Instructions for use -...

32
Instructions for use Title 滿洲國密山縣に於ける開拓農と滿農との農家經濟比較 Author(s) 荒又, 操 Citation 北海道帝國大學法經會法經會論叢, 11, 1-31 Issue Date 1945-02 Doc URL http://hdl.handle.net/2115/10718 Type bulletin (article) File Information 11_p1-31.pdf Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

Transcript of Instructions for use -...

Page 1: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

Instructions for use

Title 滿洲國密山縣に於ける開拓農と滿農との農家經濟比較

Author(s) 荒又, 操

Citation 北海道帝國大學法經會法經會論叢, 11, 1-31

Issue Date 1945-02

Doc URL http://hdl.handle.net/2115/10718

Type bulletin (article)

File Information 11_p1-31.pdf

Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP

Page 2: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲園密山勝に於げる開拓農芝浦農之の

農家経済比較

満洲事費後朝野の認識徹底と共に漸く我が闘策としての本腰が入った満洲開拓民問題の重要性は、満洲より北

支中南支へと我が岡の施策経営分野の南方的構大と共に加重して止ま守、特に大東亜戦争の勃裂は南方的硯角に

その重要を譲ったかの表見にも拘らや、内質的には却って径々斯問題の合目的々稔り豊か友愛民の緊喫性を加へ、

今や大東亜聖業の根本鍵鎗の一が貫に斯問題に託されて居るの事買を疑ふ者がない。満洲開拓民問題の此の重要

は、

一つには、新東亜諸民族の中穏として、向後その質量的充賓の要請せられる我が大和民族の挺史的精神的農

民的健会性の培養増殖源たるの期待に掛り、二つには、大東亜需給闘係に鹿やる農産特に食糧生産基地としての

満洲に於て、コ一千寓満農の聞に伍して械黙の中に之に方向と基準を輿ふる所の満州農業の合目的々時俊民の内部的

賓質的推進者たるの期待に掛って居り、而かも右岡佃の期待が共に我が閥防目的の充賓建成に腕するものなるに

五つては問より之を言ふまでもない。

庭で、満洲開拓民が能く右に述べた二面の基本

H的に臆へ得る矯めには、銀十寛その何れの目的に見ても、その

満洲園密山懸に於ける開拓農と満且民主の農家輝線開比較

Page 3: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較

物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀俸給等生産経

情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活

基盤たる農家粧情そのもの

L健全性とそが根本的に富一要でるhv、共は入地と共に可成的速やかにそして年と共に

毎々高められて冶らねばならねのである。而して謂ふ鹿の農家経掛の健全性とは‘開拓農民の叙上民族的大東亜

的負荷の白魔に依って運替される意思粧摘であると一言ふととであり、より兵器的には、その私粧桝的充賓と犬東

亜粧情的直接寄興との客観的統一性の事質の存在並にその高度達成への意欲の存在に外友ら・ない。斯くて減刑判に

於ける開拓農の農家粧掛の内容的理解は、開拓民移植が我が闘策として闘民的支持の上に組織的に進められる様

になってから'既に十年を出で、その選出十高戸を数ふるに至った今日に於ては、向後のあらゆる織洲開拓政策の具

樫的樹立貰行のためにその基本的照尺準縄を輿ふるもので

bるが、而かも右の照尺準縄の正しきを得るためには、

その前提的素材として信傍すべき多数の農家経楠調官官資料が整はねばならない。教に陶拓農の農家経情調亦及び

之と釘照的に一般満農の農家経掛調脊一の重要があるのであるが、此の重要調布が各方面に於て・次第に盛んと友り、

その成果は今や漸く此の種資料の枇合的充賓と友って、事者の此の方面K於ける研究報開に甚だしく事快かぬに

五つて居るととは異に喜ばしき次第である。わけても満州岡立開拓研究所が

Eしき農家経桝簿記珂論に基いて調

茶殻表しつ

Lある附拓農及び満農のそれぞれの農家経情調夜は研究者の精細なる分析綜合を待って居り、共の研

究慾を刺戟してゐる。私も轟きに昭和十六年ハ康徳八年〉七月右研安所委蝿による開拓農村綜合調奈の北大班と

して農製部厚生九名と共に第五次集圏開拓村たる物山勝信濃村に足を入れた。時恰かも樹ソ開戦直後であり間際

政局の激動を身近かに感じっ

Lも、われわれは嘗初の計壷に従ひ右開拓村Kまる一ヶ月滞在して開拓農村の枇命

的経抑的技術的各般の研究資料を彼地農村農家に闘して集中的に蒐集して爾後の研究に費すべく、此の時代に生

きる研究者ながらの閥民的緊張を以って調奈を開始したのでるったが、彼地に在ると

kE味僚かに六日、われわれ

Page 4: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

の調官刊の漸く其の特につかんとしたとき調寮中止蹄還の命により退村の余儀ゑきに烹り、期する調寮結果の何も

のをも之を得-なかったととは買に遺憾であった。そねにしてもわれわれは僅かに観察聴取し或は採集し得た費料

による二際の報告書をものし、それぞれの携営事生名義を以て調脊委嘱者たる開拓研究所長に提出し、そして其

の一部は「大陸開拓」ハ第四輯及び第五輯)に掲載公表せられるととろがるった。庭で、もと右の調祢行

K於ける

わたくしの耕作した課題の一つには嚢迷P意味

κ於て信濃村開拓農の農家経統制調奈があり、而かも之と比較割照

の資料として同じく信濃村区域内に在る満農及び鮮農の農家経摘を調茶し其白結果の庭理研究に率的興味を感十

るものがあったのであり、従って之が調査を同行副学生の中農業経掛皐科の花崎一郎・小銭原和夫・高田義則のコ一

君と共に組織的に計重し開始したのであったが、叙上の現によってわれわれの得たものは僅かに開拓農家九戸に

過ぎや,、而かも右の九戸と雌も営時の事情に於て調奈の便宜上之を他臼に期するを遁営として然るペく目論んで

ゐた項目の如きが遂にそのま』未調夜に帥膨らざるを得なかったので、結果は甚だ粗策不備たるを免れゑいものと

-なった。さるにても、

われわれは之を放棄するに忍び市、前記報告書の外に紋上コ一君は更らに共の課業の暇々に

わたく10もとで之を一部集計してくれた。爾後わたくしの健康的障碍は右三君の努力を結質せしめや中途に死

蔵さ

Lてゐた憾みがあるが、此度瀬く些一か之を吟味するととが出来たので、設に其の中相常信侍されて然るべし

と思はるLあらすぢ部分だけを簡壌に記載にうっすととLしたのである。

是れ同より、叙上重大分野に封し極めてさL

やかな資料の一添加には過ぎ友いけれども、わた〈しにとっては

前記三君!ll今日軍人寧嵐としで前線の重任につき或はつかんとして居る

ilの武運を祈るの一のよすがではあ

ー'-

満洲閤容山鯨に於ける開拓農主務農との農家経済比駿

Page 5: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲闘密山鯨に於ける開拓農と浦義との農家経済比較

-じhur

相似てわれわれの信龍村開拓農の農家経情調布

d前速の様に九戸に止まった。而かもその中一戸はわれわれの聴

取結果たる敢字を吟味するに矛盾するととろ甚だしく共の数値に殆ん

E信を置き難きものあり、叉他の一戸はそ

の近隣農家との共同共替的色彩の濃厚友るものであり、われわれの聴取した他の開拓農家とは性質上異るものが

あって共に之を削除するを必要と認めたので、従ってわれわれの裁に採用するものは健かに七戸に過ぎないとと

Lなった。が、われわれの調斉農家はもと二戸乃至コ一戸宛村内各地院がら選んだそれでるり、叉後述の理由によっ

て前の採用農家七戸は戸数に於て遊だ少い・ながらも一躍信濃開拓村の各地商品家を代表してゐると見られてよい。

と言ふのは、われわれは信濃村開拓協同組合本部ハ村公署)昨於て翰閉め同一地区内の上、中、下居と目さるh

れぞれの代表的農家を選定して之れが調夜を進めんとして準備してゐたのでるるが、而かも僅か・ながら一臨の聴

取を了った農家各戸の調寂の結果の吟味に、よって判明じたととろでは、それは組合本部職員の輪開めわれわれに語

ってゐた様に・本村では少くも営時、比較的上屠とし比較的下暦とされたものも、それは務め斯る直分の下にそれ

ぞれの根本農家の選定を求めるわれわれのために謂はど強ひてつけられた匝分に過ぎや、その相互間の農家経柄

的内容にはさしたる軒軽を認め難いものであったのであり、此の意味で信濃開拓村は概ね等質的開拓農家によっ

て少くも常時まで構成されてめったと-一一一口ふととが出来る。之れ恐らく此の地に第五次開拓国として入地した圏員

が年齢共他に於ける一定の制限傑件を以て選ばれた青年者に限られ而かも会圏員謹く信州内に之を求められたと

言ふととに加へて、昭和十二年入地して以来首時禾夜間年一役経て居るに過ぎや、例人経俸に移行して一年、われ‘

われの訪れたのがその二年日であると言ふハ大陸開拓第五輯、荒叉・花崎・小笠原稿、)開拓村の年齢的若さによ

るものであらう。ともあれ、その構成する開拓農家経済の内容の概ね等質的なるととは、本開拓村の叙上調布採

用農家の七戸と言ふ僅少な数も、木村開拓農家経情内容の素描を得るの目的に闘する限り、その根本農家敢とし

てはむしろ十分であるのみなら守、われわれは更らに右七戸の各項目別平均数字にまって、吏らに短縮じた形で

Page 6: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

本村開拓農家経捕の態様を甚だしき無理なしに之を韻みとるととが同来るのでるる。此の故に叉紙両の制限故も

あり、われわれは以下車に右七戸の各項目別平均数字のみを掲げ、之に配するに開拓研究所による農家経済調夜

の結裂から、特に同じく密山廓に所在する第五次黒台開拓村ハ八戸平均〉、第六次西二道山間開拓村ハ四戸平均〉|

大陸開拓第八輯東安省開拓村農家経憐調夜ーを以ってするととによって統山牒開拓農の大様を示すと共に、嚢き

にわれわれが直接自ら之をせんとして果し符友かったととろの一信濃村身内の満農の農家軽油相調奈の代りに、裁に

同ヒく開拓研究所によって調奈護表せられたL」とろの減農の農家経済調杏の中から密山殿内のものハ密山街三戸、一

ぷ1

陽銀五戸計八戸平均、康徳七年度満農経情調査〉を封照摘記して、われわれが信濃村調官引に於て問題の首題と

して意闘した庖の同一地置に於ける開拓農と満農との農家経情比較に、甚だ不十分たがら1

1同じ密山腕だから

と(一一一一円うて農業的同一地区とするととは間より甚だしき無理がある。信濃村と密山筒、千陽鎖とでは相互間に、自

然環境にも枇合経情環境にも著しき相異があるであらう1

1一際翻察の臨を向けて見ようと思ふのである。備本

文に併記した北海道十勝の農家経情調杏数字は田口正信君の改算数字を基礎としてゐる。

調布教字の年次はわれわれの信濃村開拓農と密山腕満農のそれは昭和十五年(康徳七年)であり、密山鯨の他

の一一開拓農村のそれは何れも昭和十六年(康徳八年)であり、北海道十勝農家のそれは昭和十四年度(康徳六年)

であり、われわれの信濃村調夜と密山勝浦農の調杏一年次を中心として故に参考的に拐記した他の二資料の年決が

それぞれ前後に一年宛ふれてゐるととは遺憾であるが、一品口k

が意同する首題に直接関係するととろの信濃村開拓

農と・符山満農とは共に同ヒ昭和十五年のそれであるととを以てわれわれは教には之を満足せねばならぬ。われわ

れが首題の農家経楠比較に於で見んとするととろの各項目に就いて、之と統一的に封照比較し得る資料は之を他

K求め鄭いからである。尤も開拓研安所による黒台、西二道山聞の数字及び回日君Kょった北梅選十勝農家のそれ

も、設にはその億

κは抱記され難く、我々の首題たる信濃村開拓農と斡山鯨満農との農家粧怖の各項目別比較に

満洲間密山鯨に於ける開拓農と滞農主の農家経済比駿

Page 7: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

縄開洲圏密山燃に於ける開拓農と満農との農家樫諸問比較

}J

族 履 傭 人

年工月 ヱ

日 ヱ〈延〉く年 傭〉 (日 儲)

見|女|計 男|女|計 男|女|計男|女|計2.12 1.50 3.62 0.25 一 0.2ラ 0.12 55.37

58.ラ 41.5 100.。100.0 一 100.0 100.。-1 100.01 100.0 100.。1.9 2.0 0.3 0.7 0.7 53.9 2.5 56.4

48.7 51.3 100. 100.0 100.。一 100.。95.6 4.4 100.0

2.71 5.511 0.71 2.8 31.0 3.3 34.3

50.9 49.11 100.011 100.01 100.。一 90.3 9.7 100.0

F ? 0.6 487.5 147.5 635.0

100.0 ? i 100.0 F F 100.0 76.8 23.2 100.0

9.5

100.0 100.0 100.。

働告事

」ーノ、

際ヒ得る様に、簡単な改算を施したのである。尤

も農家経情鱒詑理論を以ってすればむしろ前二者

に於てとそより精轍性があるのであるが、されば

とてわれわれは、われわれの信濃村開拓農家粧掛

調杏一を前者にそのま』比較し得る様に改算すると

とは、胃頭の迎による

bれわれの調賓の不備故に

十分に之をなし難きのみなら歩、密山鯨満農の数

字に闘しては之を同様に改算すべき何等D手掛り

資料もわれ

bれの手許には興へられてゐ友いから

である。

以上わたくしは此の小論に拍記する調夜数字の

由来の大要を述べた。以下その内容の説明乃五議

み取りに進むととLする。

先づ農家経捕の基礎としての勢働力註見る。農

家経桝の州労働力として最も大いなる地位を山める

ものが原則として家族勢働力であるととは言ふま

でもゑい。之を全家族民敢に見ると信濃村開拓農'

Page 8: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

開主どLて農最業重丁|に謂語従画面事正面す己る7中家2正族日一二 島一譜V一体富市 l l せざる家族

男|女|計

!賓段 !1山田 1げ7円…5信(7戸濃卒均村〉 構成(%比 134.6113.8148.413.3113.8!17.1137.9!27.6!6ラ.5120.71 13.81 34.5

黒く8戸塞卒均村d構賓:略敏

1.11 0.4 1.5 -10.6' 0.6 1.1 1.0 判 0.8 1.0 ・8

28.2110.3 38.5 -115.4 15.4 28.2 25.7 53.9i 20.51

25.6 46.1

I.3 o判乙O -1 ~'~I 凹 1.3 1.0 2.3 1.5 1.7 3.2

西伊二道卒儲均村〉 構ヰ若 23.6 12.71 36.3 - 5.51 5.5 23.9 18.2 41.8 27.3 30.9 58.2

!寅致 4.1 イ4.1 4.9: 9.1113.7122.81

密く8山戸懸卒浦均農〉 構成(,比6J 14.8 -114.8 2.91 -1 2.91 17. ー 17.732.8149.51 82.3

雌 十勝号/j電唱磁 I 2.5 1.9 4644 .4

F ? I 5.1

26.3 20.0 F

満洲周密山燃に於ける開拓農と務長との農家経済比絞

では三人六この小家俊なるに封して密山鯨満農で

は貫に二七人七の犬家旅でるる。信濃村開拓農の

小家族友るは、前にも一寸踊れた様に、開拓固と

して入植首初圏員は多く縄身の青年屠であり、萎

帯者は殆んどなかったととによって諾かれるので

あって、彼等は入植後妻を迎へて始めて一家を樹

て共蕗に多くは一名稀に二名の子供がまうけられ

て居ると言った庭であり、向郷里より弟或は妹等

の少年者を招致してゐるものもあるが、何れにし

ても一家の創立されて未だ年を経ぬが矯めの小家

放である。(前掲、拙稿)、小家族なる黙に於て黒

台開拓農ハコ一人九)は信濃と概ね同様である。た

ピ西二道山岡〈五人五)では入植年夫の一年遅きに

も拘らや柏k

大きいのは恐らく入植時の圏員構成

の仕方に於て信濃とは異るものがるり既に家族持

ちの圏員が多かったものであらうと想像される。

之に封して符山鯨満農の甚だしき大家族なる、斯

くの如きが該地方満農に一般的の標準でるるとは

思へぬが、それにしても開拓農に比して格段に多

Page 9: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲園密山燃に於ける開拓且民主滅長との農家経済比較

くの家肱員を擁するととだけは協かである。北海道十勝農家では開拓農よりは遥かに多くの家族員を擁するハ九

人五〉が問より淵農

ωそれには遠く及ばないのでわる。

然らば右の中農業に従事する唱のはと一一古川ふと信濃(信濃村開拓農以下同断d

では二人三七であって家族会員の六

割五分をい内めて居り、更らにその中主として農業に従事する(百

H以上、以下同断)の者が一人七五で家放全員

の間割八分徐に営ってゐる。此の駐黒台、四二道山岡では何れも前者に比し家俊民教の多きにも拘らや農業に従事

する者の数は却って少く、従って共の割合はやっと下ってそれぞれ五割問分、四割二分に何れも満たないのでる

るが、更らに之を主として農業に従事する者に見ると、黒台が三割八分齢、四二道山岡では三割六分飴に過きな

ぃ。要するに同じ符山腕内の開拓農0・中でも信濃では家族員中農業附労働力として現に活用されてゐるものL敢が

絶封的にも相封的にも断然大きいと一言ふととである。之れ既迷信濃農家の家の若さ、若き経替主夫妻(夫一一十七、

八歳、妻二十四、五歳が普通)に少年者一生以ってする家俊財労働力構成、共鹿には前に一一宮一口った様に多く一名の乳幼

見の外は稼働し件ざる家伎を有たぬからである。ともあれ右開拓農家族の農業畑労働力闘係に劃して、減農ハ続山

鯨浦農以下同断)では、前叙の如き多数の家族員も誌の大字(八割二分飴、二二人八)は農業に従事せざる者

であり、従って農業に従事する者は五人、金家族員数白一割八分に満た歩、主として農業に従事する者は間入、

全家族員数の一一割冗分に満たないのである。市かも彼等は後に述べる様に四十二町歩の大面積を極めて多数の雇

傭人(年工五人、

H工延六三五人)によって経替してゐるのであり、畢克その農業経替は家侠蹴労働と雇傭畑労働に

概ね一封この割合に、一言ひかへれば全農業労働中家族勢働はその三分の一を占めるに過ぎないのを見ると、絃に

引服しつ

Lある開拓研究所による締山腕の締農調夜は、特に然る記載はないが、相営の上民地農のみが謹ばれて居

ると見られる。北海道ハ北海道十勝農家、以下同断ゾでは家族中川割六分館が農業労働に従事し、その貫教(阿

人四)は右端農

κ於けるそれに近いのは家族稼働労働率の驚くぺき隔りと言ばねば友らぬ。

Page 10: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

扱て満農

ω雇傭努働力が右の如くであるに封して開拓農では信撲にが、て年工

O人二五、月工

O人二一、日工延

五一立人三七で溺農の十分の一にも営らない。

黒台は之よりは月工に於て多くハ

O人七三

ヱに於て前二者より少いが、年工は

O人七で三倍に近い。前越黒蓋、四二道山岡での家族稼働問労働力の僅少は主と

西二道山岡は月工及び日

して前者は月工によって後者は年工によって椀はれてゐるととが教に見られる。

κ土地利用闘係を見ょう

n

信濃では自家割営耕地面積八町六畝白中六町九反六畝だけ自替し他

ω一町一反は

之を貸付けてゐる。割首耕地を小作に附するととは満開開拓地の替農に於て従来院しく問題にされて来たととろ

であるが、入植後日向浅く経管主夫妻の外に之れはと言ふ家挟努働力を有た守、夏らに妻は多く手のかh

る乳幼

児をかL

へてゐる信濃としては、それで前述僅かの雇傭努働を補ふだけで約七町の耕地を自替し得てゐるととは、

むしろ他の之より古い有名な某々開拓村のそれに鑑みて成績の良好を言はねばなるまい。われわれは之に封照さ

るべき黒台、四二道山闘の資料を有たぬけれども、信濃が小家族勢働力を以って個人鰹替に移行した初年度に就に

比較的蹟い面積をよくとなしてゐると言ふのは、之れ彼等が少枇気鋭であるととの外、信州人一流の翁醜を有ち

出身、身われわれの観察の限りでは教育程度も概して高く、皆農諸技術の改善に封する閥心が深いと見られる賠に掛

るととろが多いと思はれる。其の作付内容は禾穀作に一一一割七分儀、寂穀作に三割五分で、園事作、飼料作が共に

一割二分程度、他に根菜作(馬鈴薯)三分と言った分配で、園事作と飼料作、特に閤喜作(主として藤菜)の多い

のがハ八反六畝)注目せられるのであって、作自の構成から見て相首集約的であると謂はるべきである。之に封し

て満農の土地利用閥係では彼等は平均五十七町三反の耕地を有ち内十五町一一民を貸付けてゐる外、買に四十二町

二反の耕地を前越比較的僅かの家鉄と極めて多量の雇傭附労働投下に依って経営してゐるのでるる。そして作付の

出削洲園密山師腕妃於ける開拓長と浦義との農家経済比絞

Page 11: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

ぐ単位反〉用手リ地土

続洲闘密山鯨に於ける開拓農と精農との農家極端阿比較

11.0 80汁十

利用土地面積

85.41

敷 i草 1;廷

8.4 69.6

草寺

574.61 。〆内ぷ

4にJq

3

Zノ

l刈 100.0

2.α421.6

0.51 100.0

3.091 12.651 170.56

1.81 7.41 100.0

工掴帆一馬鈴一磐

2.1

$1.s

2.1

2.1

0.5

-l2.98

3.0

2.2

5.90

9.1 9.1

O

7.6

内容は禾穀作に六割二分五庫、寂穀作に三割二分飴であり、他

の根菜作、工事作、園事作及び園事作は共の割合極めて少く、

信濃に比して禾穀作の割合が著しく多いのが目立つのであり、

作目構成は信濃に比して遥かに粗放的でるる。今雇傭蹴労働力を

極めて大まかに年ヱはそのまLを月ヱはその二分の一を日工延

日教は百五十日を以て一人と看倣し之れを農業に従事する家族

数に加算して穣働附労働力の総計とするととが許さるLならば、

信濃では二人九九、満農では一四人囲内となるが、之を以って

穣働附労働力一入賞作付耕地面積生出すと、信濃ではこ町二反問

畝、満農では二町九反二畝となり湖農の方が一入賞六反八畝税

廃いととL友るけれども、斯る聞きは前述の作目構成の相同時如何

度から見てむしろ営然で決して開拓農家の稼働能率が渦農のそ

れに劣るととを示すものではなく、むしろ共の反封を暗示する

ものである。北海道では十七町歩飴を作付してゐる中で寂穀作

3.5

が十町飴約六割を見てゐるが、之は所謂豆の十勝の農家だから

であり、而かも豆偏作と常に一言はれてゐるけれ

Eもその作目の

根菜作、工事作、飼料作等への分散度は満農に於けるそれより

は遥かに高いのである。

Page 12: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

「rF「::Ji「l::;(刊「予で門ι1121l lJ11::l i l10;;:J

二.炎

数{賓北海道十勝}

l構成比

農家経怖の基礎としては、上越附労働力と土地利用闘係のみで

はなく、農家財産の構成、特作家寸前、農機具等農業財産闘係に

闘して首題の比較むな仁度いのでるるけれども、之をなすべく

数字が十分でなく残念・ながら裁には之を割愛し、われわれは弐

に農家経一的成果の構成的内容の比較検討に入らねばたらない。

先づ農家経怖に於ける所得経摘部両である。大槻教授は所得

的牧入(現金牧入と見てよい)と生庭及び牧得現物家計仕向傾

〔簡単に一家計仕向」

ξ言ふ〉を如へたものを所得的組牧入と

し、之れに更らに固定結果財の年間増殖傾及び流動結果財の年

閥均加瀬ハ簡単に「増殖・増加」と言ふ)を加へて之を組所得

(所得を得るために要した費用たる後遮の所得的失突を未だ差

引かない前の総儲け高)とせられ、右に封して所得的支出(所得

を作る潟めの現金支出と見てよい)に同定資産の減耗制即ち減

債償却制及び流動借用財の年間減少翻(簡単に「減耗・減少」

と言ふ)を加へ之に吏らに州労働者間支給額一佐加へたものを所得

的失費と名づけ、そして粗所得から所得的失発を差引いて農家

所仰を山内すべきものとして居られる(大槻正男、農業簿記原理第一本特にその第六章)のであり、理論的に買に

;r;

密山欄長!賞く8戸.zp:均)l構成比

l貿信 濃村 (く7戸zp..均)¥構成比

務洲開唱曲山豚に於ける開拓農と精農との農家鱈済比較

Page 13: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲閤府知山豚に於ける開拓農と潟長との農家極済比較

然りである。此にわれわれの訓術研究も出来れば斯様に精鰍に分析研究し度く思ったのであおけれども、開頭に

述べた理山によって、信政村の素材は斯る仕方に必やしも十分に耐へ仰ない。のみならや、設にわれわれの比較

の釘象でるみ所の湖農訓持を右様に改算すべくわれわれには何等の手掛りを奥へられてゐたい。止むなく設にわ

れわれは所件経掛部而のプラスの側の「増殖・増加」とマヰナスの側の「減耗・減少」とは相互に相殺されるものと

して、相k

大まかではあるが之乞無硯するととL

し、又家計費は般需には勿論之を所得絞情部商たる帥労働者賄支

給額と消費粧消部両たる家放負捨家計伐とに分割するととによって、農家粧掛内容の仔細な考察の範園が聞かれ

るのでるるが、期る分割も従ってその結果関かれる種々興味ある考察も設には之を断念せざるを枠友かった。従

って絃でわれわれの考察するものは、プラスの側では所得的牧入ハ現金収入)と家計仕向並にその計たる所得的

マヰナスの側では所得的支出(所得を得るための現金支出υ

のみであり、叉後段に、所得的線牧

総牧入で

bり、

入より所作的支出を差引いたものを以って之を便宜上所得的純牧入として、

1

1従って此の場合労働者は之れへ

の賄支給の限りに於て家肢と川一に宥倣されてゐるととLたる!lj一腹背題の考察をするととL

した。

先づ所内純術部耐のプラスの側でるる。所得的総牧入の構成内容の中、

「所得的牧入」は現金牧入であり、農

家の所作杭怖のプラス而に於ける貨幣純情部分た示すに釘して、

と宥倣されて冗敷しからう。

「家計仕向」は同巳く共の震物純情部分である

..... ,、

抜て開拓農と湖段とそれ件¥の町内経怖のプラス而は如何様であり、相互間に如何友る相異があるか。農家総枚

入(所作的組収入の総計)の比一収から始める。之れを児ると信濃では約二、三

OO闘であって、虫…長の約三、

000

閥、刊二遊山川の約二、ぃハ

OO凶よりをれ件¥七

Oο闘とさ

OOMの開きを以って少い。が綜とて開拓農では二、一一一・

Page 14: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

千闘と一一丙ふととにたるに封して、満農では八、五六

O闘となって居り、信濃の一一一俗七、開拓農中で最も大きい黒

宇多の訟ほ二佑八に常ってゐる

F

開拓農と満農との農家総牧入に於ける此の懸隔はそれ自障としては大きいが、批川

し之を前にわれわれの凡て来た農家経怖の基礎部面のそれに釘照するとき、設に相互聞の開きがむしろ著しく縮

少されてゐるととを認める。今、前項で用ひた所の賊労働力の総計信濃二人九九、満農一四人間間を教に用ひて・労

倒力一人首りの農家総牧入を算出すると、信濃七七

O闘に到して渦農は五九

O国飴と一雷同ふととになる。とれまで

渦農のそれに比し外観的に飴りに小さく見えた開拓農信濃の農家経抑制む却って内容的に必守しも貧弱に非るとと

が今や漸く隠見されて来犬。倫北海道は、九人五の家族と

O人五の年雇を有つに過ぎないのに共の農家組牧入が

六、ご

OO同に現はれてゐるとと段、二七人七の犬家族と他K多数の雇傭勢働者を擁する淵農の農家組牧入の八、

五六

O一闘なると、之を劃照的に見るとき、北出道山此の農家総牧入の有つ賓質的意義の彼れのそれと如何に著し

く相異するものがるるかは詮明を要し・ない。

次に然らば右に辿べた農家総牧入は如何怒る源から出て来てゐるか。右

ω山中

Eの程度のものが農業的欣入であ

るのかである。われわれの集計では農家粧簡の所作粧桝部両を生産経桝と共他とに二分し、生産経栴面は之を耕

種、養音、加工及び山林の四部門とした。加工は勿論殆んど全く農産加工であるから、生車問経済崩中、耕種、養

帯、加工のコ一部門の牧入の合計は農業牧入でるり、之に山林を加へた生産経情牧入はそのまL時間義農業牧入と看

倣してよいので

bる。

抜て前越の農家総牧入の中、右の生慮経済収入の割合は信濃が七割七分四厘で、畑一耐墓六割八分七厘、四一.近山同

六割三分七厘であるe

即ち開拓農の農家経済の所得経桝面の中で信撲のそれが最も生産経済的に従って設では蹟

義州民業的に濃密であると・言ふととに友る。之に封して満農は八割七分五原、北海道七割五分九匝であって、北海

道は信濃と大差なく、満農に於てそれがは収も濃厚でるるととが知られる。その依って来たるととろが、生産維持

時仰洲関密山際に於ける開拓農k瀬島民との農家臨済均鞍

Page 15: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲閤密山燃に於ける開拓藤井」減長との農家経済比較

以外の「共他」の諸羽目ハ「財産利則」、「賃銀体給」、「雑」)並に「柿助金被賦金」の牧入割合の多小誌にあるとと

は勿論であるが、その中、川刊に「賃銀俸給」牧入が満農に於て極めて少い(五六闘二五、

od拘七)に劃して、開

拓農に於てはその割合が多く特に回二道崩(六七一一回五三、二五%八)を最とし税度の差は

bるが思議ハ三八阿国

一二Mm八)もまた、斯る収入が絶封的にも相封的にも極めて多いと言ふとと、そして、開拓農の中では信

五一一一、

濃ハ一川一二一凶五七、六%ニ)だけが之れが比較的少く、割合で言って北海道

C二四五国

OO、五%ムハ〉のそれを上

廻るとと慌少の程度であり、そして満農に於ては之れは極めて少いのである。畢覚「賃銀俸給」が右の決定的要

悶を・なしてゐるととを知るのであって、之を開拓農のみに限定して言へば、われわれが嚢き陀見た様な、信濃が

他のご開拓設に比して北の農家総収入の低いのも、此の「託銀俸給」が少いととがHMも多く閥係じてゐるととで

ある。そして山脱出家組牧入に於て謀議の特に梢々著しく多くあらはれてゐたのは右「賃銀俸給」の外に更らに「柿

助金被賦金」の多いとと

κ悲因するもので

bって、之を生産経怖牧入に限定して一マ一口へば、者k

の次に見る様に、

二一つの附判決のそれは前述山一叫ん家総収入に於ける場合には異って来ると共に三者間の開きは組めて少くなってゐ

る。農家経怖の所作経桝耐としては間よりその生産経情的収入に濃密なるが笠ましい。開妬農家が託銀俸給を稼

ぎ、財市利川収入に多くな-P-用ひ、肝腎の内家の農業生産部両をおろそかにし、或は然らやも共が柿助金被腕金

の如きに飴りに多く依存するととで

bれば、そして共の篤めに所得経前部面の生産経済的濃密性が十分でないと

言ふ絞なととで若しあるならば、それは言ふまでもなく農家粧摘の所得粧桝聞として不健全である。が、然れは

とて、開拓出家がその農家組牧入中に右に述べた程度の「共他」乃至「補助金被賄金」部分を含むととが直ちに

共の住友綬怖の所得経情的不健全を一一高ふ根械にはならない。問題を能く判定するものは右の棺皮(生岸都例的濃

街度)如何であると共に、別してその生市盤情部面そのもの

L内容の如何でるる。

農家の所作的組牧入をその生点経情部副だけに闘して見ると、信越は

一、七%三闘であって、われわれの義き

Page 16: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

に見た農家組牧入の純計に於て信濃に七

OO闘の聞きを以って勝ってゐた黒真正は二、

O冗七闘で信濃よりたほ多

いとと二七問闘を示してゐるが、同じく義きに信濃に二一

OO闘勝ってゐた周二道向は二、六五六闘で僚か

r

一一一

七回)たがら此雌では却って信濃よりも少く表はれてゐる。之に釣して浦農は七、同九

O闘であって義きに見た

農家組牧入で信伐の二一似七であった満農は此彪では更らに大きく四位川ごと聞いて居るのでるる。けれども之を前

と同様に州労働力一人首りにすると信濃五九五凶であるに封して満農は五一九闘である。而かも信撲の此の生広州経

消収入一人常り五九五闘と言ふものは渦農の義迷農家組牧入に於ける労働力の一人世り(五九

O困)よりも倖かな

がら多いのである。即ち開拓農の、特に信濃心生点粧捕の内容は之を北(のプラスの両に見て遥かに満農白それに

勝れてゐるととを知る。斯くてわれわれは農家経怖の所作経済的プラス両に於ける生産経情的濃密度に於て、開

拓農のそれが湖農よりも稀薄であるのを見たが、併し生売粧桝白轄の内本が右の如きである以上、少くも所作純

情のプラス両氏附する限り、而して更らに湖農との比較に於いて之を見る限り、開拓農の農家経摘は特に信棋の

それは決して之を不健全とするととは出来ないのである。要するに開拓農の所得経済の中に「共他)牧入がLL述。

如き割合室内めて居ると言ふととは、彼等が一方に少くも満農以上白生府経済を有ちながら他方共の上に、開拓

村組織の諸部者共他の種々の用務に就くととによって白家の間労働力用役を枇合化してゐる結県とも見、られる。と

すれば永遠の郷土として建設されて未だ年を経ざる開拓村友るととを思ふとき、右の努働力別役の枇AMH

化に必く

「賃銀伴給」の外にな段多少の「共他」牧入がるり、叉幾分の「梢助金被般金」の見えるとともむしろ常然であっ

て、斯くの如きは此の場合は必十しも農家経桝の健全不健全の直接判定閃子ではない。けれH

ともその岱めには、

斯くの如き「賃銀倖給」共他の所前「共他」中の諸項目乃至「柏助金被駒令」がやがて彼等農家の所得終消部面

に於ける生産純情耐のより充笥的民間への前提としての意義を有つものでなければならないととは言ぶまでもな

い。

満洲国密山鯨に於ける開拓農と務長との農家経済比較

'lt:

Page 17: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲関密山鯨に於ける開拓農と浦義との農家極端伺比較

一六

次に同じく所件的組牧入に関して之を生時‘経済の部門別構成に目を向けると、開拓農の中で信設は耕種部門に

強く共の重心を置いてゐるにおしで、黒誌では耕種と養畜と概ね同等(養畜牧入の方が幾分多い)で山林部門も

信濃よりは高い。庖で同二道向では排柏も養蔀も前二者よりは著しく低俄であって却って山林部門に童心があり、

その重さは耕種と養畜との雨者を合せたものに匹敵じてゐる外、加工部門も信濃より幾分高く此の部門の特に低

い黒山一止に比較すると利々顕著な聞きを見せて居る。同じ統山臓の三開拓村農家の生産経情的プラス而の斯る期、持

友相具は何れはその自然的批合的立地諸僚件の相昇、に基くものが多いであらうが、吾々は今設に之を詳細に問ふ

ととは出来十、宛んや共の優劣をにわかに判断しようとは思はない。開拓農の生産経桝牧入の部門別比貫俳成が

右の如くであるに釘して、満農のそれは山林欣入に全く扶助してゐる外概ね信濃と同様の比重構成を訟してゐる

と見てよい。此の鈷北海道も然りであるが、唯幾分養斉比重が高く加工比重が低く、

そして傑少ながらも山林郁

門牧入が幾分あるととが異る貼であるc

それはともあれ誌に右諸部門の中山林を除いた狭義農業部門の総牧入に就いて信濃と満農と北海道を計算する

と信濃一、七

O九闘に到して、満農が七、四九

O問、北海道は四五八九固となる。今之を暴述のそれん¥の・日時作

付耕地面積(信濃六九反六、満農山二一反六、北海道一七

O反五六)で除すると反営農業組牧入として、信政二九

闘六、満農一七闘八、北海道二六関九が件られてゐるととLなる。此の数字の相互比較に於てわれわれは極めて

粗雑注目な味に於てピはあるが、信濃と満農と北海道との狭義農業粧替に於ける土地ハ耕地)生産性の比較を諒み

とるととが出来るのであるが、此の鮪に於て信濃最も高佼にあり、北海道は信濃より幾分低く、そして湖農は布

用者より透かに低いととが言はれ得るのである。

Page 18: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

,次にわれわれは所得的組牧入に於ける「所件的収入」と「家計仕向」との内部の吟味をしよう。此の内諜が、

農家の所得総怖のプラス面に於けるそれメ¥貨幣純情部分と問物経消部分とを立味するととは、われわれの義者

に叫に一臆説明して置いたい砲でるる。

先づ農家総収入ではどうかと言ふと信山が貨幣純情部分六七

μ四従って買物経術部分が一ご二%六、ハ貨幣粍州中

六七%四又は質物経梢率三二%六と恨糾す一心。以下同断J

に封して貨幣経桝率黒茶七四%一、回二道尚八一%附で

あって、満農が六七%、北海道が九一%二であり、北海道が最も高〈渦農が最も低く開拓農はその中間にある。

そして開拓農の中では西二道局が最も尚いが共は北海道

ωそれよれνは遥かに低く、開拓農

ω中で最も共の低いの

は信濃で満農のそれに殆んど近似してゐるのである。

庭で之を生爪経済的組牧入のみに闘して見ると信濃六八%。、思議六八%ゴ一で雨宥蹴ね相等しく、四二道山崎じ

八%九で開拓農

ω中ではやはり高く、湖農は六五Mm二で最低、北海道は九一

μOで最高であり、共の順序は右越一

農家組牧入に於けると同様であるが、たピ開拓農相互間の開きが著しく縮少して現はれてゐるととが目立つ。之

れは前進の椋に黒素、西二道山岡の農家総収入の中には生産純情的に非らざる「共他」及び「補助金被般令一」牧入の

割合が多いが、之町?のものは概ね貨幣による収入であるが故に之を差引いた生原料情的総収入では、前の農家総

牧入に於て信濃より遥かに高く現はれてゐた西二道山問、畑一点差の貨幣純情牽・も設では著しく低下して信濃のそれに

近接

fるのである。何れにしても、右に於てわれわれは、開拓農の農家艇摘は、州民家総収入

κ於ても又その巾の

生産経済組収入に於いても、満農のそれと比較すると、現余牧入相の割合ハ貨幣杭桝京)にが、て多く現物家計仕

向額の割合(現物純情率u

k於て少いとと、而して開拓農の中では信濃が右の訓合に於て幾分満農との開きが少

いととを見たのである。鹿で右に言ったととろの貨幣粍持率ξ現物純情率は生高純情部而に閲する限りにでは前

者はそのまL之を商品生高率後者はそ

ρまh

之を自給生法ネ主プはふととが出来るととろのものでありω。克らに之

稀洲閤密山燃に於ける開拓農と浦震との農家極端間比較

-1::;

Page 19: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲閥密山脇に於ける開拓農と減農との農家綬祷比較

一入

を敷初して一言ひかへれば、前者は農業の市場生産部分即ち共の生産物の直接枇合的生売物化される部分であり、、

設農家経捕の枇合的分業としての農業生産睦たるの資質部分の所得粧摘のプラス側の一一聞からする表現であるに

封して、後者は所得絞桝的プラス而に闘する限りに於て非一枇合的危白給生時部令であると之を看倣し得るととろ

のものである。

それでは生応経消巾の各部門別ではそれ

λ¥右の雨部分の構成は如何であるかと一一百ふと、各農家経掛川とも加工

部門に於ては一様に商品生市議・は高いのであって、最も一両いのは湖農のそれの九七dm五であり、次いで同二道山川

北海道、信濃の聞で川崎も低い思議でもそれは八九%Oを占めてゐる。そして右加工部門

κ次いで共の商品生涼一年

の高いのは養高部門でるる。之れに封して各部門中各農家経捕に於て概ね一様に自給生産部分の相自的に多く市

場生点率の比院的低いのは耕程部門と山林部円である。そして耕種部門の市場生産率に於ける各農家経椀相五

ω

比較では畑一向牽最も低く五州dw五、次いで満農六二%九、西二道山間六五%一一一、信濃六六%七である。設で濁り北海

道だけは共の緋程部門は極めて』一両度

ω市場生産ハ九一三%ムハ〕であって北ハの商品化率は前述の加工部門のそれれ九

一二%O)以上に出てゐるのでるる。山林部門では北海道が一OO%自給であるに,次いで信濃と黒芸がそれふ¥七

六%九、五五%Oの白給率を示し揃農には全く此の部門を欠いてゐるのに封して猫り西二道山間だけは自給率一七

%で逆に八二一%Oの高い商品生直率を示してゐるが、之れはわれわれが嚢きに述べた通り此の開拓農の生涼純情

が農業経替と言ふよりはむしろ山林控替に偏倍してゐるが放の例外に外ゑらないであらう。

以上は生産経怖の各部門別に、それ件¥,の部門内の商品生点寧乃五白給生車問率の多寡を各々の農家経怖に一且つ

て見たのであるが、斯る翻拙からするとき開拓農と満農とでは特に異る様相叫を示さない。即ち開拓農に於て商品

生産車・の~向いのは加工、養斉雨部円であり自給生庵率の高いのは耕路、山林の雨部円であるが、此のととは湘農に

於ても全く同様であるのである。共底で次にわれわれの考慮すべきは、円減速の各農家経済別の生産経情的組収入

Page 20: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

の中で商品生庵部分(所作的枚入、現金牧入)と臼給生応部分ハ現物家計仕向〉のそれぞれに於て耕種、持者、加工及

ぴ山林

ω各部門別構成は如何様になってゐるかと言ふ賄である。先づ生点終消的総収入中の現金牧入部分に於け

る各部門別割合でるるが、之は各農家経偵の中で信濃と満農と北海道では何れも耕括部門のい内むる割合が段も多

ぃ。一寸一口びかへれば此等の農家経済では何れも耕稲部門がそれlrlの現金収入部分の大字を占めて居り、耕種以外

三部川の占むる割合を合計しても右耕報部門の一割合の一一二八刀の一乃至問分の一に過ぎない。底で黒秦では養玄阿部分

のい円むる割合が故も多く次で之に粉々降って耕種部円であり雨者を合せたものが、共の生内問粧情的組現令牧入の

大卒をなして居る。そして西二道崩では山林部門の内むる割合が最高で次に降って耕穂、養高雨部門が並列して

ゐるのである。(加£部門の白むる割合は何れの農家経怖に於いても低位である。)即ち之を綜じて言へば、信濃

満曲嵐、北海道に於てはその現金穂牧入は集中的に耕積部門に依存するに討して築事では養斉と耕種の南部門に分

たれ、同二道山間では山林と耕種及び養者の三部門に分散してゐる。・次に之を生産経情組牧入・巾の現物円余計仕向部

分に於ける各部門別の割合に闘して見ると此砲に於ては各農家経楠とも一様に耕間部門のい内むる割合が一4

骨太で

あるが、併し共の他部門りそれとの割合の聞きは前の場合に於けるよりは著しく小さくたピ信濃と満農とに於

いてその聞きが必やしもしかく小さくはないととが注目せられる。一一一-一口びかへれば総生成中自給生虫内部分は信濃を

除く開拓農と北海道では各生産部門間に分散的であるが信濃と満農では耕種部門に粉々集中してゐる。以Lいを組

指して之を開拓農と満農と直接比較に於て言ふと、総生海中の商品生産部分の各生庭部門別構成に於ては開拓農

は相互聞に夜々であって全轄を通やる特色がないが、その巾信濃だけが満農と同じ様に耕種部門に集中的である

(北海道も然り〉。そして自給生産部分の各生産部門別構成に於ては同拓農も満農も共に耕腹部門が一番大きいと

とは一様であるけれ

Eも、信濃を除く開拓農ではやはり他部門にも分散的であるが、〔北海道も然り〉、信濃川拓

農と浦山麗とは向品生産部分に於けると同様耕種部門に集中的であるのである。嬰するに、此の献に於て利何度の完

締洲凶密山勝に於ける開拓農と締設との長家経済比較

:lL

Page 21: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲同密山豚に於ける開拓也同と同開設との農家経済比較

はあるが信政附拓農と渦農とは同一一明をなし他心開拓農と封牒性を示してゐるととになる。北海道は何れかとーは

ニO

へば前者の新型に脳してゐる。

以上われわれ代各農家経怖につきその所件経情的プラス耐を初々詳細に設問するととろがあった。そとで次の

考察は、所得経柄的マヰナス耐である。所作経怖的マヰナ

100.01

3,514.4$>;

100.0

ス而としては所作的支出の外に「減耗・減偵」があり、労

働者賄支給械があるが、此の後の雨者が本編に於て直接的

に取奴はれないとと及びその理山に就いては薬会」に之を

午汚した通りである。で、設では各農家経怖の所作的支出を

説明するだけである。

扱て開桁農の所作的支出品合計制十一見ると思議が比院的

大きく(一、

O三二同)、信撲が北較的少い

ハ七六二附〉が

此の大小順序は義迷プラス而の農家総牧入乃五その生原料

抑的組牧入に於ける大小順序と一致するととろであり、而

して開拓農に於ける右の額に封して満農のそれは阿倍

h

(信践に封して〉乃至一一一倍川(語義に劃して〉であり、之

を義迷農家経消穂牧入にが、ける開拓農に到する満農の大い

さのコ一倍七(信濃に射して)乃至二倍八(剛一一山牽に到して〉

Page 22: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

l務貨同費陣頭種間;家畜費l

{賞数 191.00i174.00[ 24.66[ 21.到信濃村U戸卒均)1構成比 25.q 22.81 叫 可

1賓室生 1 372.101183.17 7.241 64.631 黒萎村く8戸卒均)I構成比 30.61 17引 0.7[ ω14.1:

l賓敷[ 397.351101.101 19.25[120.72' 148.89[ 西二議尚村げ戸手均)1構成比 41.11a到 2.01 12.5 15.4i

儲 山時鳥)賓数 I2,612.251172.501 -1 -1 -1

マ損平均i構成比 ~=L!:1 二l -1 -l 糊叩

表四

に較べてその聞きはより大きく、向又生応経桝的組収入

K

於ける同じく四倍二(信濃に野して)の開会よりも史らに

大きい。之れ潟農の農家経梢の所作経済部一自は開拓農のそ

れに比して外観上誕一だしく大きいが、その大いさはプラス

国に於て大きい以上マヰナス聞に於て大きいととを語るも

のであって、従って其の成果が後速の如く彼我その趣きを

異にして現はれて来るととろの前提をなすものである。山附

で北海道ではその所得粧桝のプラス面とマヰナス聞とのそ

れλklの大いさの相封的関係は揃由民のそれに於けると匹以

封にプラス面の大いさ

ハ六二八O同)

の割合にはマヰナ

ス厨は極めて小さい(一、一一五回〉と一一国一口はねばたらない。

次におの所得的支出の構成内容に立ち入る。先づ開拓農

ではどうかと言ふと、何れの開桁農も努貨が最大の割合

(信濃二五%、黒養一一一一%、間二道山岡山一%)を占めてゐ

るととは後述浦農に於けると同様であるが、信濃では之に柏々降って飼料費ハ二二dm入ゴ捜兵費三五dmご、円本

高安(一一,

m五)、建物費ハ八%O)が続き、それより更らに降って僚か宛あらゆる費目に分散してゐる。之K剖

して黒憂では努貨究の割合は前者より高く、之に和々格段の開きを以って降って飼料費二七%七)、家者費(一

同%一〉、機共費(八%二一)等が結いて居り、費目構成に於て努貨の濃度が信濃より和士向いのであるが、信政の

黒奈に到するとの相呉は之を同二道府と比較すれば更らに一一唐顕著である。即ち同一一道山岡では共の労賃割合は照一…

満州園密山腕に於ける開拓忠良と瀬良との農家経済比較

Page 23: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

瀦洲凶密山豚に於ける開拓設と浦設との良家経済比較

啓一より更に向く、之に続く家引品川内比二五Mm四)、開苛費(一二%阿〉、飼料究(一

oum五)等との聞きは前の場合より

もより顕著であって、開拓農中川件的支出費目州成に於ける持賃濃度が最も高いものである。そして各開拓農仰

れもその肥料代は組めて傾少割合を内めてゐるに過ぎない。開拓農の右の如きであるに封して滅農はと言ふと所

得的支出金制中共の大半・(七四%コ一〉は勢貨の市むるととろでるり、北ハ他には小作料(八%五三租税公課(八%

五)、飼料品日ハ四%九)が組めて傑かの割合を占めるだけで肥料費は皆無であり、機具究共他は問題とならな

ぃ。世一同びかへれば渦農に於ては共の所得的支出は澗り努貨にのみ集中的である。満農の然るに到して北海道では

全く逆に、開拓農山中持賃濃度のは収も稀部友信濃よりも更らに一唐稀滞でるる。北海道の所得的支州の費日拙成で

は肥料費が最大(一-一一%九)で之と格段の聞き乞以って弊質二四%)、家系費〈一一%コ一)、飼料究〈一

OMWムハ〉が

続き、共他作技口に分散されてゐる中に機具費の七%五がある。即ち北海道の所得的支出構成は肥料品誌に於て幾

分集中的でありながら耐かも踊齢の費目に分散的である。

要するに、所作的支出りん作費

MM構成に於て二方満農は附芳賀に集中的で、肥料、飼料、家寸前、開首、円余夜、機

具、薬剤等の生内資材的諸抗日は濁り保かに種市を除いては問題とたらないに到して、他方北海道は肥料授に於

て初々集中的でありながら、同時に前述諸他の生点資材的諸費目に分散的である。此の間にあって開拓農では、

その労賃に集巾的である黙に於て利何度の差はあるが満農と類型を同じうしてゐる一方、各積生

hm資材的費目に分

散的なる矧に於て北海道と共の類刑土を等しうしてゐるのである。而かして間拓農の中では信肢が幾分北海道に近

接し(労賃代部分の比院的小きと肥料品川部分の儲かながら111他の開拓農との比較上111大なるとに於C)、同二

道山附が幾分湖践に近按してゐる九州万代への集巾度の大なるに於て)。

Page 24: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

同似てわれわれは上来の詑辿によって各農家経済の所持経済部両に於けるプラスとマヰナスの州側面をそれぞれ

内部的に比一-か検討し作た。依って裁に前者、所得的組牧入から後者、所得的支出を差引いて之を所得的純牧入と

し、それによって一路各農家経梢の所得総消的成果を見て…泣かう。即ち次去の如くである。

川J

,匂

qE

liJi

ハ七戸卒均〉

(八戸卒均)

(問戸卒均)

〔八戸卒均υ

Jf文

一、五一一一入国三五

一、九六五固四一

一、六回O間四五三

五、O四六回八三

五、O六五園二七

放に制ふ所の所得的純収入の中には、義きに断ウて置いたととに依っても明らかな様に、本来の意義での農家

所持として・ならば常然とれから差引かるべき所件粧情的すヰナス川内子たる州労働者賄支給制が併合まれてゐる。従

って右の所作的純牧入を一臆農家所得と見るとしても共は出版傭附労働者をも賄支給の限りに於て之を家族と看倣し

ての農家所得で

bるの右表を一見するとき問拓農と淵農との開きは狛大きい。即、湖農は信浪の一一-州市主であり、

開拓農中故も高額の黒衰の二倍六である。けれども之を帥労働力一人常にして見ると信濃問桁農四八

O附飴に到し

て尚良一一一五

O闘に慌たたい。のみならや上の所相的純牧入額から満農は件費述の大家族及び多数尿附附労働者を賄な

はねばならぬに到して開拓農中特に信濃は之れが極めて少傾で足るのである。北海道は満農に比し所作的総収入

に於けるこ、川

OC同の開きを所持的支出の節約(主左して努賃の)によって完全にカバーして設に僅か・ながら

却って榔農の上に出づみ所作的純牧入を結果してゐるのを見る。

O

出抑洲川内密山耐腕に於ける開拓農と櫛農との農家樫済比陵

Page 25: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲図密山豚に於ける開拓且民主瀦農との農家経済比絞

二四

以上、われわれは問拓農と満農との農家粧怖比肢を兆の所得艇桝部面に於いてした0

・次は共の泊究経怖部両に

於ける比院である。農家粧怖の消費経掛部両は出家計費に集中表現されるから従ってわれわれの次の謀題は家計費

の比較となる。れんも前にも屡士一一一口った掠に家計費は農家K

族負措部分と雇傭労働者への賄支給部分との合はさっ

たものであり、後者は農家粧捕の所得経済部一仰に闘し、理論的に共の消費経持部副たるものは前者のみであるが.

'↑れの両部分への分割を許し作ぬわれわれの調布資料であるために、誌には右の所得経情的部分たる附労働者航支給

傾を含むととろの||即哲一百円ひかへれば雇情勢働者は之に支給する賄ひ舗の限りに於て之を家族と同一に見倣し

ての家計殺の比校をなし件るに止まるのである。

円余計伐を構成するものは家計としての現金支出たるもの(家計支出)と所得経済部両から受け入れたととるの

現物家計仕受領(家計仕受)とである。而して後者は前項詑迷の所作的組牧入中の「家計仕向」に到臆するもの

であるから、従って前の「家計仕向」と裁での「円余計仕受」はその組額に於て営然一致すべきものである。ぃ脂でわ

れわれの附設する調布数字に於ては此の雨者の聞に山山てか・ながら喰び建ひがある。即ち信政のそれでは後者が前弁

より四凶徐、湖農のそれでは同じく一一九

O同飴少く現はれてゐる。之れ勿論調夜集計の不備に基くものであって、

信践の右

ω喰ひ遼ひは或はい素材に到するわたくし自身の吟味訂正の不十分にもよるであらうん』とろであり、表見

的不手際は耐へ難いととであるけれいとも、日顕言ふた様友不完全な資料鹿理K首つての数字的潔鮮の上からはま

正舵左薄記に基一くのでなしに取に農家白身の記憶とその簡単な手

た止むを得たいととろであった。のみ友らや、

除艇によるととろの此の極の地取調奈の有ち作る正確性にあっては、わが信岐に於ける此庭に見る一%に満た・な

い説差の如き、その数字的読み取りの上にさしたる障碍を輿へるととはあるまい。之に封して満農に於ける右の誤

主はわれわれには之を吟味訂厄する手段はないと共花、その犬いさ一一%の如きも此の種調布と[てはその結果

の数字的判誠には大した足支へはないとしてよいだらう。ともるれ、家計変に於ける上越両部分の中、「円余計支出」

Page 26: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

成農家々計の現金部分(購入部分、前は刊誌貨幣経持部分)であり、「家計仕受」は現物白給部分(討はば向給純桝

部分)である。

一二

O二凶に封し.て他の二開拓農では之より五問

OM(凶二道山間)乃至六

O七附(刷出事)も多くなって居り、渦農合一、五三九回〉は信棋のご悦二であって、それ

は沌かも前述所作的純牧入に於ける雨者の閥係的大いさと品川ん

E同一比例をなしてゐる。が、開拓農中家計代最

大友県議に封し湖農ではその二倍鈴でるって、所得的純牧入に於ける此の雨者の比例的割合戸二供六)よりも小

加似て家計卵、総額を開拓農に就て見ると、信濃が一番小さく

さい。と一言ふ乙とは信濃と渦農とはその所得的純牧入の大いさに丁度比例するだけの家計費を示してゐるに封し

て、単一…長では右

ω比例以上の家計費支出があると言ふととに友る。北海道はその所得的純牧入は信波のコ一倍コ一で

あるにも拘らやその家計費C一、四六一国)は信濃の一一倍二に過ぎない。一斉ひかへれば信波及び湖農を仲水準として、

一hoにその所得的純牧入の割合よりえなる家計授を支出するものに川一言ーがあり、他方に此の割合より小なる円余計

費を支出するに過ぎないものに北海道があるのである。

+叫に右O家計技総額に於ける前速の現金現物構成は如何となってゐるか、今之わ包各農家粧品川に於ける家計自給

率ハ家計党総制巾.「現物仕受」の割合)に見ると、開拓農では黒豪の自給率ハ同五%叫)が最もい向く信濃(間三

dw一)も右と概ね同一程度であるに到して、凶二週踊(二九%五)は温かに低く北海道(一一・」Mm二)白それに近い。

之に針して揃農の自給率(七一%五)は極めて高いのである。各農家経捕の消費粧情部両

κ於ける此の買物純掛

的側刈は之を逆にすれば言ふまでもなくその貨幣鰹情的側耐になる。即ち各農家山家計にが、ける貨幣粧桝率ハ家

計党総制中「家計支出」の割合、家計出H給率に封して謂はば家計購入率)は、開拓農では回二道向故も高いが北

海道のそれ

κは及ば十、信濃と黒護が概ね同様で幾分県市司会の方が低いが、併し渦農のそれよりも遥かに高いので

ある。

満洲闘密山耐腕に於ける開拓農と締決との農家経済比較

二五

Page 27: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲闘密山燃に於ける開拓農主椅長との農家経済比較

一五ハ

農家純情の消費経桝部耐に於ける右の閥係は之を義述の所作経情的プラス部耐の貨幣経内率(従って古物経憐

ホ中)ル亥その生直陀艦、例耐に於ける商品生庁卒・ハ従って・円給生応率)と相封服すると各農家経怖の右の所得(乃至

生市)及び泊費の岡部耐の此の閥係は殆んH

と全く平行的であって、各農家経摘の相互比較に於て、その消費経憐

部副で貨幣粧情卒の尚いものは所得(生産)経済的プラス部副に於ても高く、前者の部而で向給率の尚いものは

後者の部両でもい向いのを見る。が唯放で所得ハ乃至生産)経済的プラス部而は各農家とも会櫨として貨幣経済的

濃度が消費粧消部而のそれよりも透かに進んてゐるととが、ーi従って消費悩梼部両は各農家ともにその所得

(生活)経情的プラス部耐のそれよりも現物経情性が濃いととが一一際叫につく。即ち例之消費終消部而ハ出家計技)

に於て僅かに二次%五の円余計購入率を見るに過ぎや此の勅各農家中最低位にある湘農も、その所得経楠(乃一宇一生

海艇昨)的プラス郎両の商品生深十年では、それが同様各農家中最低位ではあるが友ほ六七%O(乃至六五%二)

の尚さ

k示して居るのであり、又消費税構部両で七七%八の家計購入率を示し各農家中最高位にある北海道はそ

の所得税消(乃至生庫総消)的プラス部耐の商品生産一卒では、同様各農家申最高位・ながら共の率は九一%二ハ乃

十全九一%O)のい向きに達してゐるのである。右渦農と北海道との中間位地位にある各開拓農に於ても金一〈此の傾

向は川践である。点胞で斯くの如きは首然然かあるぺきととであって、此の傾向自躍は別に他に何ものをも詰るも

のではない。と言ふのは所得(生点)経附的プラス耐の消費経桃川部日刊のそれに封する貨幣経術的組加八万がその所

作ハ生Im)

純情的マヰナス而の一所作的現金支出の存在を可能にしてゐるものに過ぎないからである。

白沢山一川仰は総制に附しては詑述以上に止め、決に之れが内察たる各費目別に限を向け上う。家計品目、の終日間構成は

科農家紋怖とも飲食品叫が肢尚位を市めて居るととに唆りは-ない。けれ

Eもその割合には幾分の刺具を認める。渦

Page 28: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

農へ五九%一ゾが共の割合が肢も商いに封して北海道(一一.一九%七〉が最も低く、開拓農は何れも右両弘行の中間にあ

る。而して開拓農の中では信政ハ四六%九)が共の割合低く同二越前(四七%一一一)之

κ大差なく黒京(五四%九)

が制々尚い。飲九公費以外の諸項目の円余計究中に

rHむる割合は仰れの農家に於ても飲食慢のそれに比すると格段に

下る。今絞りに各農家に就いて飲食費に弐ぐものを順次第四位目まで或は極めて之に近接する場合は第五休日ま

で抗って見ると、信濃では住居費(一七%五三光熱費(一一%二)、被服担及身廻品費(八%五)であり、黒奈

では光熱費(一

OU拘四二住居費(八%)及交際代(七d

押しハ〉と被服及身廻口問費(七%五)であり、同二道向で

は被服及身倒口開発(一四%同ゴ光熱費(九%八)、保健及衛生狩〔九%五)、住居費(八%問)である。

之に封

して湖農では光熱費(ごニ%九)、被服及身廻品費(八%八)、教育費(六

MO〉であり、北海道では被服及身迦

日間費三じdm

三)、諸負捨及雑費(一一%九)及び光熱費ハ六%一一d

と冠婚葬祭費土ハdw

一一)と言ふととにたる。

被服及身迦品費と光熱究が各農家に於て飲食品凡に次いで}般的に比較的高い割合を占めてゐるととになる。何れ

も第一生計究目である。之に封して同じく第一生計費目たる住居費は信濃を投として開拓農では共の割合比較的

高いが北海道と特に湖農では比較的低いのでるる。所謂交化資的諸項目の割合は一般的に飴り高くない。も凡ピ設

で砧肢が初々

J

向い敬育廷を負携叫してゐるととに注目せられるが、之は桑迷大家族的農家友る賠に鑑みて共の子女

の救育費が斯く共の家計費構成の中

κ顔を出して来てゐるものと思はれる。修養及仰既製費は各農家とも一般的に

其の剖ム口惜少たるに過ぎ友い中にあって滴り信撲だけが仙mk高い比率(一一一%問)を毘せてゐる。信棋に4引いでは

之より遥かに下って北海道のそれ(一%一二)であり、夏らに下ってm.2伎と四二道荷ハ何れも

OM九)で、淵農

κ

五つては世一円ふに日比りないのである。

以ト.h作農家経梢の家計費閥係の分折を通じてその泊費軽油川部面を概山乱心するとき、われわれは開拓農の巾では信

肢のそれに他質性進歩性の示唆を感やる。即ち共の家計費融制が比較的砂川制にて足りて居るのは家族日放の少き

満洲囲密山燃に於ける開拓農と滅農との農家経済比較

二七

Page 29: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲闘密山際に於ける開拓農と瀦農との農家経済比較

ととにもよるであらうが、亦その比較的尚い日給によって能く得てゐるが如くであり、而かも右の少傾円余計費の

構成に於いて飲食費割合低くしてM

たってゐる一方他よりは他額の性居費を負携し友がら向修養娯山抑制友る文化費目

を明らかに見せて居る駒である。而して右信濃に到して満農の家計費融制が三悠二でるると言ふととは嚢域共の

家旋員数の隔絶的多敢なるに於て却って著しき少額を語るものに外なら守、而かもその構成は制度の向給による

飲食費割合の多きをい山むるととろであるに於て、彼の大農的相貌にも拘らや共の生活水準の内本的低位は一百円はや

して明らかである。

以上われわれは出家純怖の基礎からその所得ハ生産〉粧桝部而、消費経掛部面に百一って、それ

λ¥。の構成諸要

KIち入って時一か開拓農と渦農との比院をなすととろがるった。そして嚢きに所得粧情部聞としては之を一臨

川作的純牧入に縦めて比較たなしたが、今消費経済部商として之を円余計交に於て比較し得たわれわれは、訟に更

に右一山品作を綜抗して農家純情の技終成果たる農家経梢飴剰在検するととLなる。鹿で裳きにも言った様に、われ

われの使〈比上、農家の所作純情部耐に於ける一障の成果とした所得的純牧入は、本来の所得粧掛的成果たる農家

所得としては向之れから家計究・中の帥労働者知支給額が差引かれねばならぬととろのものであった。然るに他両わ

れわれの便宜上、山.弦裂の泊費経持部副のご艇の表現としたととろの家計授は、潔渦k本.恥阜の消費絞怖部耐として

は之れから所作粧術的マヰナス耐に加へらるべき労働者賄支給額が差引かれねば友らぬものであった。故にわれ

われが便宜上農家の所得粧前部耐の一一舷の成果とした前叙の所作的純牧入から、われわれが同巳く便んAK農家の

消費純情部耐の一臨の表現とした円余計授を差引くとき、内づかち右の賄支給額が治決されて、教に農家腕怖の綜

合成川水たる正しきぷ味に於ける農家経術館剰が山内て来る諜になる。即ちそれは次表の如くである。

Page 30: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

2長

幸主

ハ七戸卒均)

(八戸卒均)

(四戸卒均」

〈八戸卒均〉

-消

ーも」〆四一一一六国四四

ご五五国七九

付二国四四

一、五O八画一一

二、六O四国七O

結局開拓農の中では信濃が肢も大き友絵刑判を拳げ剛山市議が之に吹いでゐる。而して濁り同一一道山間だけ

κは僻剥がな

いn

之に割して滅農では量迷その犬同積経後たるの割合には必やしも多くはないが、なほ信濃の三係五に近き飴

剰を見て居るととを註意すべきで

bる。北海道では該に於て断然他P抜いて満農の一倍七録、信濃の宜にムハ仰に

近き綜合成果に到達してゐる

ρである。

似て以上各農家経怖の内容左分析的に初々詳細に設越し来ったととろを総括して之を農家経消の全面について

打眺め石ならば、開拓農としては、わたくしは、信濃に於て共の棋準性を見度い。と一百ふのは、共が開拓農の中

で右に見た様氏、唯翠に最も多くの農家経情飴剰を暴げて居るが政のみではたく、むしん右の飴剰を結果するに

至った共のプ口セスに於てむあるの即ち信濃が、他のニの開拓農に比して家族の農業従事者割合の多いのは一に

その家族構成の上にふるとは一言へ、其の総収入の他より粉々ゆいのは却って所得粧情商に於ける生宜伸一経桝的浪筏

性を示すものに外怒らや,、而かも共の生出院経済の内容は耕種を中心とする農業に強く重黙が置かれて居り、従つ

て緋印内部門を山市心として共の生車内物は牟ば近くが直接枇合的生虫版物化せられ、枇命目的分業としての農業生丙鰐た

るの色彩は判然として居る。そして其心得めの支出関係に於ては、満洲農業に於てとれまで常に批判の的である

満洲国密山豚に於ける開拓且民主務長との農家経済比較

二九

Page 31: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

満洲同密山鯨に於ける開拓農と務長との農家経済比較

O

所の捗貨究の割合が比較的ゆく、化パは諸極の生活資材費に並H

ね〈分散的に五常せられて居るととは、他のこの開

拓農に比して共の粧管内務の進沙性の一両を語ってゐると見られ件ゃう。而かも共の家汁費の欄及び内容を通じ

て感件せられる消卵、絞附一向の地歩性俗資性にが、てはわれわれの前頃に一戸一出向した如くであり、皐覚共の所作消費の

雨経済部商を泊やる斯かる他世悦進歩性に巾来するととろの、上記の農家純情飴剰なるが故である。山崎で信濃問

拓農の然るに到して湖農は共の大円余伎なるの政でもあるが、家族の農業従事者割合は極めて低位にあり、多く回航

怖労働力に依作して大両杭を終日門付する大農的相,羽生有ち、共の作目構成は信濃に比して遥かに粗放的色彩を有ち

向んの労働力一人常経侍耕地面的は信濃に比して必やしも著しき距りを見ないのである。氾も、比ハの所得粧情商

ながら、に於ける生用純情性は農業的に流石により政省ではあるが、共の土地生庵性の信濃のそれに封して一、

七分の一一に過ぎない結果は、附労働力一人首にして農家総牧入に於ては同より生産経病的総牧入に於ても、遥かに

信肢のそれには及ばないのでるる。そして之れが矯めわ支川開係では満洲農業の特色を濃厚に示して共の大学は

持民党の山ひるところであり、生斥諸資材への投入は殆んど皆無に近いと言った状態である。市して家計費を通

ビてうかピふ渦践の消費総術部両の貧弱は前叫引に一言せる通りで

bる。斯くて前に見たととろの揃践の農家経桝

.H,J飴ら 剃やはJじカ ~l~2主主Eほ共信の記~ rljf の得能舵く州三 I白i;- 1/:>

j;低/n 1:立工性二三 に

占墜建 y

'るJエf肖

ぷ雲る小五

tpヰと言両、の

す f正τf立空港町制

真空(/)ご

大 ι

=るiγζ

震A~ H.月

迄竪< ~ あものるに iJi

全然6Q ー』に三も

われわれの拾に卜分注立すべき貼であらねばなら友い。

之に到して北海道は家族中農業従事者割合は、比パの家放構成の相具の故に信撲には及ば友い乍らもい前く、所作

終消部副の生斥純桝的脱出川性ゃ、共の耕種に重黙を置く黙は信濃と同様であり、土地生売性も信濃のそれに幾分

劣るとす円ふに過ぎや湖段よりは終段に高い。而して共の耕積部門を中心とする市場生産性は信濃よりも遥かに高

度で、その治犯経術部向での円余汁究の内給割合の樹めて少きととL

北パに、農業生成躍としての枇合的介業性を極

Page 32: Instructions for use - HUSCAP満洲園密山際に於ける開拓農と精農との農家経済比較 基盤たる農家粧情そのもの情以外の組ての所得部副をも合せたより臨闘い意義を有つ所得粧情)との一融合的統鰭であるととろの、彼等の生活物質的保件として彼等の消費経摘たる家計と生産経摘も凡る農業経営(厳密にはとれに財産利用賃銀

めて純粋及川mで露らわにしてゐる。而して共の生熊粧抑的支出左見ると、之れが構成要素としての持貸出孔の訓合

は前迷信濃のそれよりも夏らに遥かに今く、諸種の生原資材に批判ねく分散的に充首せられてゐるととは、渦訓農

業に封して近来訓はれて来てゐた喝の北海道農業の特色を遺憾なく現はして居ると苧古川ふべきであり、明る所利純

情部耐を一過歩る進歩性は、立ハの経後岡山似の信濃のそれに二倍卒する事買と相候って、件、

ω所作的純収入をして能

く信濃の二.俗

J

J

・を挙げしめ、而かも北海道りそれの二倍竿

ω大面積を経営じながら共の内容の閃羽目同附的左端農

の所如何的純収入に完全に迫びついζ

ゐみのが、北海道農家の所得経掛的川町着賄である。底で北海道農家の消費一料

消-耐を家計費乞通じて見ると、総領は相別的に割合少傾であり、比ハの自給不は生産杭消部副での高度

ω市場生原

性に臆じて側めて低く、比パの構成に於て飲食費割合の少きととは信濃以上に湖農に封牒してゐる反而、共ぃ脂には

信濃と同様に保かながらも、修養娯奨費の如き文化的費日が顔を見せてゐるのである。斯くて前に見たるが如会、

各農家に冠絶し信設に六位するととろの北海道の農家経済飴剥の内出する底は、湖農の農家経消飴制山依って来

ったととろとは反対に、北海道農家純怖の各市而に於ける進歩性に・ゆくも一牛の棋院があるとして栄之へない

ρ

ハ十九‘七

a

一一一十一υ

でb寸心。

出仰洲園密山勝に於ける開拓農と瀦長との農家経済比怯