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20
vol.40 2020 年 7 月発行 数学の小宇宙「ワンカットで生まれる兄弟の図形」 きょうの数字「40」 洛北算額 「デカルト・フェルマー・パスカルの時代」 きょうの 数学

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vol.40

2020 年 7 月発行

数学の小宇宙「ワンカットで生まれる兄弟の図形」

きょうの数字「40」

洛北算額

「デカルト・フェルマー・パスカルの時代」

きょうの

数学

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ワンカットで生まれる兄弟の図形

 図形を対象に、直線を本引くことによってつに分割することを「ワンカット」と呼び、その結果できたつの図形について考えてみたいと思います。ここでは、特に、ワンカットしたあとに、もとの図形と相似な図形ができるとき、

「兄弟の図形ができた」ということにしましょう。

 まず、円と正方形です。円や正方形を対象にワンカットでもとの正方形と相似な小さな円や正方形を生み出すことは、

困難です。

 それでは、長方形はどうでしょう。

 斜め線でカットしたり、長い方の辺に平行にカットしても、もとの長方形と相似なつの小さな長方形を得ることはできません。そこで、短い方の辺に平行にカットすること(長い方の辺に垂直)を考えます。

 長い方の辺を真半分にカットして、つの相似な長方形が生まれることはあるのでしょうか。やってみましょう。

 簡単のため、上図のように、短い方の辺の長さを、長い方の辺の長さをとします。

大小の正方形の相似の関係から、: =: となればいいのです。よって、

 から、  が得られます。これから、: の比の隣り合う辺を持つ長方形の場合、ワンカットで兄弟(相似)の長方形を生み出すことが可能であることがわかりました。

 現在、この: の比は「プラチナ比」と呼ばれ、この比で作られた長方形用紙は、オフィスで常用される版シリーズ、学校の更半紙でおなじみの版シリーズとして、現代社会の事務用紙規格として欠かすことのできない存在となっています。

 それではということで、別の図形でワンカットを試してみましょう。

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 正三角形はどうでしょうか。

 上図のように、ワンカットで兄弟を生み出すことは困難です。

 それでは、一般の二等辺三角形はどうでしょう。

 これも、無理なようです。

 直角二等辺三角形はどうでしょう。

 これらのカットでは、兄弟は生まれません。しかしながら、下図のように、直角を二等分する直線でカットしますと、

合同なつの直角二等辺三角形ができます。ワンカットで、相似比が (面積比が の直角二等辺三角形がつでき

ます。)

 次は、一般の直角三角形です。実は、一般の直角三角形においても、兄弟の図形が得られます。それは、直角の頂点

から対辺へ垂線を下ろすのです。

 直角である頂点から対辺へ下ろした本の垂線によって、もとの直角三角形と相似なつの直角三角形が生まれるのです。詳しく述べますと、上の図形(直角三角形)の中にはつの相似な図形が存在します。しかも、   △△△です。このワンカットの性質は一般の直角三角形について成立しますので、前述の直角二等辺三角形を半分ずつにする

ワンカットは、実はこの場合に含まれることとなります。

 ここからは余談です。ワンカットした直角三角形の面積に着目してみましょう。

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 上図のように全体の直角三角形の面積を、△の面積を 、△の面積を としますと、次式が成り立ちます。

      上の図のように各辺の長さを、、、、とおきますと、直角三角形の面積は、底辺高さで求まりますから、上式は

   

      となります。 

 この等式は、直角三角形のつ合わせた長方形の面積の半分を求めていることになります。当然の結果ですね。

 それではもう少し別のアプローチをしてみましょう。そのアプローチとは、相似比と面積の関係です。一般に、図形

の面積比は相似比の乗の比となります。

 上の例で言いますと、相似比(対応する辺の比)が:のとき、その面積比は       : = : となります。この関係を先ほどの直角三角形のワンカットに適用してみます。

△△△ですから、相似比は辺の比で、        ::=::=:: から、面積比は    : := : :          = : :          = : : となります。

      △ + △ = △ を、簡単に

      =とあらわしますと、次式のように表現されます。 

     

+ =      

+ =      

+ = これらは、それぞれ

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     第式は、△を対象とした三平方の定理     第式は、△を対象とした三平方の定理     第式は、△を対象とした三平方の定理となります。

 この観点に立ちますと、三平方の定理は、一般の直角三角形を対象に、面積比は辺の比の乗で表されることを述べたものであると解釈できそうです。

 それではつぎにもう少し規則を緩めてみましょう。ワンカットはそのままですが、その結果できる図形は兄弟(相似)

なものだけでなく、もう一種類だけ形状の違う同様の多角形だけを許すことにするのです。     

 まずは、二等辺三角形です。ワンカットで、兄弟の二等辺三角形と、もう一つだけ全く別の二等辺三角形のみができ

ることを条件としましょう。

 上の図の中で左と中央の図では、条件を満たしません。そこで、右の図のように、底角

のひとつを二等分する直線を引くワンカットを考えます。

 △△となることを想定しますと、=とおいて、△の内角の和が

ですから、  から、

 となり、ここから

が得られます。

 よって、この条件を満たすのは、頂角の角度がの二等辺三角形であることがわかります。それぞれの内角を求めますと右のとおりです。

 もとの二等辺三角形(、、の鋭角三角形)をタイプ、もう一つの二等辺三角形(、、の鈍角三角形)をタイプと呼ぶこととします。

      タイプの二等辺三角形      タイプの二等辺三角形ここで、タイプの三角形を図のようにワンカットしますと、これまた、両タイプの三角形が生まれます。

             タイプの二等辺三角形のワンカット

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タイプ

タイプタイプ

タイプタイプタイプ

タイプ まとめて図で表しますと、右のとおりです。

 このようにタイプとタイプの二等辺三角形が、互いに補うように登場して、どんどんとこれら二つのタイプの二等辺三角形を生み出していきます。オスとメスで色や

体格の違う生物のように、この種類の二等辺三角形が次々と生み出され、この両者以外は出てこないのです。

 実は、この種の三角形はどちらも正五角形に隠された三角形で、ピタゴラスもその神秘性に気付いていたはずです。

 次は、長方形を対象にワンカットで、正方形と兄弟長方形のみができることを条件としましょう。簡単のため、辺の長さがと()の長方形を対象とします。

 上図左のように、水平にワンカットしても、更に平べったい長方形がふたつできるだけですので、目的を果たせませ

ん。よって、左図のように縦切りしますと、満たすべき条件は

                   長方形長方形 ですから、                     := :                   よって、                                              は、次方程式の解の公式から                        

                   ですが、を満たすのは、   です。

 この値に見覚えはありませんか。そうです。黄金比です。

 このように、ワンカットしてできる兄弟図形を調べてみますと、

長方形や平行四辺形では、 がキーとなる値でした。直角三角形では、三平方の定理が隠れていました。 そして、規則を少し緩めて、ワンカットして種類の同様の多角形ができることを許容しますと、不思議なことに黄

金比 が登場してきました。

 この「少し緩めのワンカット」には、鍾乳洞のようにまだまだ未知の世界があるような予感がしています。

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きょうの数字:「40」 今月の「きょうの数学」は第 40 号ということで、40 についての話をしたいと思います。

40 といえば N-クイーン問題です。

まずは基本のエイト・クイーン問題から話してみましょう。チェ

スボード(8×8)に、クイーンの駒を 8 個1、互いに利きがない

ように配置します。

これは例えば右のような配置の仕方がありますが、すべて数え

ると 92 通りの方法があります(回転・反転を区別する)。

この「8」の部分を N に変えて、N×N のボードに N 個のクイ

ーンを置く問題が N-クイーン問題で、解の数は

1, 0, 0, 2, 10, 4, 40, 92, 352, 724, …

になっています。さて、40 が登場しましたね。40 は《7-クイーン問題の解の個数》なのです。

N-クイーン問題の解がいくつあるかは一般には解決しておらず、いまのところコンピュータを用いて

N=27 の場合まで計算されています2。

N=28 の場合はどのくらいの計算が必要でしょうか?縦と横に駒が重複して置けないことを考えると、

候補となるのは28! = 304888344611713860501504000000通りですから、1 秒に1京個の候補を検証し

たとしても3 × 10 秒、つまり約 10 万年の年月がかかってしまいます。もちろん実際にはもう少し賢い

方法で計算するのですが、N=26 の計算から N=27 の計算まで 7 年かかったことを考えると、単純計算

でその 28 倍の時間がかかりますから計算結果が出るのはしばらく先でしょうね。

我々は手作業で 7-クイーン問題に慣れ親しむことにしましょう。右

の7×7のボードにクイーンを 7 個置き、縦・横・斜めの列に 2 つ以

上のクイーンがこないようにしてください。答えは 40 通り、回転と反

転で重なるものを区別しないなら 6 通りの解があります3。ひとつくら

いなら見つけられるでしょうか?

というわけで、40 が特別な数だということがわかりました。40 を見かける機会があったら、ぜひ周り

の人に教えてあげてくださいね。

1 クイーンは、縦・横・斜めにどこまでも進むことができます。よって各列(各行)に 1 個しか駒をおけないため、8 個

までしか配置できません。 2 234907967154122528 通り。2016 年に計算された。 3 この情報から、線対称か点対称の配置がいくつかあることがわかりますね。

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解答は [email protected] (藤岡)まで送ってください。

洛北高校、附属中学校の人は直接職員室まで。

途中の考え方を書いてくれると、コメント等をお返しできます。

洛北算額 今月の問題 2020.7

「4と 5」には、次のような関係があります。

2

4= 0.5

2

5= 0.4

また、「24と 25」には次のような関係があります。

6

24= 0.25

6

25= 0.24

これをふまえて、次の問いに答えなさい。

(1) 同様の関係が「75と 76」「624と 625」にも成り立ちます。この 2組のペアについ

て、問題文の式①,②のような関係式を作りなさい。分子は自分で探すこと。

(2) 「nと n+1」で同様の関係が見つかるものを探しなさい。

nが 1桁の範囲にあと1つ、nが 3桁の範囲にさらに1つあります。

(3) 「nと n+3」で同様の関係が見つかるものを探しなさい。

式①

式②

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2020年 6月の問題

先月の解答・解説

𝑛! が 3で割り切れる回数を𝑎𝑛 ,𝑛! が4で割り切れる回数を𝑏𝑛 とします。

たとえば 10!=3628800 は 3で 4回、4で 4回割り切れるので 𝑎10 = 4, 𝑏10 = 4です。

(1) 22!が 3で割り切れる回数 𝑎22と 4で割り切れる回数 𝑏22を求めなさい。

(2) 10000!が 3で割り切れる回数 𝑎10000と 4で割り切れる回数 𝑏10000を求めなさい。

(3) (1)(2)から、𝑎𝑛と𝑏𝑛はだいたい....

一致することが予想されます。

𝑎𝑛と𝑏𝑛が近い値になる理由を数学的に考察してください。

3で割る: 3628800 → 1209600 → 403200 → 134400 → 44800 → ×(割り切れない)4回割り切れたので

4で割る: 3628800 → 907200 → 226800 → 56700 → 14175 → ×(割り切れない)4回割り切れたので

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解説

この性質に気が付いたときはうれしかったです。まずは計算してみましょう。

(1) 22!=1×2×3×4×5×6×7×8×9×10×11×12×13×14×15×16×17×18×19×20×21×22

=219 × 39 × 54 × 73 × 112 × 13 × 17 × 19

なので、3で 9回、4で 9回割り切れます。𝑎22 = 9, 𝑏22 = 9です。

(2) 同様に 10000!に含まれる 2 の数と 3の数を考えたいのですが、10000は大きいので(1)のようにすべてを計

算するのは難しいでしょう。

これは数学 Aによくある問題で、10000!に含まれる素因数2の個数は

(2の倍数の個数)+(4の倍数の個数)+(8の倍数の個数)+(16の倍数の個数)+…

= 5000 + 2500 + 1250 + 625 + 312 + 156 + 78 + 39 + 19 + 9 + 4 + 2 + 1

= 9995

で計算できます。10000を 2で割って 5000、5000を 2で割って 2500、2500を 2で割って 1250、…と計算して

いくのですね。同様に素因数3の個数は

(3の倍数の個数)+(9の倍数の個数)+(27の倍数の個数)+(81の倍数の個数)+…

= 3333 + 1111 + 370 + 123 + 41 + 13 + 4 + 1

= 4996

です。(詳しくは数学 Aの教科書を見るか、数学の先生に質問してください。)

ここから、3で割れる回数は 4996 なので 𝑎10000 = 4996

4で割れる回数は[9995

2] = 4997なので 𝑏10000 = 4997

であるとわかりました。

(3) n=10000のときも、4996と 4997でだいたい一致しました。いろいろ表にしてみましょう。

𝑛 10 22 100 10000 59049 100000000 123456789

𝑛/2(切り捨て) 5 11 50 5000 29524 50000000 61728394

𝑎𝑛 4 9 48 4997 29520 49999994 61728384

𝑏𝑛 4 9 48 4996 29524 49999990 61728386

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どうやら、𝑎𝑛 と 𝑏𝑛 はどちらも 𝑛

2 より少し小さい値になっているようです。

理由を考えてみましょう。示すべきことは次の内容ですね。

𝑛!に含まれる素因数 3の数を𝐴(𝑛)、素因数2の数を𝐵(𝑛)としたとき

𝐴(𝑛) ≒ 2 × 𝐵(𝑛)

𝑎𝑛 = 𝐴(𝑛),𝑏𝑛 =1

2𝐵(𝑛) (切り捨て) です(4で割れる回数は、素因数2の個数の半分)。したがって

𝐴(𝑛) ≒1

2𝑛,𝐵(𝑛) ≒ 𝑛を示せばよさそうですね。そして実際、ガウス記号1を用いれば

𝐴(𝑛) = [𝑛

3] + [

𝑛

32] + [

𝑛

33] + [

𝑛

34] + ⋯

≒𝑛

3 +

𝑛

32 +

𝑛

33 +

𝑛

34+ ⋯

=𝑛

2

𝐵(𝑛) = [𝑛

2] + [

𝑛

22] + [

𝑛

23] + [

𝑛

24] + ⋯

≒𝑛

2 +

𝑛

22 +

𝑛

23 +

𝑛

24+ ⋯

= 𝑛

となり、目的のものがほぼ得られました。

最後に※1や※2でどの程度の誤差が生じるかですが、前ページで割り算を行うときの回数を用いて

「割り算の回数をk回としたとき、 誤差はk以下」

であることが示せます(つまり𝐴(𝑛)と 𝑛

2 の誤差は log3 𝑛 未満、 𝐵(𝑛)と𝑛の誤差は log2 𝑛 未満)。なぜでしょう。

1 [𝑥]で、𝑥を超えない最大の整数を表す。

※ 1

※ 2

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例えば𝑛 = 10000で先ほどの計算をしてみると

𝐴(𝑛) = [10000

3] + [

10000

32 ] + [10000

33 ] + [10000

34 ] + [10000

35 ] + [10000

36 ] + [10000

37 ] + [10000

38 ] + [10000

39 ] + [10000

310 ] + [10000

311 ] + ⋯

= 3333 +1111 +370 +123 +41 +14 +4 +1 +0 +0 + 0 +…

① ②

となります。

①の部分(1個目の0まで)の長さは、10000を 3で割り続けて0になるまでの回数(つまりk回)です。

②の部分は無限に続きますが、ガウス記号の中身は 1/3未満、1/9未満、1/27未満…と徐々に小さくなってい

くので無限等比級数(数学 III)の考え方を用いて

1

3+

1

9+

1

27+

1

81+ ⋯ =

1

2

より誤差が小さいことがわかります。よって※1の誤差は𝑘 +1

2未満であることがわかりました。実際には①の部

分の誤差も𝑘ではなく𝑘 −1

2未満であることが示せるので、さきほどの主張が証明できます。

同様に B(n)についても考えていくと、

𝑛

2− log3 𝑛 < 𝑎𝑛 <

𝑛

2

𝑛

2−

1

2log2 𝑛 < 𝑏𝑛 <

𝑛

2

が示せます。 log3 𝑛 や 1

2log2 𝑛 は

𝑛

2 に比べて非常に小さいので、𝑎𝑛と𝑏𝑛が「ほとんど」一致します。

実際、たとえば𝑛 = 21000などの大きい数で試してみると

𝑎𝑛=53575430359313366047421252453000090528070240585276680372187519418517552556246806124659918940

78479290637973364587765734125935726428461570217992288787349287401967283887412115492710537302531

18557093897709107652323749179097063369938377958277197303853145728559823884327108383021491582631

2193418602834034367

𝑏𝑛 =53575430359313366047421252453000090528070240585276680372187519418517552556246806124659918940

78479290637973364587765734125935726428461570217992288787349287401967283887412115492710537302531

18557093897709107652323749179097063369938377958277197303853145728559823884327108383021491582631

2193418602834034687

となり、わずかに下 3桁がズレるのみです(𝑛 = 21000のときlog2 𝑛 = 1000だから誤差は 1000以下、つまり 3桁

しかズレない)。面白いですね。

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デカルト・フェルマー・パスカルの時代

京都学園中学高等学校 数学科 山脇孝之

(1) 時代が生んだ 3人の数学者

ルネ・デカルト(1596~1650),ピエール・ド・フェルマー(1601~1665),ブレーズ・

パスカル(1623~1662)。この著名な数学者たちは,生年・没年とも非常に近く,全員フラ

ンス人で,ほぼ 17 世紀の中ごろに活躍した。現在数学を学ぶ人で,この 3 人の名前を知ら

ない人はほぼいないだろう。そればかりか,この 3 人が切り拓いた数学の分野を学習する

ことなしには,数学の全体像をつかむことができないほど,重要な数学の成果・業績を残

した 3 人である。

高校数学では,主に 1 年で学習する「数学 A」で,パスカル,フェルマーが創始した「確

率論」を,主に 2 年で学習する「数学Ⅱ」で,デカルトが創始した「座標幾何学」を学習す

る。「座標幾何学」は,その学習を踏まえて,2 年から 3 年で履修する「数学Ⅱ」「数学Ⅲ」

にまたがる「微分積分学」へ連なる内容をもっている。高校卒業後に進学する大学の入学

試験の数学において,「微分積分」,「座標(解析)幾何」,「確率」はどの大学も必ず出題す

る分野である。また,フェルマーもその一端を論じた「整数論」も入試頻出であるので,

大学入試においても,この 3 人の影響力の及ぶところは大なのだ。

なぜこの 3 人が生まれ,数学界において活躍できたのか? それは,前々回の小論文で

論じた「大航海時代」に始まる,西ヨーロッパ諸国の世界における相対的地位の向上とい

う世界史的背景と無関係ではない。

現在の世界で,依然 GDP が世界一で,第 2 次世界大戦後の国際関係を調整してきた国際

連合の本部が置かれている国はどこか,と聞かれたら,だれもが「アメリカ」,「アメリカ

合衆国」と答えるだろう。

さらに,現在世界でもっとも多くの人々が使用しているがゆえに,多くの諸国で公用語

として,また国際語としての地位を得て,日本でも小学校教育から導入され,中学,高校

では全員が履修し,もっとも単位数の多い教科になっている語学といえば,だれもが「英

語」(English)と答えるだろう。

この 2 つの事実は,大航海時代以降,ヨーロッパの国々の中で,次第にイギリスが台頭

し,植民地戦争でも常に自国に有利に導いた結果,19 世紀には「日の沈まぬ植民地帝国」

に発展したことが背景にある。大航海時代,コロンブスによって航路が発見されて以降,

アメリカ大陸はまず,メキシコ以南の中部アメリカおよび南アメリカで,スペイン,ポル

トガルの原住民抑圧,略奪,植民地統治が先行し,北アメリカは未だ原住民が居住し,狩

猟生活をする原野が広がっていた。メキシコ以北の北アメリカを植民地化し,開拓しよう

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としたのはまずオランダであり,その後イギリスが植民地として,開拓と統治を始める。

(2)覇権国家オランダ

16世紀から 17 世紀は,実はオランダの最盛期で,オランダの連合東インド会社(Dutch East

India Company,Vereenigde Oostindische Compagnie,略称 VOC,1602 年設立)はイギリ

ス東インド会社(East India Company,1600 年設立)よりもはるかに大きな富を蓄積してい

たのである。

日本ではちょうど関ヶ原の戦い(1600)から江戸幕府(1603)の時代。江戸幕府は海外

との貿易を制限し,やがて鎖国に踏み切り,ヨーロッパの国では唯一オランダとの貿易の

みに限った。このときのオランダは,イギリスやスペイン・ポルトガルに比べて日本に友

好的かつ穏やかな国の印象を与えるが,アジアではインドネシア(Indonesia)をはじめとし

てどんどん植民地を拡大していた海運強国であったのである。

日本との長崎出島(1634~)での貿易で得た富も少なくなかったはずだ。鎖国時代を通

して,日本にヨーロッパの情報をもたらしてくれたのもオランダである。

そもそも現在のオランダ・ベルギーを中心とする領域ネーデルラントは,中世以降,中継

貿易や毛織物生産で繁栄し,多くの都市が成立していたが,1477 年にオーストリア・ハプ

スブルグ家領となり,1556 年にはスペイン・ハプスブルグ家領に移った。16 世紀初めから,

現在のベルギーに位置するアントワープ(Antwerpen)がヨーロッパの中心市場として急激

に発展した。宗教的には宗教改革後のプロテスタント

であるカルヴァン派が勢力を得ていたが,スペインの

フェリペ 2 世(FelipeⅡ,1527~98,在位 1556~98)

はカトリック信仰を強制しようとしたため,これに抗

議して農村の中小貴族が「乞食党」(ゴイセン,Geusen)

とあだ名をつけられた集団を結成した。

フェリペ 2 世は恐怖政治によってカルヴァン派勢

力を徹底的に弾圧したので,南部ネーデルラントから

1万人以上の商工業者が北部ネーデルラントやヨーロ

ッパ各地に亡命した。残った人々は,1568 年,オラ

ニエ公ウィレム(沈黙公,オレンジ公ウィリアム,

Oranje Willem,1533~84)を指導者として,独立運動

を開始した。そして,「乞食党」を中心に,迷路のよ

うにはりめぐらされた運河などの水路を利用してゲ

リラ戦を展開し,スペイン軍を混乱に陥れた。スペイ

ン軍に占領された南部の 10 州は途中で脱落を余儀な

くされたが,北部7州はユトレヒト(Utrecht)同盟を結成し,1581 年ネーデルラント連邦

オランダ独立の父・初代オランダ総督

オラニエ公ウィレム 1世

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共和国(オランダ,Republic of the United Netherlands,Republiek der Verenigde Nederlanden)の

独立を宣言した。

スペインと対立していたエリザベスⅠ世のイギリスは独立派を支援し,1588 年イギリス

海軍が,暴風雨にも助けられて,スペインの無敵艦隊(アルマダ,Invincible Armada)を壊

滅させたことも,オランダに決定的に有利な局面を与えたのである。フランスは内乱(ユ

グノー戦争)のため,スペインなどの干渉を受け,混乱が続いていた。ついに 1609 年,オ

ランダ独立派とスペインの間に休戦協定が成立し,三十年戦争後のヴェストファリア条約

で国際的にも連邦共和国の独立が承認された。(1568 年から始まり,1648 年に終結したオ

ランダ独立戦争のことを 80 年戦争と言うことがある。)

独立戦争の過程でアントワープが荒廃しその地位が低下したが,独立後のオランダはア

ムステルダム(Amsterdam)を中心に驚異的な経済発展を遂げた。ポルトガルが行なってい

た奴隷貿易にも参画し,世界全体にその商業網をはりめぐらせたのである。国内の毛織物

工業,造船業,北海の漁業,陶器業,醸造業なども盛んになり,西ヨーロッパ諸国に穀物

や造船資材を供給し,バルト海地方との貿易で他の諸国を圧倒した。さらに,金融面での

支配権を確立したことも,新しい世界の動きの中心として特筆すべきである。17 世紀初頭,

ヨーロッパ有数の人口を抱える大都会アムステルダムは,世界の商品市場であるばかりか,

金融のネットワークの中心(アムステルダム銀行,Bank of Amsterdam,1609)ともなり,

世界商業の覇権を握った。

オランダは,君主をおかない共和国(republic)の形態をとったことでも先進的であった。

共和国の最高の官職は「総督」(統領,Stadhouder)であり,議会の制約が強かった。初代

総督はオラニエ公ウィレム 1世(在位 1579~84)であり,以後オラニエ家の当主が世襲し

た。しかし,政治的には内部の対立が十分に解消されず,中央の国家権力に対して各州の

力が強く,アムステルダムを含むホラント(Holland)州が圧倒的な力を持っていた。日本

では,この「ホラント」から「オランダ」(ホラントのポルトガル語訳)という呼称が生ま

れたほどである。連邦議会は存在したが,アムステル

ダム商人が実験を握っていた。ともあれ国際的に承認

される前から,覇権国家(Hegemonic Nation)オランダ

は誕生していたのである。

この時代のオランダ社会は,賃金の高い社会福祉の

充実した先進社会となり,文化の花が開いた。オラン

ダは,自由主義的な政策を採用したため,商人ばかり

でなく,本国では居心地の良くない芸術家や知識人・亡

命者などが集まってきていた。

その中には,海洋の自由を説いたグロティウス

(Grotius,1583~1645)や汎神論を主張した哲学者ス

ピノザ(Spinoza,1632~77)がいた。

「われ思う,ゆえにわれあり」

ルネ・デカルト

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フランス人哲学者で近代合理主義哲学の祖であり,数学者でもあったルネ・デカルトも,

研究活動の大部分をオランダで行なった。

南部ネーデルラント・フランドル(Flandre)の出身ではあるが,豊かで雄大な大作を残

したルーベンス(Rubens,1577~1640),オランダ画派では,市民の生活を光と影でたくみ

に描写し,近代油絵技法を確立したレンブラント(Rembrandt,1606~69),寡作で希少性の

高い作品を描いたフェルメール(Vermeer,1632~75)もこのころに活躍した。

ここで,簡単に日本の江戸幕府との関係にふれよう。1600 年オランダ船リーフデ号(De

Liefde)が九州に漂着した。乗り込んでいたオランダ人航海士ヤン・ヨーステン(Jan

Joosten,?~1623,耶楊子)と水先案内人のイギリス人ウィリアム・アダムズ(William Adams,

1564~1620,三浦按針)は,徳川家康(1542~1616)に招かれて外交・貿易の顧問となり,

本国との通商の斡旋を委ねられた。オランダは 1609 年に,イギリスは 1613 年に平戸に商

館を開くことが許されたが,イギリスはオランダとの競争に敗れ,1623 年商館を閉鎖して

日本を離れた。この背景には,「アンボイナ事件」(Amboina)によって,オランダがイギリ

スをインドネシア水域から追放したことがあげられる。イギリスは,当面植民活動の拠点

をインドに置かざるを得なかった。江戸幕府は,1624 年にはスペイン船の来航を禁じ,1637

年から翌年にかけて起こった島原の乱に手を焼いた経験から,1639 年にはポルトガル船の

来航を禁じ,鎖国を完成させた。1641 年にはオランダ商館を長崎出島に移し,長崎奉行の

きびしい監視下の下,日本とオランダとの貿易を認めたのである。(他に中国船との私貿易

を認めた。)オランダ船は生糸や織物,薬品・時計・書籍などを日本にもたらした。日本か

ら輸出されたものは,銀と銅,磁器(伊万里焼),樟脳(薩摩)などであった。特に銀輸出

は多額に上り,オランダのアジアでの活動の重要な資金となり,アジア経営を有利にした

のである。覇権国家オランダを後押しした影の存在こそ,鎖国日本の江戸幕府であったの

だ。

(3)確率論を数学の一分野にしたパスカル

数学の話にもどそう。このような時代を背景として,フランス人数学者パスカルが,新

しい発想で創始した数学の分野が確率論である。パスカルは数学者であるとともに,物理

学者,哲学者でもあった。

まずは「パスカルの原理」の話から。パスカルは「密閉容器中の流体は,その容器の形

に関係なく,ある一点に受けた単位面積当りの圧力をそのままの強さで,流体の他のすべ

ての部分に伝える」という物理学の原理を発見した。ややむずかしいが,この原理を発見

した功績により,国際的に「圧力」を表す単位には「パスカル」(Pa)が使われている。1

パスカルは,1 平方メートル (m2) の面積につき 1 ニュートン (N) の力が作用する圧力と

定義されている。気象学では,気圧の単位としてヘクトパスカル (hPa) を使用している。

テレビの「天気予報」などでよく耳にする単位であろう。ちなみに,1標準気圧(1 気圧)

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は,1013.25 hPa(ヘクトパスカル)である。

彼は,幼少のころから天才ぶりを発揮していた。

パスカルは学校ではなく,家庭で英才教育を受け

た。しかも,自宅には当時の一流の数学者や科学

者がひんぱんに出入りした。彼はそうした大人た

ちの集いに顔を出し,様々な知識を吸収すること

ができ,大人たちと討論したり思索し さ く

を深めたりす

ることで,その才能が本格的に開花したのである。

17 歳の時には,機械式計算機の構想・設計・製作

に着手し,それを見事に 2 年後に完成させた。こ

れは,父親の税金を集める際の計算の仕事を楽に

しようとしたのだ,とも言われている。今日のコ

ンピュータの原型がここにある。

そして彼は,パリの社交界のリーダーがかかえ

ていた「さいころゲームの勝敗問題」の解決をき

っかけとして,数学の新しい分野である「確率論」

を開拓する。これはフェルマーとの手紙でのやり

とり,議論,共同作業として成し遂げられた。直接会うことなく,手紙のやりとりだけで,

このような理論が形成されていったということは驚くべきことである。パスカルとフェル

マーが始めたこの学問は,18~20 世紀にかけて「数理統計学」として大きく発展し,今で

は数学の重要な一分野となった。経済学や心理学など,自然科学以外の領域でも広く応用

されていることが特徴である。

1654 年,パスカルは社交の席で出会った一人の賭博師から,次のような問題についての

相談をもちかけられた。

「技量の等しい A と B がゲームを行ない,先に 6 回勝った方が賭け金全部を手に入れる

ことにした。ところが,A が 4 回,B が 3 回勝った時点で,ゲームを中止せざるを得なく

なった。賭け金はどのように分ければよいか?」

この問題をめぐり,4 ヶ月にわたって,パスカルとフェルマーの間で 8 通の手紙のやりと

りがされている。パスカルは最初,勝ち数に比例して 4:3 に分ければよいという説を正し

いと考えたようだが,フェルマーに論理の不備を指摘されて,次第に「確からしさ」を計

る新しい計算方法のアイデアが芽生えていった。そして,パスカルとフェルマーは各々異

なる方法を用いながらも,同じ結論にたどりついたのである。この問題の正解を,2 人が見

出した確率論の言葉で示しておこう。

仮にゲームが続行されるとした場合,A が勝つのは次の 3つの場合である。

ブレーズ・パスカル

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(i) 8回戦以降,A が 2連勝する

(ii) 1勝 1敗の後,A が勝つ

(iii) 1勝 2敗の後,A が勝つ

技量が等しいので,1つのゲームに勝つ確率は2

1,ゆえに(i)の確率は

4

1,

(ii)では 2通りのケース,(iii)では 3通りのケースがあることに注意すれば,各々の確率

は,16

33

2

1,

4

12

2

143

=

=

であり,A が 6回勝つ確率は 3つの場合

の和となり, 16

11

16

3

4

1

4

1=++ , ゆえに Bが勝つ確率は

16

5

16

111 =−

したがって,賭け金は 11:5 で分配すればよい。

現在では「難問」ではないが,17 世紀にこのような

正解を与えたことは驚きであり,これが数学史にパス

カルの名をとどめる重要な研究のきっかけをも与えた

ことになる。そして,この功績はパスカルひとりのも

のではなくフェルマーの協力があったと考えたい。

確率を把握するためには,その事象の場合の数を,

もれなく重複することなく数え上げていかなければな

らない。場合の数を計算していくときの基礎となる数

学の分野を,組合せ数学(combinatorics)あるいは組

合せ論という。これは,特定の条件を満たす(普通は

有限の)対象からなる集まりを研究する数学である。

特に問題とされることとして,集まりに入っている対

象を数えたり(数え上げ的組合せ論),いつ条件が満たされるのかを判定し,その条件を満

たしている対象を構成したり解析したり(組合せデザインやマトロイド理論),「最大」「最

小」「最適」な対象をみつけたり(極値組合せ論や組合せ最適化),それらの対象が持ちう

る代数的構造をみつけたり(代数的組合せ論)することがあげられる。

組合せ数学は,理論構築(もちろん強力な理論的手法が発展しているが)と同じくらい,(特

に 20 世紀後半以降は)与えられた問題を解決することが目標とされる。組合せ数学のうち

で最も古く取っ付きやすい部分はグラフ理論であり,今では他の様々な分野と結びつけら

れている。

組合せ論的な問いの例として,52 枚のトランプカードの並べ方は何通りあるか? とい

うものが挙げられる。これに対する答えは 52! (52 の階乗)であり,この数は

ピエール・ド・フェルマー

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8.065817517094 × 6710 にもなり,8 の後ろにゼロが 67 個もついている驚くべきスケール

の大きさだと言える。これは例えば無量大数( 6810 )に匹敵するほど大きい。

組み合わせ論的な記述の最も古い記録は,インドに見出すことができる。紀元前 6 世紀

にスシュルタ(Suśruta)によって書かれた,インド二大古典医学書の一つである

スシュルタ・サンヒター(Suśruta‐saṃhitā)には六つの味を 63 通りに組み合わせることがで

きると書かれている。苦味,酸味,塩味,甘味,渋味,辛味を一つだけ使うか二つ一緒に

使うか,三つ同時に使うか,などなど。ここで,単純な味は 6 種類あり,二つの組み合わ

せは 15 種類あり,三つの組み合わせは 20 種類ある,などがいえる。紀元前 300 年頃にジ

ャイナ教の数学者によって書かれた『バガバティ・スートラ』は,

( ) ( )( )123

21,

12

1, 321

−−=

−==

nnnC

nnCnC nnn

,……

( ) ( )( )21,1, 321 −−=−== nnnPnnPnP nnn ,……

に対応する組合せと順列の規則を含んでいる。

パスカルは確率論を構築していくにあたり,場合の数を正確に数えることが必要である

ことに気づき,その考察の中で,「パスカルの三角形」(Pascal's triangle)と呼ばれている

組合せの美しい法則を発見したとされている。二項展開における係数を三角形状に並べた

この三角形は,実際にはパスカルより何世紀も前の数学者たちも研究していた。

この三角形の作り方は単純なルー

ルに基づいている。まず最上段に 1

を配置する。それより下の行はその

位置の右上の数と左上の数の和を配

置する。例えば,5 段目の左から 2

番目には,左上の 1 と右上の 3 の合

計である 4 が入る。このようにして

数を並べると,上から n 段目,左か

ら k 番目の数は,二項係数

11 −− kn C に等しい。そして,パスカ

ルが示した knknkn CCC 111 −−− +=

……①, 10 == nnn CC によって

この三角形は成り立っているのであ

る。①の等式は,組合せの計算式によっても証明できるが,「n 人から k 人を選ぶ方法は,

パスカルの三角形

組合せの性質を利用した,きわめて優れた数学上

の「発明品」であるといえよう。上記のものは 13 段

まであり, rn C の n=12 までがすべて求められる。

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特定の 1 人をあらかじめ選んだ場合の数11 −− kn C (残りの n-1 人から k-1 人を選ぶ)と特

定の 1 人を選ばない場合の数kn C1−(残りの n-1 人から k 人を選ぶ)の和である」という

ことで証明できる。この三角形に,数学の長い歴史と人類の英知を感じる。

この例のように,人類の長い歴史の中で,数学は本当に多くの人々によって果敢に取り

組まれ,多くの発見や問題解決が行なわれてきたのである。

パスカルが唱えた有名な「人間は考える葦あし

である」という言葉は,人間は自然の中では

小さな生き物にすぎないが,考えることによって宇宙を超えることができる,という意味

がある。

パスカルが生きた時代,世界の一体化,グローバル社会の萌芽が西ヨーロッパ諸国の主

導のもと推進されるようになると,「三角貿易」という,大西洋を挟む 3 大陸が関与する貿

易体制が築かれた。アフリカの黒人は奴隷として,西アフリカを含むアフリカの諸地域か

ら奴隷船で輸送されて新大陸に連れて行かれた。そして,新大陸からは原料が西ヨーロッ

パへ,西ヨーロッパからは工業製品がアフリカへ運ばれるという貿易である。この歴史的

事実が,現在アメリカ合衆国で始まった人種差別反対の運動の中で取り上げられ,イギリ

スでは奴隷商人だった人物の像が倒されるなどの動きに発展している。

以上のような世界史の流れをたどり,次回はパスカル,フェルマーの時代のフランスの

歴史を探索しながら,主にフェルマーの業績について語ってみたい。

《参考文献》

◎『世界数学者事典』(Des mathématiciens de A à Z)ベルトラン・オーシュコルヌ(Bertrand

Hauchecorne),ダニエル・シュラットー(Daniel Suratteau)著 熊原啓作 訳

日本評論社

◎『メルツバッハ&ボイヤー 数学の歴史Ⅱ 17 世紀後期から現代へ』

(A History of Mathematics, 3rd Edition Uta C. Merzbach and Carl B. Boyer)

三浦伸夫,三宅克哉 監訳,久村典子 訳 朝倉書店

◎『数学の流れ 30 講 中 -17 世紀から 19 世紀まで-』 志賀浩二著 朝倉書店

◎『数学を愛した人たち』 吉永良正 著 東京出版

◎『世界を変えた 24 の方程式』デイナ・マッケンジー著,赤尾秀子 訳 創元社

◎『歴史を変えた 100 の大発見 数学 新たな数と理論の発見史』

トム・ジャクソン編 冨永星 訳 丸善出版

◎『Newton 別冊 数学の世界』 ニュートンプレス

◎『詳説 世界史研究』 木下康彦/木村靖二/吉田寅 編集 山川出版社

以 上