichtsphilosophie. EineStudiezu GoethesRoman ”Wilhelm

M eisters Lehrjahre”。 (Bouvier) 1982. S.12.

(3) Friedrich Gundolf: Goethe. (Georg Bondi) 1917. S.352.

(4) Emil Staiger: Goethe. I . (Atlantis) 1964. S.457.

(5) Erich Trunz: Anmerkungen. H. A. Bd.7. S.678.

Page 13: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

清 水 純 夫154

㈲ Hans Reiss: Goethes Romane. (Francke) 1963. S.117.

(7) Goethe: Campagne in Frankreich. H. A. Bd.10. 1966. S.235.

(8) 1ゾI .A. Bd.7. S.35.

(9) ibid. S.71.

(10) ibid. S.71. コ

(11) ibid. S.79- 80.

(12) ibid. S.71.

(13) ibid. S.121- 122.

㈲ ibid. S.494.

㈲ Goethe: Das G6ttliche. H.A. Bd.1. 1966. S.148- 149.

(困 ゲーテはフ ラ ンス革命についてエ ッ カーマ ソに次のよ うに語っている。「また私が確信 していたのは, 何

か大 きな革命は決して民衆に責任があるのではな く , 政府の責任だとい う こ とだ。 政府がいつも正し く ,

いつ も 目覚めてお り, 時宜をえた改革で革命に対処し, 下から強制されてやむを得な く なるまで抵抗する

こ とがなかったならば, 革命などは全く不可能であるJ 『エ ッカーマソ著 フゲーテとの対話』 1824年 1月

4 日) ゲーテのこの考え方がこの箇所に反映していると思われる。

(17) H .A . Bd.7. S.430.

㈲ ibid. S.507.

(川 ibid. S.507.

(20) アダム ・ ス ミスは1776年に 『国富論』 を出版している。 この中で彼は, 「社会の利益を増進しよう と思い

こんでいる場合よ りも, 自分自身の利益を追求する方がはるかに有効に社会の利益を増進するこ とがしば

しばあるJ (r国富論J II , 大河内一男 ・監訳, 中央公論社 P.120) と言っている。 自分の利益と全体の

利益が調和的に増大し うるとい う楽天主義を こ こに認めるこ とができよ う。

剛 H . A . Bd. 7. S. 563- 564.

(22) ibid. S. 531- 532.

(23) ibid. S. 552.

㈲ ibid. S. 493.

(25) ibid. S. 136.

(絢 ibid. S. 208- 209.

㈲ ibid. S. 436.

(28) 拙稿 『イフ ィ ゲーニエ』 ( 『ゲーテとの西遁』, 三修社, 1984年に収録) 参照。

(29) 1980年の ドイ ツ 3月革命において, 農民は土地の無償解放を要求したが, 旧勢力とブルジ ョ アジーはせ

いぜい有償解放しか認めず, 結局, 農民側の敗北に終った。『柳洋治著汀 ドイツ3月革命の研究』, 岩波書店,

参照)

(30) H . A . Bd. 7/ S. 287 ’

(3り bid S 288

(32) 宗教改革や30年戦争によって国土が荒廃してしまった ドイツでは, 資本主義の発展がイギリスヤブラン

スに比べて著し く後れを取ることにな り, 結局, ブルジ ョ アジーは封建勢力と妥協していかざるをえなか

った とい う ドイツの特殊な歴史的状況の文学的表現を ここに見て とれよう。

(33) H . A . Bd. 7. S. 531- 532.

(34) ibid. S. 434.

叫 ibid. S. 434.

叫 ヤル ノ ¬ は竪琴弾きの老人を 「放浪の大道芸人」, ミ ニ ョ ンを 「ばかげた中性の族」 と決めつけ, ヴ ィ ル

ヘルムに彼らと手を切るよ うに忠告する。 H. A. Bd. 7. S. 193.

(37) Rosemarie Haas: Die Turmgesellschaft in ”Wilhelm Meisters Lehrjahren” ( Herbert Lang)

1975.

(38) An den Herzog Karl August. 6. 4. 1789, Goethes Werke. Hrsg. im Auftrage der Groβher-

Page 14: Title 『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』 : 塔の結社の彼 [ … · 平等を合言葉に理性の王国を建設しようとした。ドイツでも多くの知識人が熱烈にこの革命

『ヴィルヘルム ・ マイスターの修業時代』 155

zogin Sophie von Sachsen. IV . Bd. 9. S. 306. ( 三 修社 , 102巻 , 101頁 )

(39) Goethe : Die Freimaurerei in Jena betreffend. Weimar, den 31. Dezember 1807. Goethes

W erke. H rsg/ im Auftrage der Groβherzogin Sophie von Sachsen. I . Bd. 53. S. 306. ( 三修

社, 61巻, 306頁)

㈲ 拙稿「『フ ァ ウス ト』 第五幕について」(東北大学教養部紀要第34号 1981年) 参照。

(41) H . A . Bd. 7. S. 539.

㈲ ibid. S. 501- 502.