Yayoi Kanehisa, RDH, PhD

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日補綴会誌 Ann Jpn Prosthodont Soc 7 : 106-108, 2015 106 歯科衛生士養成校教員に就くまでの勤務経験から, 歯学部付属病院では「よく計画された口腔衛生管理に よって口腔の健康は護れる」ことを,地域の歯科クリ ニックでは「歯科医療中心の診療体系における継続し た口腔衛生管理の困難さ」を実感した.その後勤務し た介護保険施設を持つ要介護高齢者ケア複合施設で は,口腔機能の低下により健口体操を行うだけで上下 総義歯が落ちてしまう患者もおり,口腔環境を整え, 美味しく食べることの大切さを強く認識することと なった.さらに,居宅介護支援事業所の介護支援専門 員として,在宅生活を営む高齢者が美味しそうに楽し く食事を召し上がる姿は周囲を支える者の笑顔を生む ことに気付かされた. 超高齢社会における歯科補綴治療の目的の一つは, 食べる機能を回復し栄養状態の改善に寄与することで あると考える.高齢者にとって楽しみである食事 1) 美味しく楽しいものであり続けられるよう,歯科衛生 士は患者の側に出向き,義歯をうまく使えない口のリ ハビリテーションを多職種と連携実施することで義歯 を使い続けられる口を創る役割を担うことができると 考える.このような多職種連携を通じて,歯科衛生士 は診療室と地域を繋ぐ役割をも果たすことが可能だと 考える. 高齢者の栄養管理サービスに関する調査によると, 高齢者のうち施設入居者の 4 割,在宅生活高齢者の 1 割が低栄養状態であることがわかっている 2) また,施設別の高齢者の栄養障害の割合をMini Nutritional Assessment を 使 用 し て 調 査 し た 報 告 に よると,病院やリハビリテーション病院入院患者の 40 〜 50%は栄養障害を有しており,栄養障害の Risk も含めると約 90%は低栄養状態といっても過言ではな い.さらに栄養障害の Risk も含めると地域在宅高齢者 の約 40%は栄養障害を有していることもわかっている (図 1) 3) 栄養摂取の不良から生じる低栄養は,免疫力の低下 や身体の機能低下を招き,直接的ならびに間接的に寝 たきりや死亡の原因となる.言うまでもなく,食事摂 取には口腔環境の整備と口腔機能の発揮が大切であ る.疾患に伴う障害や加齢に伴う生理的なサルコペニ ア(筋肉の量と機能の低下),廃用による身体機能お よび咀嚼・嚥下筋の機能低下により経口摂取困難とな る.また,齲蝕や歯周組織の問題による歯牙欠損や服 用薬品の副作用である口腔乾燥によって義歯使用困難 が生じるとともに,口腔乾燥は口腔粘膜や舌の動きを 神戸常盤大学短期大学部口腔保健学科 Kobe Tokiwa Junior College Department of Oral Health 依頼論文 超高齢社会における歯科補綴治療:歯科衛生士からの提案 金久弥生 Prosthodontic Treatment in Aged Society: Suggestion from a Dental Hygienist Yayoi Kanehisa, RDH, PhD 抄 録 高齢者における歯科補綴治療のアウトカムは,食べる機能の回復と栄養状態の維持・改善が重要な指標に なると考える.しかし,このアウトカムを得るには従来型の「診療室で義歯を完成させて終わり」とは異 なるアプローチが不可欠である.すなわち,歯科衛生士は,全身状態の低下や口腔のセルフケア困難によ り悪化した口腔内環境を管理するのみならず,患者・利用者のそばに出向き,多職種と連携しながら,義 歯を使い続けられる口を創り・護る役割を担うことができる.さらに,多職種連携を通じて歯科診療室と 地域をつなぐ役割を果たすことも可能であると考える. 和文キーワード 義歯,栄養,リハビリテーション 日本補綴歯科学会第 123 回学術大会/臨床リレーセッション 2 「サルコペニアの予防と改善に寄与する補綴歯科を目指して -多職種連携による高齢者の口腔機能,栄養,運動機能の改善-」

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日補綴会誌 Ann Jpn Prosthodont Soc 7 : 106-108, 2015

106

 歯科衛生士養成校教員に就くまでの勤務経験から,歯学部付属病院では「よく計画された口腔衛生管理によって口腔の健康は護れる」ことを,地域の歯科クリニックでは「歯科医療中心の診療体系における継続した口腔衛生管理の困難さ」を実感した.その後勤務した介護保険施設を持つ要介護高齢者ケア複合施設では,口腔機能の低下により健口体操を行うだけで上下総義歯が落ちてしまう患者もおり,口腔環境を整え,美味しく食べることの大切さを強く認識することとなった.さらに,居宅介護支援事業所の介護支援専門員として,在宅生活を営む高齢者が美味しそうに楽しく食事を召し上がる姿は周囲を支える者の笑顔を生むことに気付かされた. 超高齢社会における歯科補綴治療の目的の一つは,食べる機能を回復し栄養状態の改善に寄与することであると考える.高齢者にとって楽しみである食事1)が美味しく楽しいものであり続けられるよう,歯科衛生士は患者の側に出向き,義歯をうまく使えない口のリハビリテーションを多職種と連携実施することで義歯を使い続けられる口を創る役割を担うことができると考える.このような多職種連携を通じて,歯科衛生士は診療室と地域を繋ぐ役割をも果たすことが可能だと

考える. 高齢者の栄養管理サービスに関する調査によると,高齢者のうち施設入居者の 4 割,在宅生活高齢者の 1割が低栄養状態であることがわかっている2). また,施設別の高齢者の栄養障害の割合を Mini Nutritional Assessment を使用して調査した報告によると,病院やリハビリテーション病院入院患者の40 〜 50%は栄養障害を有しており,栄養障害の Riskも含めると約 90%は低栄養状態といっても過言ではない.さらに栄養障害の Risk も含めると地域在宅高齢者の約 40%は栄養障害を有していることもわかっている

(図 1)3). 栄養摂取の不良から生じる低栄養は,免疫力の低下や身体の機能低下を招き,直接的ならびに間接的に寝たきりや死亡の原因となる.言うまでもなく,食事摂取には口腔環境の整備と口腔機能の発揮が大切である.疾患に伴う障害や加齢に伴う生理的なサルコペニア(筋肉の量と機能の低下),廃用による身体機能および咀嚼・嚥下筋の機能低下により経口摂取困難となる.また,齲蝕や歯周組織の問題による歯牙欠損や服用薬品の副作用である口腔乾燥によって義歯使用困難が生じるとともに,口腔乾燥は口腔粘膜や舌の動きを

神戸常盤大学短期大学部口腔保健学科Kobe Tokiwa Junior College Department of Oral Health

依 頼 論 文

超高齢社会における歯科補綴治療:歯科衛生士からの提案金久弥生

Prosthodontic Treatment in Aged Society: Suggestion from a Dental Hygienist

Yayoi Kanehisa, RDH, PhD

抄 録 高齢者における歯科補綴治療のアウトカムは,食べる機能の回復と栄養状態の維持・改善が重要な指標になると考える.しかし,このアウトカムを得るには従来型の「診療室で義歯を完成させて終わり」とは異なるアプローチが不可欠である.すなわち,歯科衛生士は,全身状態の低下や口腔のセルフケア困難により悪化した口腔内環境を管理するのみならず,患者・利用者のそばに出向き,多職種と連携しながら,義歯を使い続けられる口を創り・護る役割を担うことができる.さらに,多職種連携を通じて歯科診療室と地域をつなぐ役割を果たすことも可能であると考える.

和文キーワード義歯,栄養,リハビリテーション

日本補綴歯科学会第 123 回学術大会/臨床リレーセッション 2「サルコペニアの予防と改善に寄与する補綴歯科を目指して-多職種連携による高齢者の口腔機能,栄養,運動機能の改善-」

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超高齢社会における歯科補綴治療:歯科衛生士からの提案 107

阻害し,咀嚼機能低下をまねき経口摂取困難となることも容易に想像できる.栄養障害はサルコペニアやフレイルティにもつながるため,前述した悪循環が生じることにより低栄養状態の高齢者が多く存在することになる(図2)4).このような悪循環を防止するためには,齲蝕や歯周組織が良好で歯牙および口腔周囲が機能的であり,欠損部分への補綴治療によって充分な咀嚼機能を護ることが大切である. 残存歯と咬合状態に関する京都在住健常高齢者における食物摂取量の比較においては,義歯で咬合が維持されている者は,上腕周囲長・上腕三頭筋皮下脂肪厚および野菜・果物の摂取量が有意に少なく,菓子の摂取量が有意に多いことが明らかとなっている(表 1)5). また,有歯顎者に比べて無歯顎者はビタミンや食物繊維などの栄養素の摂取が減少していたという報告もあるが 6),歯牙欠損による咬合の喪失が 3 大栄養素摂取に及ぼす影響は認められていない. 筆者らは,療養病床入院中の要介護高齢者を対象に田地らの義歯治療の適応基準7)に基づいて義歯治療による咬合の回復と栄養状態について調査を行った.臼歯部の咬合関係を喪失した者に有床義歯を作製し,義歯装着前と 6 カ月後の体重と血清アルブミン値(Alb)の変化について検討した結果,6 カ月後の時点で義歯を使用していた者は,義歯を使用していなかった者と

比べて有意に体重と Alb が増加していた(図 3)8,9).すなわち,義歯治療による口腔機能の回復が,要介護高齢者の栄養改善に有効である可能性を示唆していると考える. 高齢者における補綴治療のアウトカムとして,栄養状態の維持・改善は重要な指標となりうる.しかし,このアウトカムを得るには従来型の「診療室で義歯を完成させて終わり」とは異なる対応が必要であると考える.まず一つめは,義歯および口腔内の環境を管理することである.要介護高齢者は,全身状態の影響や口腔内のセルフケア困難などの理由で口腔内環境が悪化しやすい.口腔内のトラブルは義歯の使用を困難にするため,継続的な口腔管理が必要である.二つめは,多(他)職種連携である.近年,サルコペニアが高齢者の ADL を低下させる要因として問題となっている.その対応として,適度な運動と十分な栄養に配慮した多職種の関わる「リハビリテーション栄養」が注目されており,歯科は口腔機能の向上を通じてサルコペニアの予防・改善に貢献できると考えられる. 歯科衛生士は,歯科疾患の予防及び口腔衛生の向上を図ることを目的とし,歯牙及び口腔の疾患の予防処置・歯科診療の補助・歯科保健指導をなすことを業とする職種であると歯科衛生士法(1948 年)で位置付けられている.2010 年以降,歯科衛生士の就業数は

図 1 施設別の高齢者低栄養患者の割合

図 2 口腔・咀嚼機能障害と嚥下障害,栄養障害の関連 図 3 訪問歯科診療による全身状態への影響

Kaiser MJ et al.: Frequency of Malnutrition in Older Adults: A Multinational Perspective Using the Mini Nutritional Assessment. J Am Geriatr Soc. 2010 Sep;58(9):1734-1738.

食べる口腔環境 口腔機能

嚥下筋力低下咀嚼筋力低下

う蝕・歯周病

食べられない

歯牙欠損

咀嚼機能障害

廃用 脳血管疾患など

口腔乾燥

栄養障害

悪循環ADL低下QOL低下

口腔・咀嚼機能障害と嚥下障害、栄養障害の関連

リハビリテーション栄養ハンドブック(藤本篤士先生)改変

嚥下機能障害

表 1 咬合状態による食物摂取量の比較

京都在住健常高齢者 残存歯群(138名)

義歯群(44名)

P値(*p<0.05)

性 別 (男 /女) 41/87 19/25 0.098年 齢 (歳) 74.4±3.6 77.0±5.3 0.004*上腕周囲長 (cm) 25.8±2.3 24.7±2.1 0.004*上腕三頭筋皮下脂肪厚 (mm) 16.1±5.7 12.7±5.1 0.000*

食物摂取量

肉・魚 (g/1000kcal) 98.6±5.1 94.6±6.5 0.421卵 (g/1000kcal) 19.6±1.8 19.7±2.3 0.821豆類 (g/1000kcal) 43.6±3.0 35.4±3.8 0.162野菜・果物(g/1000kcal) 247.9±13.3 197.0±17.1 0.026*菓子類 (g/1000kcal) 22.8±2.7 35.8±3.4 0.005*

Yohshida M,KikutaniT et al.: Geriatr Gerontol Int 2011

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108 日補綴会誌  7 巻 2 号(2015)

10 万人を超え,各年齢層の歯科衛生士が就業しており,その 9 割が歯科診療所に勤務している.残りの 1 割は病院や市町村・歯科衛生士学校または養成所となっている(図 4 〜 6)10). 超高齢社会において私たち歯科衛生士の職域は変化している.義歯治療を通じた歯科医療の介入は高齢者の栄養の維持・改善に有益である.病院や施設・地域での栄養サポートチームの実施や,介護予防や介護の重症化防止のための栄養改善を通じて,補綴を含めた歯科医療は大きな効果を発揮できる.このとき歯科衛生士が患者・利用者の側に出向き,義歯をうまく使えない口のリハビリを多職種と連携実施し,義歯を使い続けられる口を創る役割を担うことの意義はきわめて大きい.このような多職種連携を通じて,診療室と地域を繋ぐ役割を果たすことも可能と考える. さらに,高齢者の栄養状態を良好に保つために歯科衛生士は,生活を対象としたケア的視点に加え,病態・症状を対象とした医学的視点を備えたケアマネジメントを実践できる必要がある.医学的・ケア的視点を備え,この両者をつなぎコーディネートすることもできると考える(図 7).

文  献 1) 加藤順吉郎.福祉施設及び老人病院等における住民利

用者(入所者・入院患者)の意識実態調査分析結果.

愛知医報 1998;1434:2–14. 2) 厚生省老人保健事業推進等補助金事業.高齢者の栄養

管理サービスに関する報告書.1998. 3) Kaiser MJ, Bauer JM, Rämsch C, Uter W, Guigoz

Y, Cederholm T et al. Frequency of Malnutrition in Older Adults: A Multinational Perspective Using the Mini Nutritional Assessment. J Am Geriatr Soc 2010; 58: 1734–1738.

4) 藤本篤士.口腔・咀嚼機能障害 リハビリテーション栄養ハンドブック.東京:医歯薬出版;2010,78–83.

5) Yoshida M, Kikutani T, Yoshikawa M, Tsuga K, Kimura M, Akagawa Y. Correlation between dental and nutritional status in community-dwelling elderly Japanese. Geriatr Gerontol Int 2011; 11: 315–319.

6) Sheiham A, Steele JG, Marcenes W, Lowe C, Finch S, Bates CJ et al. The relationship among dental status, nutrient intake, and nutrirional status in older people. J Dent Res 2001; 80: 408–413.

7) Taji T, Yoshida M, Hiasa K, Abe Y, Tsuga K, Akagawa Y. Influence of mental status on removable prosthesis compliance in institutionalized elderly persons. Int J Prosthodont 2005; 18: 146–149.

8) 厚生労働省.平成 26 年度診療報酬改定説明(歯科),<http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/0000039900.pdf/>; 2014 [accessed 2014. 11. 6].

9) Kanehisa Y, Yoshida M, Taji T, Akagawa Y, Nakamura H. Body weight and serum albumin change after prosthodontic treatment among insti-tutionalized elderly in a long-term care geriatric hospital. Community Dent Oral Epidemiol 2009; 37: 534–538.

10) 厚生労働省 . 平成 24 年衛生行政報告例(就業医療関係者)結果の概要,<http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei/12/>; 2013 [accessed 2014.11.6].

著者連絡先:金久弥生〒 653-0838 兵庫県神戸市長田区大谷町2-6-2Tel: 078-940-2482Fax: 078-643-4361(代)E-mail: [email protected]

図 4 就業歯科衛生士数の年次推移 図 5 就業場所別にみた就業歯科衛生士数

図 6 年齢階級別にみた就業歯科衛生士数の年次推移

図 7 食べられる口を護り・創るためには

平成24年衛生行政報告例〔就業医療関係者〕結果の概要

61,33167,876

73,29779,695

86,93996,442

103,180 108,123

0

20,000

40,000

60,000

80,000

100,000

120,000

1998年2000年2002年2004年2006年2008年2010年2012年

診療所98,116人(90.7%)

診療所

以外10,007人(9.3%)

保健所631人(0.6%)

市町村2,033人(1.9%)

病院5,210人(4.8%)

介護老人施設366人

(0.5%)事業所522人(0.5%)

歯科衛生士学校または

養成所786人(0.7%)その他459人(0.4%)

平成24年衛生行政報告例〔就業医療関係者〕結果の概要 0 20000 40000 60000 80000 100000 120000

1992年

1996年

2000年

2004年

2008年

2012年

25歳未満

25~29歳

30~39歳

40~49歳

50歳以上

平成24年衛生行政報告例〔就業医療関係者〕結果の概要

12369人(11.4%)

20650人(19.1%)

31772人(29.4%)

総数108,123人

96,442人

79,695人

67,8762人

56,466人

44,219人

15190人(14.1%)

28142人(26%)

医学的視点 ケア的視点病態・症状視点のアプローチ

生活的視点のアプローチ

歯科医師との協働

主治医との連携

社会資源の活用

専門職種との連携

2つの視点の支援が必要

歯科衛生士

本人・介護者相談 支援

マネジメント

歯科衛生士は、医学的・ケア的視点を備え、両者をつなぎ・コーディネートできる。

食べられる口を護り・創るためには