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Kobe University Repository : Kernel タイトル Title ニーチェのカント観について 著者 Author(s) 栃木, 掲載誌・巻号・ページ Citation 兵庫農科大學研究報告. 人文科学編,6(1):1-8 刊行日 Issue date 1963 資源タイプ Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 版区分 Resource Version publisher 権利 Rights DOI JaLCDOI 10.24546/81006203 URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81006203 PDF issue: 2020-11-16

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Kobe University Repository : Kernel

タイトルTit le ニーチェのカント観について

著者Author(s) 栃木, 亨

掲載誌・巻号・ページCitat ion 兵庫農科大學研究報告. 人文科学編,6(1):1-8

刊行日Issue date 1963

資源タイプResource Type Departmental Bullet in Paper / 紀要論文

版区分Resource Version publisher

権利Rights

DOI

JaLCDOI 10.24546/81006203

URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81006203

PDF issue: 2020-11-16

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コニ

y

l乙

のカ

「悲劇の誕生」(恩冊。岳民浮島常吋

E虫色。)は

=1チ三一十七才の処女作で

ある。リヒ

7ルト4

グ7グナ-IK樫げられたこの書において、彼はギリシャ悲

劇の起源と本質の解明に托して、己れの抱懐する芸術至上主義の世界観を青春の

情熱を以って吐露しようとした。すでに処女作においてエ

Iチェは最も-丁目チェ

的であった。彼の後年の思想とその発想の方法は蔚穿の形においてζ

とごとく本

書の内に収められていると云ってよいでおろう。激発する情熱の書は、たとえ彼

自身の希望のとおりヴアグナーその人の称讃を得ることが出来ても、パーゼル大

営みロ典文献学教授の処女作としては世人の期待に反し、同僚学者に当惑の積を与

えることになったのも当然のことと云えよう。にも拘らず-一

lチェ自身は一八八

六年に附した自序「自己批判の試み」において、この書を白血目

E自

gzn『g旬

RE

b--呼び、「私の若々しい勇気と邪推」がぶちまけられているととを認めながらも、

「言葉のあらゆる悪い意味において処女作である」としてかる。特に彼が「現在

私の極めて遺憾とするとζろは、私が当時未だあらゆる点においてかくも独自な

る直観と冒険とに対して、また独自なる言語を敢えて用うるの勇気を(或は倣慢

をw

持ち合せなかったζと、

f!私が苦労してショ

lペシハウ広ルやカンL・の方

式を用いて、カシ-bやショ

Iペンハウ且ルの精神にも、同様に彼等の趣味にも、

根抵から背馳してl

いた未知の新しい価値評価を表現しようとしたζとであ答」と

語っていることは処女作におけるカントとの関係に彼自から明臨な示唆を与えて

いるものと思われる。先ず処女作「悲劇の誕生」たおける品

lチェとカントの関

係を跡づけるζ

とから始めてみたい。

ニlチェはこの舎の冒頭におドて芸術をアポロ的芸術とディオユュツス的芸術

のこに分つ。前者に除造形芸術が属L、後者には音楽芸術が属する。造形芸術は

個別化の原理(耳目ロ丘旬以甘色丘

aE仲芯るによる仮象窃nzaS支配を根本原理

1チ且のカシふ観について(初木)

とする。

.=tデ止に従えばその語源より『輝く者』含Rωn宮山口自九回目)ぜ党明の

神である造形力の神アポ、ロはまた内的な空怨世界の美しい‘仮象

(ωnv冊目与を支配

する。

ζ

の故に造形芸術はプポ回の名にちなんで呼ばれるのである?個別化の原

理は,「中庸を得た限定、活暴なる激情からの自由、,叡智に充ちた造形家神の‘沈

静」の内に現われて造形芸術を形成する。しかしながらιIチヂによるなら帳、

芸術の原理はアポロ的なるもののみを以づゼ尽おもりで憾なかづた。

ET,チェは

音楽の本質規定に当って、ショ

fペンパクエルの廿音楽は事的らゆる他の芸術の如

〈現象の模像

gFS山富)でばな4Lτ、単品志そのものの模像であhy、従つ目て世界

の一切の形而下的なるものに対して、形而上的なるものを、一切の現象に対して

物自体(盟国向喜色

ngを表現する」との言葉を引用している。音楽は

zIチェ

によるならば、吋根源的一者

28dHaロOU

の心中における根源的矛盾と根源的

苦痛とに象徴的に関係し、従って一切の現象の彼岸に、一切の現象の以前に存在

する世界を象徴する」ものである。従って、ここでは個別化の原理に代って、根

源的世界における融合帰一(恩

54『

Rag)の感情が支配している。ニーチェは

個別化の原理の壊滅に際して現われる「人聞の、否、自然の最も深い根源かち湧

き上る歓喜に充ちた悦惚、主観的なるものの消失による完全な自己忘却、単に入

'聞と人間との間の紐帯が再び繋ぎ合わされるのみならず、自然も亦人間と和解

の祝宴を揺る」陶酔の状態をディオユュツス的・と名附け、ぞの故に音楽を

d

アィ

オユュソ又的芸術の内に属せLめた。

d-14T「且・によるなら応芸術の三原理、ァ‘ポ

HHKディJ4zdツズ降おい

τ‘その

本性上デ4

・ォ-4ユヅ共闘なるもの・はより始源問な芸術院躍であづたe

そして古代

ギリジザ}八のディオ旦且ヅス時衝動にアポd的精錬が加えられたとζLUにギザジ

+悲劇が一成立したと云う。プルキロゴスwL始る野情詩ば古代ギリシャ人の心憶に

I

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兵庫農科大学研究報告

第六巻

第一号

人文科学編

ひそむ根源的メロディ、いわば民族の生の調べを形態化したものである。メロデ

ィが詩を生むのである。歌謡の内には民族の生が脈々として息づいている。それ

がサチュロスコーラスのディオニュソス的陶酔の内に爆発したものがアティカ悲ぺ

劇の原型に外ならない。メロディが詩を生み、詩が劇を生む。劇はゐくまでもデ

ィオニュソス的状態にまで発揚された民族の生自体の形象化、!自己映出

aagH

毎日mm四宮口問)である。ギリシャ悲劇においては副形態にまで客観化された後にあ

っても、観衆はコーラスのディオニュソス的陶酔の内に実質的に劇に参加する。

この故にコーラス団、並びにこれに和する観衆のディオニユソス的昂否、即ち音

楽がギリシャ悲劇の本来的要素であって、劇形式はそのアポロ化された可視的象

徴部分を為すものである。以上を約言するならばギリシャ悲劇とはニ147ェによ

るならば「絶えず新らたにアポロ的形象世界において爆発するディオニュソス的

コーラス」であった。しからばアポロ的とディオエユツス的なる相対立する芸術

の二原理を奇しくも具備することを得たギリシャ悲劇は

=lチェにとって如何な

る価値を有する芸術でφ

めったであろうか。「悲劇の誕生」におい穴ニ

lチェの眼

目とするところは、ギリシャ悲劇の成立に関する実証的研究ではなく、その副題

「或はギリシャ精神と厭世主義」が示すように、ギリシャ悲劇に托Lて己れの世

界観を述べるところにあった。この故にニ

lチェはギリシャ悲劇の価値を論ずる

に当って、その芸術のニ原理たるアポロ的なるもの、ディオニユソス的なるもの

に形而上学的照明を与えることにより、青年の日のニ|チェ自身の形而上学の内

にギリシャ悲劇の価値、より広く芸術一般の価値を浮き出さしめようとする。今

はニ

lチェにおける「悲劇」の形而上学的背景を探らなければならぬ。

凡そ世界観には生に対する根本的な感情がその基礎に横たわっている。ニ

1チ

ェの場合、この傾向は特に優越して現われると云わなければならない。彼にとっ

て生はニ様或は二層の根本的感情を与えるものであった。先ず第一に生は根本的

に苦悩の感情を以って目せらるべきものであった。ニ

lチェが「最も繊細な、最

も苛烈な苦悩に対して無比の能力を具えていたヘラス人はその厚別な眠差を以っ

て所謂世界史の恐るベぎ破壊行為並びに自然の残虐性を覗き込んだ」と云い、ギ

リシャ人の抱いた「生存の恐怖と戦傑」を示すものとして、「自然の巨人的な力に

対するあの途方もない不信、一切の認識の上に無慈悲に君臨する毛

dラ、偉大な

る人間の友プロメテウスのあの禿隠、賢明なエディプスのあの恐しい運命、オレ

ストに母親殺害を強制するあのアトレウス一族にまつわる明眠」と列挙する時、

そこにはギリシャ人の抱いた歴史的事実としての生の苦悩の感情以上に、ニ

lチ

ェ自身の生に対する苦悩の感情がモの列挙の内に強烈に移入されているのを感ぜ

しめられる。ニ

lチエが晴朗沈静なアポロ的芸術に先立って存したギリシャ人の

厭世的傾向を説こうとして、ギリシャの民間伝承と称するセイレノスの物語を持

ち出した叙述の如きも、実証ょのも急なニ|チェの感懐、生に対する苦悩の感情

を示すものと思われるのである。

ミダス王は長い間森の中でディオニュツスの伴侶であお賢明なセイレjsスを追い廻わ

したが、彼を捉える乙とが出来なかった。一けれどもセイレノスが王の手中に陥った時、

王は、人間にとって最もよきもの、最も願わしきものは、何であるかと問うた。乙のデ

ーモンは身動きもせず強情に口をつぐんでいた。しかし遂に王に強いられて、鋭い笑と

共に、次のような言葉を吐き出したj

「惨めな一日の輩、偶然と苦労の子よ。何うして

お前は聞かない乙とがお前にとって一番利益である乙とを無理に私に云わせようとする

のか。最もよい乙とはお前には完全に手に入れ難い。それは生れなかった乙と、存在し

ない乙と、無であるζ

とだ。けれどもお前にとって次に一番ょいととは||直ぐに死ん

で了うことだ」

ニlチェの懐いた生に対する苦悩の感情はセイレノスの「惨めな一日の輩、偶

然と苦労の子よ」の一匂の内に要約される。有限な存在の悲しみである。ニ

lチ

ェは己れをとりかこむ卑小な存在の乱雑と浅薄に、約言すればその題小な愚劣に

常に悩まされなければならなかった。しかも、この有限存在の卑小は、これを翻

罪して止まぬ巨大な力の存在によって特に際わ立されるのであったが、これも亦

1チェにとっては存在の背理と無効、換言すれば生の偉大なる愚劣を身にしみ

て感ぜしめるものにすぎなかった。かくの如き苦悩の感情が若き日のニ

lチェの

生の直接体験の第一であった。しかしながらニ

1チェは亦、生の第二の根本的感

情を持っていた。それは芸術美によるところの生における悦惚たる喜悦の感情で

あった。ニーチェにとって芸術は趣味の問題でもなければ限つぶしでもなかっ

た。それは生の直接的震憾であった。当時の彼がヴアグナ

lの音楽に熱狂した

だけではなく、ヴァグナlの人格に傾倒し、彼との交際を最高の悦び、唯一の生

き甲斐とさえ感じたと云うのはこの聞の事情を物語るものである。芸術によって

ニlチェはご日の輩」もなお生けるしるしありとの喜悦、悦惚の感情を味わっ

た。この生に対する喜悦、悦惚の感情と前述の苦悩の感情は人の自に矛盾と映ず

2

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るかも知れぬ。或は過敏な感受性を以って連結され得るありふれた現象と云われ

るかも知れない。何れにせよ、このごつの根本的な感情は若き日のニ|チェに伴

った生の直接体験の事実でおり、「悲劇の誕生」における彼の形同上学は、この

相矛盾する二層の感情の事実を前提として解明されなければならないと思う。相

反する生の二感情の葛藤、相砲は当然ニ

lチェに蟻烈な形而上学的欲求を起こさ

しめた。そして彼はこの欲求をショ

lペンハウエルの哲学を借りることによって

満たしたのであった。ニ

1チェの思想を三期に分ち一八六九年より一八七六年迄

をショ

lペンハウエルとヴァグナlの影響下にあった第一期と為すことは広く行

われる説で為るが、「悲劇の誕生」におけるニ

lチェの特色はすでに独自の、し

かも生涯を貫いてからぬ織烈な生の感情を得て居り、それによる盛んな形而上学

的欲求を示めして居りながらも、それを借りられた思恕によって、しかも当の思

想の客観的真義ではなく、彼自身の主観的解釈によって、形而上学的欲求をより

急いで満足せしめようとする態度である。この性急さと客観性の欠除はニ

iチエ

生涯の短所であった。それは後には彼の思想の、表現をもとめた独自性の偉大さ

によっておぎなわれたのであるが、この書の段階においては、生の感情は本物で

ありながらも、借り物の思想によって形而上学的欲求の満足を急ぐ安易さがあ

り、それがこの害の全体を通ずる一種の熱っぽきの原因ともなっている。それら

の点については後に更にふれることにして今は、それがショ

lペンハウエルの主

観的観念論と厭世主議の独自の解釈に基くものであることを念頭におさつつ当時

のニ

lテェの形而上学的解決を跡づけてみたい。

ニlチェの云うところの「形而上学的仮定」に従うならば、我々の経験的存在

並びに世界一般は各瞬間に生産せられる根源的一者の表象である。我々が経験的

に実在と称するものは実は仮象にすぎない。完全に仮象の内に抱えられ、仮象か

ら出来ている我々はこの仮象を経験的実在として感ずることを余儀なくされてい

るが、実は時間、空間及び因果性の中における間断なき生成であって、真には存

在せざるものである。真に存在するものは根源的一者である。仮象は根源的一者

の所産であり、根源的一者は仮象に向って止まぬ根源的衝動を有する。それは根

源的一者が永違に悩むもの、矛盾に満ちたもので、その絶えざる救済のために魅

惑的な幻像、愉しき仮象を必要とするからである。根源的一者の芸術街勤が個別

化の原理となって仮象を生むのである。この故にアポロ芸術は根源的芸術街動が

一1チュのカント観について(栃木)

意識化されて生ずる仮象の仮象として、仮象に回う根源的欲求の一層高度の満足

と見倣されなければならぬ。アポロは個別化の原理の神格化であり、かくしてア

ポロ的なものは形而上学的根拠に基く芸術原理である。それが原理として教える

ところは個性の限界の遵守、「放自身を知れ」「度を過す勿れ」とのヘラス的意

味における節度である。アポロ芸術の叡智的沈静はここに基づく。しかしながら

同時に、アポロ的なるものはらくまでも仮象に托された苦悩の救済である限界を

免れ得ない。アポロ芸術の底には常に根源的苦悩の不気味な地鳴りが聞えるので

ある。ニ1

チェは更に進んで根源に即した苦悩の真の解消、即ちディオニュソス

的原理の形而上学的確立を求めてやまない。ニ

lチェは先に根源的一者が苦悩の

故に仮象を生むといったが、との言表の底には根源的一者の生むものが仮象であ

る事実がある。さきの一吉田表は、担源的一者は仮象を生む故に苦悩するとも換言出

来るのである。とまれ苦悩、矛盾のより奥には産出、創造が存ずる。苦闘による

産出、産出による苦悩に拘わらず根源的一者が真の存在である所以である。かく

して生の真の苦悩を明らかにし、苦悩の真の救済を図ろうとするニ

lチェの形而

上学が樹立せられた。根源的一者が必然的に仮象に向わなければならないことは

真の苦悩、悲劇である。しかし根源的一者がこの苦悩を超克する根源的創造でゆめ

ることは真の悲劇的救済である。さてディオエュソス原理とは個性の滅却、根源

的世界における融合帰一でおった。それは根源的一者との直接的合一なるが故

に、あらゆる苦悩を超克する根源的創造への参与として真の喜悦、悦惚を与えた

のである。ここにディオユュソス的なるものはアポロ的なるものに本性上先立つ

原理として形市上学的根拠より解明せられた。前述の如く、ギリシャ悲劇は「絶

えず新らたにアポロ的形象世界において爆発するディオニュソス的コーラス」で

った。アポロ的、ディオニュソス的二原理の形而上学的解明の為された今、ギリ

シャ悲劇の芸術的本質は次のとおりに規定せられる。それは「一切の存在するも

のは一であると云ラ根本認識、並びに悪の根源としての個性の観察、及び個性化

の回縛怯破段し得ると云う喜ばしぎ希望、回復せ

Lめられた統一の予感としての

芸術」である。それが教えるところは次の如き悲劇精神である。「我の如くであ

れ。現象の絶えざる転変の中にあって、永遠に創造的なる、永遠に生存へと強制

する、この現象の転変に下院って永遠に自己を満足せしめる根源的母

(CHBEZる

であれ。」

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兵庫農科大学研究報告

第六巻

第一号

人文科学編

以上に略述したユ

lチェの所謂「形而上学的仮説」を顧りみるならば、それが

生に対する苦悩と歓喜の二感情から出発して、ショ

lペンハウエルの原始意志

22L--o)を根源的一者の芸術衝動に代えることによって彼の形而上学的欲求を

満たしたものであることは明瞭であろう。それは彼自身が仮説と称するように一

応の形而上学的解決であって未熟、未完成を免れていない。勿論ュ

lチェ一はこの書

において形而上学自体を目的としたのではないが、全篇が高い形而上学的熱気に

包まれているだけに思想を借りる場合の安易性が特に目つくのである。全般の構

成についてはショ

lペンハウエルを借りているが、カントに倣う場合の例を引い

て見ょう。彼は主観的と見倣される持情詩人が客観的に価値ある芸術作品を創造

し得るのは、創作において詩人が根源的一者と合一することによって真の客観性

を得るからで占めると説くが、その際の設聞は次の如くである。「我々は客観性なし

には、純粋なる利害を滅した直観なしには、到底真の意味における芸術的創造の

可能なることを信じ得ない。それ故に我々の美学は先ず、如何にして持情詩人が

芸術家として可能であるかと云うあの問題を解説しなければならない」。(匂曲

E国

自己忽ロ回目

BPg岳町民W自

2円い由回目凹

310E四日

5apdq向。品目吋

Fヨ停四吋色回

開出回目白

RBSロnv宮・)この言表が何をそのままに倣ったものであるかは言を侯

たないであろう。後年の

zlテェの自負を思うならば、彼にもこの時期のあった

ことは殆んど人をして微笑ましめるものがある。しかしながらこの場合の真の問

題は、恩銀を借りるに当つての語法ではなく、その誤用の問題である。真に一箇

の思想にとっては誤用による摂取も亦新しい真理の創造であり得る。しかしなが

ら思想を借りる段階にあって話法を倣いながら、それを誤用することは致命的で

ある。ュ

lチェ自身が後年「悲劇の誕生」を

nESSE-wZ回国ロ岳と称した

真意はここに求められるのでなかろうか。引続きカントとの関係の内にこれらの

点を跡づけてみたい。

ニlチュはギリシャ悲劇は「芸術上のソク号テス主義」によって悲劇的な死を

とげたと語る。彼によるならばソクラテスは意識至上主義を始めてギリシャに導

き入れた人であった。彼は真の認識を仮象と誤謬から区別すること、もっとも

崇高な道徳的行為

ll魂の静諮すら知識の弁証法から拍き出されること、従って

それは教え得られるものであることを主張した。この全現象界を認識を以って覆

わんとする立場、意識の絶対を妄信する立場がエ

1チェの所謂ソク号テスの合理

的楽天主義である。このコ切は善くあらんがためには、意識的ならざるべから

ず」とのソクラテス主義が芸術に浸潤した時、「一切は美しくあらんがために

は‘意識的ならざるべからず」とのエウリピデスの美学を生んだ。かくして神々

の世界に代って日常の世界が悲劇に登場し、アポロ的直観に代わるものとして冷

めたい逆説的思想が、ディオニュソス的悦惚に代わるものとして火の如き激情が

現われた時、ギリシャ悲劇は芸術の二原理の死と共に死んだ。芸術上のソクラテ

ス主義がギリシャ悲劇を殺したのである。かく論じられるのを見るならば、ソク

ラテスの合理的楽天主義はニ

lチュにとって、意識の生に対する越権を許す倒落

の原理であることは明臨であろう。しかも彼によるならばこのソクラテス主畿は

当時の学の立場一般に深く尾をひいて理論的世界観(色目岳町08丘2Z毛色号2・

2nEZ口問)の本質をなしている。彼自身の立場はこれに対して悲劇的世界観

(品目。可品目

RZ巧色号ZEnE吉岡崎)である。そして両者の将来は彼によって次

の如く断ぜられている。「古い悲劇が知識及び科学の楽天主載に対する弁証法的

街動によってその軌道から押し出されたとすれば、この事実から理論的世界観と

悲劇的世界観との聞の永遠の斗争を結論することが出来るであろう。そして科学

の精神がその限界まで導かれ、普遍妥当性に対する要求がそれらの限界の証明に

よって否定された時に、初めて悲劇の再生を期待することが許されるであろう」。

ニlチュはカント哲学の立場をここに位置づけるのである。詳述するならば次の

如くである。「理論的文化の附内にまどろんでいる禍が漸次近代的人聞を不安に

し始め、そして彼が、落付を失って彼の経験の宝庫から危険を避けるための手段

を取り出そうとするが、白からかかる手段を本当に信じている訳ではなく、かく

して彼自身の帰結を予感し始めている聞に、偉大なる、普遍的天分に恵まれた人

々は、信ずべからざる深慮をもって、科学の武器そのものを利用して、認識一般

の限界と制約とを明らかにし、それによって普遍的妥当と普越的目的とに対する

科学の要求を決定的に否認する術を知っていた。かかる証明によって初めて、因

果性の手に曳かれて事物の最も深い本質を究明し得ると自負するかの妄想は、そ

の正体を認識せられたのである。カントとショ

1ベンハウエルの非凡なる勇気と

智恵が極めて困難なる勝利を、又しでも我々の文化の基底であるところの論理の

本質のうちにひそむ楽天主義に対する勝利を、獲得することに成功した。この楽

天主義が、それにとって疑3べからざる永遠の真理を持んで、一切の世界の謎の

4

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認識し得ることを信じ、空間、時間及び因果性を極めて普遍的なる妥当性を有す

る全く絶対的なる法則として取扱ったとすれば、カントは、これらのものは本来

全く、マ

lヤの作物なる単なる現象を唯一最高の実在に一角め、そしてそれを事物

の最も内部の真実の本質の代りに据え、それによってこのもの現実的認識を不可

能にするために、即ちショ

lベンハウエルの言葉によれば、夢見る者を更に一層

深い眠りに陥らせるために、役立つにす管ないこを明らかにしたのである。』

以上の所説を顧りみるならば、ユ

1チェがシ冒

1ペンハウエルの主観的観念論

のカント解釈に従いながら、カント哲学の意図或は立場を完全に誤解して、これ

を自己の悲劇的世界観に役立てようとしたことは多言を要しまい。云うまでもな

くカントは所謂独断的形而上学の夢を醒した。それはニ

lチェの云う理論的世界

観、合理的楽天主蓑を打破する意味を一面において持つかも知れない。しかしな

がらカントは独断的形而上学を倒しはしたが、学一般の立場を否定したのではな

かった。ニ

lチェの期待したような悲劇的世界観の先駆者でなかったのみなら

ず、むしろ理論的世界観のチャンピオンと云って然るべきであろう。それをニ

l

チェは「科学の式器そのものを利用して、認識一般の限界と制約を明らかにし、

それによって普遍的妥当と普通的目的とに対する科学の要求を決定的に否認する

術を知っていた」と称して、自己の悲劇的世界観の先駆たらしめようとするので

ある。大きなカント誤解と云わなければなるまい。このようなカントの学の基礎

を根拠]つける立場に対する無理解は「この楽天主義が、それにとって疑うべから

ざる永理の真理を侍んで、一切の世界の謎の認認し得ること、究明し得ることを

信じ、空間、時間及び因果性を極めて普遍なる妥当性を有する全く絶対的なる法

則として取扱ったとすれば、ヵントは、これらのものは本来全く、マ

lヤの作物

なる単なる現象を唯一最一角の実在に高め、そしてそれを事物の最も内部の真実の

本質の代りに据え、それによってこのものの現実的認識を不可能にするために、

即ちショ

lペンハウエルの言葉によれば、夢見る者を更に一層深い眠りに陥らせ

るために、役立つに過草ないことを明らかにしたのである」と云うカントの認識

批判の意義の無理解に通ずるのである。如何にもカントは現象を実在にまで高め

ることを戎めた。しかしながらカントの真意は、少くとも理論的認識に関する限

り、物自体界から切りはなされた現象界の内にこそ真理が樹立されると説くにあ

った。この故に時間、空間及び因果性と云う、夙桂の直観形式及び悟性の範腐の

一lテュのカント観について(栃木)

普遍妥当性は現象界に真理が樹立されるための第一の条件と云える。この場合カ

ント本来の立場は現象に向う学の立場、理論的世界観の立場である。しかるに=

lチェの解釈によるならば、カントは理論的世界観が「空間、時間及び因果性を

極めて普遍的なる妥当性を有する全く絶対的なる法則として取扱う」ことによっ

て「単なる現象を唯一最高の実在にまで高めよう」とするのを攻撃したのであ

る。実際には、カントは時間、空間及び因果性の普遍的妥当性を認めることによ

って、現象を実在にまで高めることを避け得たのである。或はむしろ現象を実在

にまで高める必要を感じなくなり得たのである@そのカントを上述の如くに、「理

論的世界観が時間、空間及び因果性を絶対視することによって、現象を実在にま

で高めようとする」のを攻撃したと解するのは、ュ

lチェがショlペンハウエル

の主観的観念論に倣って、時間、空間及び因呆性を目して物自体を現象からへだ

てる三重の面紗

(ωnEaoGとなし、かくの如く「濁れる媒体」に基きながら

「それにとって疑うべからざる永遠の真理を持んで、一切の世界の諮を認識し得

ること、究明し得ることを信じる」ものを理論的世界観と見倣すことに基くもの

でらる。ニ

lチェが時間、空間、因果性の絶対化を退けて、これを濁れる媒体と

なすことの底には、現象をおとしめて根源的生の立場に立つ悲劇的世界観の立場

があると云わなければならない。この故にニ|チZ

は時間、空間、因果性がカン

トにとって実際は真理樹立の条件であるにも拘らず、これを濁れる媒体と見倣し

て攻撃したと解しようとするのである。今の場合ニ

lチェの根源的生の立場は物

自体の世界に真理を求めるのである。現象の世界に真理を求めるカントの学の立

場、理論的世界観の立場とは全く相反する立場である。ニ

lチェがカントを自己

の悲劇的世界観の先艇と見倣そうとして「概念を以って把握されたディオニュソ

ス的智慧」と称するが如きは立場の相違を全く無視したカントの誤解、誤用と云

わなければなるまい。

しかしながら以上に述べたところはェ

lチェ自身が「苦労してショ

lペンハウ

エルやカントの方式を用いて、カントやショ

lペンハウエルの精神にも、同様に

彼等の趣味にも、根抵から背馳していた未知の新しい価値評価を表現しようとし

た」と明白に自己批判している点を跡づけてみたに過ぎない。「悲劇の誕生」にお

ける形而上学は借りられた思想として盟々破綻を来たしたかも知れない。しかし

ながらそのことはニ

1テェが同じく自己批判において「あらゆる点においてかく

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兵庫農科大学研究報告

第六巻

第一号

人文科学編

も独自な直観と冒険」と自負する形而上学の諸観念、ニ「チェ自身の生の感情に

基く形而上学の諸観念の価値をいささかたりとも減ずるものではあり得ない。例

えば仮象の観念は後に誤謬、虚構の観念に発展することによって浅薄な合理主義

を排除する素地をなすものであり、或は現象的苦悩から根源的苦悩に深まること

によって、その悲劇的創造の内に厭世主裁の克服を図るが如き、何れもニ

lチュ

自身の生の感情に直接裏づけられた本物の思想として、後年の生の哲学の礎石を

なすものである。今回一

lチェに求めらるべきものは「独自なる言語を敢て用らる

勇気(或は倣慢ごにすぎない。それはニ

lチェの限界となるかも知れない。し

かしそれは亦ニ

1チェの運命である。今は白からの言葉を以って自からの思想を

語るニ

lテェを求めて次著「反時代的考察」(ロロN日常何由自由回曲目回目昨日

nZE何回口)

に移らなければならぬ。

ここでは「反時代的考察」四篇の内、彼の思想の発展を跡づけるために最も実

質的な内容を持つ「教育者としてのショ

lペンハウエル」

(ωnE喜SEER包国

同日目白宮町)をとりあげてみたい。処女作「悲劇の誕生」において良く云えば情熱

的、悪く云えば少々上り気味であったエ

lチェも、この書においてはより一層地

についた態度を取戻して自己の問題を語っている。語調の烈しさは初女作と同様

でありながらも、そこ・にはいわば自己のペ

lスを知った者の自信と落ち着きがう

かがわれる。「教育者としてのシ宮

lペンハウエル」と題しながら、ショ

lペンハ

ウエルは刺身のつまで大部分は彼自身の生の形而上学の立場を打ち出そうとする

努力であることは相変らずニ

lチェ流である。この書においてもニ

lテェの思索

を動かす根本的衝動は生に対する苦悩の感情である。彼は先ず、彼の苦悩する現

実の卑小の本質を摘扶して、それを因習

285口氏自)の支配と為すことから

始める。因習とは形式的に規定するならば世俗劇の繁忙の内の自己喪失と云う生

の擬態であり、内容的に云うならばキリスト教道徳に禍された生の無気力であ

る。ここにすでに最初のキリスト教批判の現われたことはニ

lチェの自覚の進度

を示すものとして、文終生変わることのなかった彼のキリスト教批判の接近法の

雛形として興味深く思われる。この場合の彼のやや遠慮した表現に従うならば、

キリスト教の余りに高い理想の要求は古代道徳体系の自然性を打破し、自然性へ

の無感覚、むしろ嫌悪を招いた。しかるにそのキリスト教の余りに高い理想の追

求に失敗した時、〈或は耐えられないことがはっきりした時)もはや人は自然性

への背反の故に古代道徳へかえることも出来ない。かくして最早その理想に耐え

得ない虚偽のキリスト教人倫と、自然性を失った、その故に矢張り虚偽の古代道

徳との聞を訪復しているのが現代人の因習的態度の内容を為す道徳的境位であ

る。この故に現象的苦悩の克服は因習の虚偽を打破すること、個我の自覚、個我

の快復による生の実相の直視に基かなければならない。個我の自覚、その快復と

生の実相を直視することとは同一事実の表裏である。ここにおいて自覚は孤独の

道である。生の実相の直視は因習との戦を意味する。この孤独に耐え、「獅子の

戦」、因習との戦を戦ったものが-一!チェによればショ

Iペンハウエルである。

そして哀の哲学、形而上学はかかる生の自覚の上に樹てられなければならない。

ここにあって哲学者

ezzguSに求められるべきものは個我における生との

相即、人と思想の一致である。哲学者と学者

2Rの丘四町三品)の聞には明瞭な一

線が割せられなくてはならぬ。後者には偉大な人閲の苦悩が存しない。本当に真

理が探求されるのではなく、探求が探求される。その故にともすれば因習に奉仕

する「或る種の真理」を発見しようとする。彼等は必然的に因習の子、むしろそ

の奉仕者である。真の哲学者はこれに反して、生の実相を見る人、因習に対する

戦士でなくてはならぬ。ュ

lテZ

の生の形而上学の立場がここまで具体化され

る時、彼の目は改めてカントの上に注がれる。しかしながらこの場合ニ

1チェに

おいて生の形而上学の立場は確立されるに至ったが、生の立場の内容は前編「悲

劇の誕生」より多くの前進を示している訳ではない。との書において彼が生の立

場に内容的にふれていうのは第五章において予備的考察と称している人間の形而

上的境位の描写であろう。一体心ある人聞が動物に対し憐倒の情を抱くのは動物

が生きものの悩みを悩みながら、しかも自己の存在を形而上学的に理解する力を

持たずに居ると云う理由によるのである。意味のない苦悩を眺めること程人の心

を苛立たしめるものはない。動物は自己の悲惨の自覚なしに悲惨を追って生きて

いる。一切の自然が人聞を目標として枠めきょせるのは、人聞の形而上学的自覚

においてのみ自然はその動物生活の呪阻から救済されるからである。問題はどこ

で動物が終り、どこで人聞が始るかである。人が生を求めること幸福を求めるが

如くである限り、彼の視線はいまだ動物の地平を越えていない。わずかに動物が

盲目的衝動で求めるものを、より多くの意識を以ってするにすぎない。我々をこ

の段階から持ちあげて覚醒せしめるもの、それが真の人問、もはや動物ならざる

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もの、哲学者、芸術家、聖者である。彼等の出現を通じて飛躍なき自然は唯一の

飛躍をとげる。しかも歓喜の飛躍を。なぜなら自然は初めて目標に達したことを

感じるから。かくして今や、生と生成の賭博に余りに多くを賭けすぎてたことを悟

った時、自然は自己治化を実現する。そして夕方のおだやかな疲労、人間たちが

『美』と呼ぶところのものが、彼女の面輸に宿る。彼女がこの浄化の輝きを得た表

情で語るものこそ現存在に関する大いなる啓蒙〈由民主臨

E口問)である。そして死

すべきもの、人聞が望み得る最高の願望は、不断に耳を聞いて、この啓蒙に参与す

ることにあるよ以上の形而上的措写においては、さきに「悲劇の誕生」におい

て根源的一者による仮象の産出として放射的に把握された生が、逆の方向に巻き

込められて、全自然の、人間の形而上学的自覚による救済として把握されてい

る。これは無前提なままの絶対から有限への方向が、有限から絶対の方向へ逆転

された生のより具体的な把握の方向にあるものであり、後年の人聞から超人へ

の、或は高貫性による位階〈同

Bm)の思想の蘭芽とも云えようが、後半の原文引

用が示すようにその形示上学は極めて観念的、むしろ夢幻的である。それは相変

らずショ

lペンハウエルの主観的観念論と厭世主義を借りた芸術至上主義の形而

上学と云ってよいで為ろう。立場の内容が真に彼自身のものとして具体化されて

いない結果は、カント哲学の内容についても正当な把握を欠き、この書における

彼のカント観は脈絡のないむしろ相反する次のニ面観に止っている。

その一は前述の哲営者と学者の区別に従ったニ

lチェの初めてのカント批判で

ある。少し長くなるが彼の批判のニュアンスを伝えるために原文のまま引用して

みよう。

「私は哲学者というものを、彼が一箇の手本を示めすその器量相応に買うので

ある。哲学者がその示めす手本によって民衆を引きつけ得るということは疑うべ

くもない。しかし手本は単なる書物によらず、まざまざと眼に見える生活によっ

て与えられなければならない。

ji---カントは大学に槌りっき、政府に隷従し、

宗教的信仰の装いをまとい、同僚や学生を我慢していた。そこで彼の実例が何よ

りも先ず大学教授や教授哲学を生み出したのは当然なことなのだ。ショ

lペンハ

ウエルは学者階級にほとんど気兼ねをせず、自己を分離させ、国家と社会からの

独立不鴇に向って努力するが、これこそ彼の実例であり、垂範なのだ。そして我

々が眼のあたりに見るもっと力強い実例、即ちリヒ7

ルト・ヴ7グナ

lの実例は

一|チュのカント観について(栃木)

天才が自己の所有する高次の秩序と真理を顕現しようとする時、それは既存の形

式や秩序と深刻な葛藤を生ずるのをなんら恐れてはならぬということを示めす。

わが教授先生が口を酸っばくしている『真理』はしかし、いうまでもなく求むる

ところはるかに少いところの、決して秩序に叛いたり、これから離れたりする倶

れのない存在のごとくでゐる。御都合のいい、悪気のない代物でゐり、一切の既

存権力に対して、誰もそんなものに事を構えはしない、我々はただもう『純粋な

る学問』なのだと何遍も保証してみせるものなのだ。かくて、私が云おうとする

のは、ドイツにおける哲学は『純粋なる学問』をいよいよ廃業しなければならぬ

と云うこと、そしてまさにそのことが人間ショ

lペンハウエルの与えた実例なの

だと云うことである。」ニ

lチェの第一のカント観の内容とニュアンスはここに

明瞭であるう。それはカントの「真理」や「純粋なる学問」を括弧づけて取りあ

げ、それが生の実相をはなれ因習に墜し勝ちなことを暗示しながらも内容的実証

を欠いたいわば印象批評である。彼の第二のカント観は「総じて、私の見るとこ

ろ、ほんの僅かの人聞にしかカントの生命は伝わらず、血肉と化せられていな

い」との勢のよい宣言から始まる。彼の説くところを引用して見ょう。「カント

が大衆的な影響を及ぼし始めたとすれば、我々はこの影響を深く穆透し解体する

懐疑主義と相対主義の形式で認めるであろう。そしてただ疑惑の中に安閑たり得

なかった活滋な高貴な精神達の場合にのみ、疑訟のかわりにかの一切の真現に対

する衝撃と絶望が現われるだろう。たとえばハインリッヒ、フォン、クライストが

カント哲学の影響として体験したようなものが。『最近〈とクライストは例の悲

痛な調子で書いている)僕はカント哲学を知った。そして君にその一端の思想を

伝えざるを得ない。我々には、我々が真理と呼ぶものが真に真理であるのか、そ

れともそれは単にそう見えるだけなのか、決することが出来ない。もし後者なら

ば、我々がこの世で来集している真理は、死後もはやなにものでもない。そして

我々が基にはいっても失われないような所有物を獲ょうとする努力は空しい。

..

::僕の唯一の、至高の目標は崩壊した』しかり、いつになったら人聞はふたた

びこうしたクライスト的な自然さをもって感ずるだろうか。いつになったら彼等

は一箇の哲学の意味を、ふたたび、その『神聖な内奥で』で計ることを学ぶであ

ろうか。」第二のカント観に直ちに観取される矛盾は、第一のカント観において

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第一号

人文科学編

「御都合のいい、悪気のない、純粋な学問」にいそしむ「教授先生」とされたカ

ントが、この場AP如何にして「活接、高貴な精神」に対してご切の真理に対す

る衝撃の絶望」を与える哲学の創始者であり得たかの矛盾に完全に頗かぶりして

いることである。これは「反時代的考察」においてもニ

lテが依然としてカント

哲学に独断的形而上学の打倒を見て、これを直ちに理論的世界観の打破、生の立

場樹立の先艇を為したものと解しようとする段階に止っていることを示めすもの

である。ヵントの認識論における所開コペルニクス的転換も、ショ

lベンハウエ

ルの主観的観念論に従って、世界の表象化、表象世界における真理否定の形而上

学に転化されている。一面においてカントを誤り解して彼の所調生の立場の先達

と為しながら、他面においてカントの因習への繋属をあげ、学者ではあっても、

哲学者ではあり得なかったと為す矛盾は、「反時代的考察」におけるニ

lテェの

形市上学が己れ自身の内容の未だ確立されぬ、生の立場の打出にすgcぬことを物

語るものである。勿論人閣を本位とする立場はカントの立場の一であった。彼の

なした独断的形而上学の打破は独断的絶対的真理からの人間の解放である。その

意味でカントはニ

lチェの先限をなすと云えぬことはない。しかし前述したよう

に、そのことは直ちに、学の立場を否定するニ

lテZ

の生の立場を開いたもので

はない。ュ・lチェはとの場合第一のいわば印象的カント批評の内に己れの生の立

場に背反するカントを見出すに至り乍ら、第二のカント観においては旧態のまま

カントを己が生の立場の先艇を為すものと誤り解している。今ニ

lチェに求めら

るべきものは生の立場の確立に伴うべき生の立場の内容の形成である。その内容

の形成と共にカント哲学についても、その内容に即した、より正鵠な批判を期待

することが出来るであろう。

すでにふれたように

Z1チェの思想の発展段階を一八六九年から一八七六年ま

での第一期、一八七六年から一八八一年までの第二期、一八八一年から一八八八

年までの第三期に分つ通説には臭を差しはさむ余地はないと息われる。しかしな

がら第一期をショ

lベンハウエルとヴァグナーに影響された、文化及び天才を信

仰する理恕主義的な時代と特徴づける説に対しては、上述の所論に従って、そ

れが生の立場に立った芸術至上主義の悲劇的世界観の時代であり、借りられた思

想が彼の立場の本来の純粋性をそこなっている時期と見るのがより内容に即した

ものと信じる。同様に第二期をもって、ショ

lペンハウエルとグアグナーを乗り

越えて、懐疑とニヒリズムの中に突き進んでゆき、実証的な批判と破壊を試みる

精神幼佳の時代となす説に対しては、すでに確立された生の立場の内容を充たす

ために、借りられた思想をはなれるのは勿論、因習にとらわれぬ「自由な精神」

を以って生のあらゆる事象に白から直接した時期と特徴-つけたいと思う。一切の

因習を断ち切る精神は、仮象に托される生の有限性に面する時、異常な程の無条

件性を発揮する。この無件性の結果が紡佳、懐疑、暴露、破壊の現象である。し

かしながらこれは根本的な態度から出でる表面の事象であって、その底に流れる

ものはあくまでも生への通接の志向であると信じたい。「人間的余りに人間的」

(呂田口

REXZP同ロNESERERE曲)はこの期の冒頭を為すものである。ニ

lテ

ェはこの書に「自由精神のための害」の副題を附し、その自序において、自由精

神が「束縛された精神」から「大なる解放」をかち得た後に、「病的な孤独」「実

験時代の荒野」から「烏の自由、烏の視野、烏の倣慢の感情」を経て、「溢れる

安全と健康」に至る遍歴を細叙した上で、本書が自由精神の何処に位するかを暗

示している。この書の内容をなすものは「大なる解放」の内に一切の因習を断ち

切り、「病的な孤独」、「実験時代の荒野」に立ち入ったものでありながら、完全

に無条件な生への直接||「烏の自由、烏の視野、烏の倣慢の感情」に導かれる

のである。幼催、懐疑、暴露、破壊と見えるものは仮借なき生との対決、あらゆ

る因習から断ち切られた完全に無条件な生への直接における生の立場の内容充実

に外ならないのである。この書が従来の論文形式をすてて内容の散乱するアフォ

リズムの形式を採用したことも、前述の内容的無条件性に呼応する形式的無条件

性として、生をして生自体のままたらしめ、その白からなる結晶を結晶せしめよ

うとする、もっとも徹底した生への直接の仕方として取りあげられたものではな

かろうか。

(未完、原文引用に当つては小口優民訳、永上英広氏訳、石中象治氏訳を借

りた)

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