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第79号(1) 2015年10月15日

9月28日~

「八ヶ岳歩こう会」

仲間のAさんが茅ヶ岳トレッ

キングを企画してくれました。

茅ヶ岳は中央線の韮崎付近か

ら北に広い裾野をひろげてい

る山で、山容が八ヶ岳と似て

いるところから「ニセ八つ」

と呼ばれる山です。

私たちは17年前に登ったこ

とがあり、『風の通り路』第

13号に書きました。その時の

記憶では、「山頂までそんな

に時間がかからずに登れた。

あまり辛くなかった」という

印象でしたが、それは遠い昔

の事で、今回はきつい登りと

下りに、時の流れを感じる山

行となりました。

午前9時、茅ヶ岳の登山口

深田久弥記念公園集合です。

直接そこへ車で直行。韮崎駅

から車に乗り合わせて来る人

もいます。公園駐車場は標高

が約千m、早くも色づいた木々

があり、栗の木がいっ

ぱい実を落としてい

ます。

集合時刻が

近づく頃、韮崎駅集

合のメンバーが到着。

今日の行程の簡単な

説明、ストレッチを

行い、いざ出発!

駐車場から深田記

念公園に向かう林道

を10分程進み、すぐ

に登山道に入りまし

た。両側からススキ

皿やナラ、リョウブ

などの木々が茂って

道を塞ぎ、それをか

き分けるようにして

登って行きます。途中から登

山道を塞ぐように茂っていた

草や木々が少なくなり、少し

広い道をしばらく登って行く

と、舗装した車道に出ました。

登山道はそれを横切ってさら

に奥へ続いています。

歩き始めてから1時間半ほ

どで、ほぼ中間点にある女岩

に着きました。女岩は最近

「落石が多発しており、立ち

入り禁止になっている」との

こと。手前の木々にビニール

テープが張ってあり、そこか

ら右わきに登山道が付けられ

ていました。「岩が重なり合っ

ているので『3点支持』で慎

重に登ってください」とのリー

ダーの指示に気を引き締めて

登ります。大きな岩を「3点」

ならぬ「4点5点・・」(両

手両足十膝やお尻!)支持で、

よじ登りました。緊張して登っ

ていくと上の方から「ここか

ら女岩が見えますよ」の声。

前回はその真下まで行ったこ

とを思い出しました。

ここから、さらにしばらく

急登です。ナラやカラマツ、

リョウブなどの樹林の中、下

は落ち葉が厚く降り積もった

ふかふかの道です。気の早い

樹木は早くも赤や黄色に色づ

いてきていました。40分程、

登山道をジグザグに登って行

くと尾根道に出ました。

尾根道の合流点はT字路の

ようになっていて、山頂は左

方向です。「右はすぐ行き止

まりですが、眺めはいいです

よ」とのリーダーの言葉に

「行けるところまで行ってみ

よう」と、歩いていくと、確

かにすぐに大きな岩で行きど

まり。よじ登って狭い岩の上

に立てば、真っ青な空をバッ

クに奥秩父の盟主・金峰山、

瑞牆山が迫り、その隣は曲岳、

黒富士が連なっています。眼

下には紅葉が始まった樹海!

これを見られただけでも登っ

てきて良かった!

ここまでくればもう、山頂

も間近のハズ!

「ヨイショ

ッ」と岩を越え、色づいた木々

をくぐり、まだかな~と思っ

ていると前方から「着きまし

たーッ」と、うれしい声。

背丈ほどの濯木の林を抜け

ると、そこが茅ケ岳山頂でし

た。コナラ、ナナカマド、リョ

ウブなどの潅木に囲まれた山

頂はすでに何組かの登山者が

昼食をとっていました。

「茅ヶ岳

1704m」

の標識の前で各々記念写真を

撮り、お昼ごはんです。尾根

道に出る手前ですれ違った人

うらへつづく

茅ヶ岳は印象深い山です。17年前にこの山に登って、

通信13号に書き、その2ヶ月後、周平が「くも膜下出血」

で倒れました。当時はこの通信はこれで最後かと思いま

した。「風路周辺散歩道」という14号の通信を作ること

ができたのはそれから半年近く経ってから。その茅ヶ岳

に登ることができて本当に感慨深いです。17年前と同じ

く、頂上は360度のパノラマ、でもやはり濯木が茂っ

ていて、背伸びしないと山々は見え辛かったです!

山梨県北杜市小淵沢町10122

0551(36)3826 ペンション風路

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第79号(2) 2015年10月15日

表からつづく

たちの「山々は雲がかかって

いました」という話とは裏腹

に私たちが山頂に着いた時に

は雲は晴れ、南アルプス・富

士山・金峰・そして八ヶ岳も

綺麗に見えました♪

全員の記念写真を撮って、

さあ、下山です。登ってきた

道と平行につけられている登

山道は初めてで、「どんな道

なんだろう」と興味津々。が

ッ!!登りがかなりの急登だっ

たこの茅ヶ岳、登った分だけ

下りるのは当然甘くはありま

せんでした!山頂から急降下

の下り道が延々と続きました。

ズゥーッと樹林の中の道では

ほとんど展望はありません。

ひたすら下るのみ。2時間近

く下ったでしようか、登ると

きに横断した舗装された林道

に出ました。この舗装道を登

りに通った合流点まで戻り、

後は同じ道を戻りました。

茅ヶ岳は頂上からの山々の。

眺望も素晴らしく、「いい山

だなぁ」と再認識。ヘロヘロ

にはなりましたが、ゆっくり

慎重に歩けばまだなんとか大

丈夫?

しかしこの日から3

~4日、筋肉痛!

特に階段

の下りはガクガク・・・。

巡礼道の中で特に大きな街

はブルゴスとレオン。一度に

全部歩くのは無理な場合、そ

のどちらかまで、というのが

大きな目安となります。そこ

からはマドリードまで行くバ

スもあります。だからブルゴ

スまで到着したときには、

「なんとかここまでは来られ

た・・」とちょっと安堵しま

した。そしてそろそろ今回の

旅の終わりの地点を考える時

ともなりました。レオンまで

はとても無理、地図とにらめっ

こをしながら、どこまで行け

そうかを考えます。帰国便を

考えると、7月5日か6日ま

で。あと5~6日です。私た

ちが歩けるのは大体1日に16

~17㎞。また、カミーノ先輩

のフジケンからサンボルのア

ルペルゲが良かったと聞いて

いたので、できたらそこにも

泊まりたい。そこまでブルゴ

スから26㎞。私たちの脚力で

は1日ではちょっと無理。そ

れで途中の町に一泊。それか

ら、レオンまでの路線バスの

便がある町でないと・・とい

ろいろ考え、今回のゴールは

「カリオン・デ・ロス・コン

デス」にすることにしました。

スタートから370㎞。半分

にちょっと欠けるくらいのと

ころです。

10分で干物!

さて、そういうことできょ

う歩くのは12㎞。楽勝!?

ブルゴスは大都市なので街

を出るまでも長い。感心した

のは町の道路。なにしろ広い!

まず真ん中に車道の2車線、

その外側に自転車用の道。一

番外側に歩行者用の歩浪示設

けられています。人と自転車

に優しい!うらやましい!

市街地を抜けると、またま

た地平線まで見渡せる一面の

麦畑の中の道がつづきます。

きょうの宿泊地はカルサ

ス村。小さな個人経営のアル

ペルゲでした。食堂と宿泊棟

の間に洗濯機を発見♪

もち

ろん使わせてもらい(3ユー

ロ?)、物干し台を貸しても

らおうとしたら、女主人が宿

の建物の角を曲がった所にあ

る物干し台を教えてくれまし

しかし!!外はギラギラ照

りつけるものすごい日差し。

干しているわずか10数分のう

ちに自分が干物になりそうで、

慌てて建物の中に逃げ込みま

した。洗濯物は、あっという

間に乾燥。

(つづく)

エノキの名を知らない人は

まずいないだろう。なお、蝶

に関心のある人達の中には、

オオムラサキがエノキの葉を

食べることから、エノキに詳

しい人もいよう。エノキに似

て非なるムクエノキとの区別

も必要なことだし。とは言え

北海道にはエゾエノキはあっ

てもエノキはほとんど自生せ

ず、琉球列島には全くないの

で、あるいはエノキの名は耳

にしていても、木そのものを

見たことのない人はかなりい

るようだ。それに都会に住む

者にとっては、市街地でエノ

キに出会うことはごく稀であ

る。東京には「縁切り榎」

(板橋)、「縁結び榎」(豊

島)などの神樹が残されてい

るものの、他にはほとんど見

かけない。あるとすれば古く

からの公園や保護されてきた

緑地などであろう。

かつてエノキは暮らしに溶

け込んでいて、神の宿る木と

してあがめられてもいた。今

に残る「縁切り榎」「縁結び

榎」もその類で、枝に寄生す

るヤドリギを神の降臨と思い、

依代(よりしろ)とみていた。

一方、実(

紅褐色の核果、径

5㎜)

は、小さいながらも甘

みがあって、子供たちの口を

潤していた。因みにエノキ属

の学名「Ce

ltis

」が「甘い実」

という意味をもっている。な

お、薪炭材はもとより、細枝

は焚きつけに重宝された。そ

れに横張りの枝はよく茂って

木陰をつくり、緑陰樹として

最適であった。

「河端の

岸のエノキの

葉をしげみ

みちゆく人の

やどらぬはなし」藤原為家

江戸時代には街道に植えら

れ、重宝な木であった。今日

それがほとんど見られなくなっ

たのは、多分エノキは街路樹

に不適当と見なされるように

なったからであろう。葉は小

形で落ち葉の処理に手間がか

かり、それにやたらと枝を出

すので、剪定など管理がたい

へんといったことから、車優

先の街道ぞいに合わないので

あろうか。

かつては街道の両側に一里

ごとに植えられ、クロマツと

共に「一里塚」を象徴する、

いわば道のりを示す道路標識

であった。ことに東海道には

クロマツを、中山道にはエノ

キが植えられていた。枝がよ

く茂り、高さ20m、幹は直

径1mにもなり、一里塚のエ

ノキは道行く人にとっては有

難い存在で、雨を凌ぎ、また

夏に枝葉が覆って太陽を遮っ

てくれる母の懐であった。う

べなるかな、半国字の「榎」

こそ夏木立のエノキをよく表

している。一里塚のエノキは

時に勇気づけてくれる木でも

あったろう。1里といえば約

4キロもあり、諸人の中には

「くたびれたやつが

見つける一里塚」

と詠む人もいて、さぞエノキ

に心惹かれたことであろう。

思うにエノキは暮らしに深

く溶け込み、さまざまな恩恵

に浴してきたが、今日ではほ

とんど忘れ去られている。そ

んな中で今一つ述べておきた

い。枝を切られると、すぐに

多数の若枝を出し、若葉の吹

き出るエノキである。その新

葉が惣菜に使える。お浸しや

胡麻和えなどに良く、味に癖

がなくあっさりしている。噛

み応えもよく、とても高木の

葉とは思えない柔らかさであ

る。我

が家のエノキは繰り返し

剪定され、高さ3mほどで低

く、葉を摘み易く、時折茶摘

みのように枝先の柔らかな葉

を摘む。6~7月や、葉物の

少ない季節には大いに役立つ。

あらかじめ剪定しておけば夏

の末でも若葉の採取は可能で

ある。先日もお浸しにして味

わい「昔むかし飢饉の年には、

このエノキは救荒植物となっ

て人々を助けてくれた事だろ

う」と、噛みしめ噛みしめ思

いをはせた。