ー 浄 法 上人と御忌 - press.jodo.or.jp · 浄 上 の 心 を ま ち か ... す ″ ぅ...

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E皿皿

E皿四{浄

玖’ー

訥!吟じ新

トEE檀忌御と人上然法

』oDO GALLERY大

名僧を訪ねて新しい年、新しい世紀に向けて浄上の心

まちかと説法

い修

寺内大E‥

一皿

天g^r-vsぶらえ」

なむちゃん教室日

本に住む外

国人・c外

国に住む日本人

檀信徒心得イヒ法

然上

人と

仏教からだ博物館

″写

ぅっりゅく時ヵなかで

しい年

語造の・-?

・R

0

二の

心切

一なるか

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浄上ギャラリー

大本山増上寺三門

解脱の門をく

ぐる、心の旅。

 「もう、すぐや」三吉は参勤交

代行列の荷役にかりだされ、遠

く東海道を江戸にト

って来た。

 一行は品川で最後の身じまいを

整え、徳川家の菩提寺である芝・

増王寺に向かっている。

 

三吉は噂に高い増王寺の阿弥

陀さまに、どうしても聞きたい

事があった。三占は貧しい小作

ある。働けど働けど暮らしは

苫しい。

 「なぜ阿弥陀さまぱわしらを助

けてくどさらんのか、お浄上は

本当にあるんか」

 

殿さまの参拝が終わり、三吉

も歩き始めた。やがて『天ド第

一の門』が正面に未だ。

「おお、なんと立派な・:」袖門

かが右に張り出した朱塗りの壮

麗な門。楼トには金色に光る釈

迦三尊像。玉砂利のはるか奥に

は巨大な大殿が、そこだけ時が

止まったかのように静かにあっ

た。涙がこみあげてきた。

 「けんにお浄Lのようじゃ。あ

りかたい、ありかたい」その時

三占の心は解脱の門をくぐり、

阿弥陀如来の光をいっぱいに浴

びた。      重要文化財・増上寺三門

  浄土宗大本山増上寺(東京都港区)蔵。正式に

は「三解脱門」といい、この門をくぐると三毒

後指 屠 レ 鉦ブ鄙 の生活から解き放tれる乙

いう。間口19.5m、奥行9m、高さ21mのス 為

屋造り二階重層本瓦葺朱塗りの大楼門で、元和

8年(1622)の建立。増上寺造営当時の面影を

残す唯一の現存建造物で、昭和46年には3年間

かけて大規模な解体修理が行われた。二階内部

には釈迦三尊像(東京都指定有形文化財)と十

六羅漢像が安置されている。

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名僧を訪ねて

新しい年

新しい世紀に向けて浄上の心を

浄 

土 

門 

総本山知恩院門跡中村康隆税下

 新しい年が明けると、間もなく成人の日。今年もまた、知恩院には晴れ着姿の新成人が大勢、参詣にやって来る。二十一世紀まであと数年、日本の社会には不透明感が漂っているが、年の初めには、新成人に限らず、多くの人が心を新たにする。私たち浄土宗檀信徒は、新しい年にどう向かうべきか、浄土門主の中村康隆猊下にお伺いした。

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名僧を訪ねて一 新しい年、新しい世紀に向けて浄上の心を

 

村税下

は、昭和

九年に

大正

大学

文学部

研究科を

修了

され、

以来四十

年の長き

にわた

り、

講師、

助教授、

授、さ

らに学長

どし

学生た

ちを

指導

てこ

られた。

日本

が激動し

た時代

に、

数多く

の若

と間

近に接し

経験をお

持ちで

ある。

 

今年

成人式を

迎え

る人に限

らずこ

の不

況下で

若い人

ちは

、就職

難や将

来への不安

に直面し

います。

祝下

は、

最近

の若者

をど

のよう

ご覧

になって

いらっし

やいます

か。

狽下 

今の

い人

たちは

、昔

に比

と、

さま

ざまな

スポー

ツを気軽

に楽し

むよう

にな

りまし

た。そ

うした

経験を

じて、人

との協

調を学

んで

いるこ

もある

かと思

います

が、一方で

は、

レビゲ

ムだと

か、コ

ビニエン

けで

用を

済ます

か、人

と交

わら

ず、

分だけの匪

に閉

じこ

る人

いる

ようで

す。人

と人

との密

接な

つき合

は、昔よ

りも不得

にな

って

いるの

ではないかと心配しています。

 

私は大学の講師時代、結婚して東京

の大塚に小さな家を借りましたが、そ

こに学生が大勢でやって米て、お昼を

食べたり夕飯を食べたり、愉快に語り

あったものです。現在は、学生と教師

の交流も、昔のようにぱいきません。

これは現代社会のあり方の一端を示し

ています。今ぱ家族同士の交流さえ少

なくなり、家族が食事を店屋物で済ま

せたり、みんな別々に食べるというこ

とも

起きて

いると聞

きます

祝下

ご自

身が

二十歳代

の頃

は、現

在よ

りも、

もっと深

刻な不

況の

時代だ

った

と聞いて

います

が。

祝下 

メリ

カの株

式暴落

に端を発

た世界的

な大

恐慌で

た。田

舎の

寺に

も大勢

の方

が食べ

るものを求

めて

物乞

いに未

だこと

を憶え

います

 

ぱ幸

いにも、家

からの仕

送り

を受

けら

れる学生で

たが、東京

の芝

や三

の寄

宿先

から神田

の古本屋

に行

く時

も、電

に乗

る五

銭、

七銭

が尊

く思え、

また

体を丈夫

にす

る意味

もあ

って

、歩

いて行

った

もので

 

はひ

に生ま

れまして、

とて

も育

つま

いと

いわ

れたので

が、7.供

の頃

から

野山をよ

く歩

き回って足

腰を

鍛え

まし

た。その

ような

こと

が、私

が今日、

この年齢

まで

かされ

る根本

にな

った

と思

います。

 

の中

が不況

か好況

かに関わ

らず、

は若

い時

には勉

強に励

み、

健康な

身体作

に心を砕

いて、

心身と

もに健

全な人

生を送

るた

めの基礎

を作

ること

が大

切だと思

います。

 

教の

一つ

祝下

が学

生の頃

は、思

想的

にも混

とし

いた時代だ

と伺

いまし

た。そ

も現

とよ

く似て

いるよ

うで

すが。

祝下 

時の

学生を

最も

惹き

つけたの

マルク

ス主

義で

た。し

かし、

は闘

争の理論で

って、人

と人

の和八日

に反す

るもので

す。

命の尊

に目

れば、闘

争思

想を受

け人

れるわ

けには

いきま

せん。

 

の頃

、私

は未開人

の京

に関心を

って

おりま

した。

そし

て、未

開人は

闘争

によ

って

もの

ごとを決

るので

なく

、協調

によ

って

生活

を維

持して

るこ

とを知

ったので

す。

オー

ストラリ

アの原

注民

族は、ト

ーテ

ムと

いって、

先祖

を同

にす

るミ

つの

に分

かれて

いま

すが、そ

の二

班は対

立す

るので

なく

、互

いに補

い合

い、

片万

の班が

祭の

ときは、

もう

一方の

班も

それを見

物し

て楽し

むので

 

.切の

ものが助

けハ目って

いくと

いう

共生

の与え方

や、

一塵の中

に宇省令

が宿

ると

いう重

々無尽縁

起す

なわち

条紅教山初 風 瑞ナ 冊 に隼っか 冬くの 妊 成 人夕汐.福される W.下 、 新しい 年に 向け て、熱い 思 いをお 語 引こなる。

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名僧を訪ねて一 新しい年、新しい世紀に向けて浄 |この心を

す。心

身を健

全にして生

さて

いけば

い目の大

も片

にはなりま

せん

 

知恵

院で

は、

毎年、成人

の目

に、仏

僧の三宝

に帰依

る式

を行

って

お呪

して

おります。

るべき新し

いー.ト

匪紀

にも、仏法

憎のこ

宝がす

べての人、

よろず

の国

の尊

ぶべ

きらので

ると

う聖徳人

その

おう‥菓

は、

その通

りで

ると私

ぱ思

いま

す。

昨年

(平

成七年)

は、不

況に加

て、世

間を

ゆるかすよ

うな

大事件

がい

くつ

も起きまし

た。

世紀末

の気分、

末感

といった

ものが、

特に若

者の間

広ま

ってい

るとも

いわれて

います

が。

狽下 

その原囚

とし

ては、核

戦争の

怖、現代

文明

が環境破

壊を

進めス

顧み

い風

潮な

どかあり

ましょ

う。そ

うと

ころ

から終末を信

る宗

が匪

あちこちで

れて

いま

す。

目本で

も、京

教の名

かり

ながら

、京教

にあ

るま

じき行為

を繰り

返した集

が現れ

まし

た。

 

のよう

な、匪界

終末

に向

かう

いう思想とはまったく反

るのが、浄L

を願

って生

ることの大

さを

訴え

いる浄ヒ

宗で

す。人

が入

を仁

じて互

に助

けハ目いで

いに子を取

り介

って友

として生

きて

いく、そ

して

とも

に極

威の思

想と非

常に似通

った考

えが

そこ

にあ

るので

きまし

た。未

開の京教

から程度

が低

いと

いう

ことは

なく、

べての京

には共

通し

た根本

があり

それは命

の嫁

さに目覚

め、尊

くこの人

生を活

かすのを願

うこ

とで

あると思

ました。

 

ニミ

ムやプ

レ・ア

ニミ

ムだか

らと

いって低級

だと

いう

こと

はな

いの

す。そ

れが、当

時拡

が学ん

だ大

きな

ものの

.つで

た。

 

すべての人

に仏

僧の

--

い時には、

試験

に落ち

ると

か、

恋と

か、

さま

ざまな思

い違

いや失

を繰り返

す人が

多いと思

いま

すが。

祝下 

人間

は誰で

も多く

の失

敗を経

るもので

す。拡

にも、田心い出

した

いほど嫌

な、情

けな

い経験

や大敗

たく

さん

あります

。その失

にくじ

るの

か、乗

り越え

るの

かが九五

なこ

お念

仏の教

えは、

どん

な困

難の

中で

も仏

さまの

お導

きを仁

じて

生きて

いく

いう

ことで

から、

んな沁労

も乗

り越えて

いく

こと

に意味

がありま

に向

かう共生極

楽の仁

仰こ

そが、氷

るべき

紀の

もっと

も大

なも

にな

ると思

いま

す。

 

投下 

大閃

か生

きて

いること

の天

切の

つな

がりを、

衆縁和八日と

申しま

が、原

や条件の

積み重

なり

の中で

々は初めて生

きて

いると

いうこ

とで

す。

も空気を作

りだ

すこ

とはで

きないし、

地球

の引力

を作

ること

もで

ませ

ん。

 

それら

の目

に見

えな

い天

.切の

の中で

同は生

されて

いるので

から、天

地の恩

に服

い、

与え

られて

る命を仏

さまの御

に合

うよ

に使

果し

て生涯

を終

えるこ

と、極

に向

ってどこ

まで

も生

きて

いくこ

とが、

の生

き方で

あります

。仏

さまの御

の中で

すべて

の人

々が共

に生き

るこ

とが、す

なわち

こ運托生で

ll・浄土宗

も、平安

時代末期

らの末

法思想

の中で生

まれ

まし

が。

投下 

から、再び末

浩志

がはび

こって

いる今

こそ、浄L

を求

る田心想

が匪

界中

に広ま

るこ

とを願

います

和 や かな 祁.絞の 先 には、新しい 年 が… … 。 大 殿 勤 行の 前に 、御 内仏 でお 勤 めをな さる ,

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心い争一ーて心心皿E心心一心訪E和

 

仏教の和合共生思想、浄上教の一蓮

托生の思想、倶合一処・共生極楽の思

想に目覚めていけば、匪界は終末思想

を乗り越えて、発展思想に転㈲するこ

とができます。

 

和合

、共

祝下 

一ノブ)年以

上前

に起こ

ったフ

ンス革命で

、自

由・平等

・溥愛

いう

つの思

想が示

されまし

た。

知 風防 ・友 禅 苑にて四 季の 移り変 わりか畜しまれる,

 

から

の競

から

が作

が長

西

いた

 

.世

る人

にケ

いま

        

せんちやくほんがんねんふつ

 

祖法

今-仏

さし

の破

滅で

、匪

への

 

と五

に控

ご本

いく

け合

いの

して

こうで

か。

ま・ち

か・ど

易しい修行

作家 

 「悟

り」で

すぐ

に思

い浮

かぶ

が座禅で

しょ

う。

を組

に没入

る。

こで

りをひ

らく。

 

お釈

さま

の行

をな

り、

仏教

の人

に到

した

。中国

の祖

いわ

る達磨

「面

十年

-壁

に向

ってト

間座

けて

、し

には于

も足

り落

とし

マさん

にな

ったと

伝え

れて

いま

す。

 

を組

なら

、と

こと

こまで

やら

なく

ぱな

りま

ん。

達磨

師の

教え

を五

に緋

いだ慧

能と

いう人

は禅

宗のお寺にいながら殆ど座禅

修行をせず、仲間の坊さんが

べるお米を蔵の中で朝

から

晩まで扱

いて

いました。師匠

の弘忍は後継者を決める時、

いきなりこの若

い米扱

き坊さ

んを指名したそうで

す。

 

しかし、難行苫行は誰もが

きるもので

ぱありません。

法然ト人

ぱそのために、仕事

をしながらで

もで

きる易し

お念仏を教えてくれました。

から誰にで

もで

きる万人平

等の教えなのです。

 

私自身、去年病気をして

ら毎日三万

遍を越えるお念仏

を称えることにしました。気

づくのが遅すぎたかもしれま

せん。またそれで悟りをびら

いたな

どとぱ冗

談にも中せま

せん。

 

たリブ

点、体調かすばらし

く快適になっべ

とだけぱ確

って

いいき

るので

す。

れも

ルさも

に消え

いきま

す。

仕事

精力

に処

理し

いけ

ます

。是

ってみ

てド

い。

(浄土宗宗務総長 

成田 

有恒)

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全国おいしいものめくり

皿 

皿 

● 

中部編

天照寺

岐阜県高山市

江t

どうじま よしえさん

●材

料●

ゃが芋 

五〇

グラ

あぶ

らえ 

一〇

グラ

砂糖   

さじ

五杯

醤油   

さじ

一杯

昧酎   

さじ

一杯

作り

方■

じゃが芋

ぱそのまま茄て

が通

るようになったら、

皮をむ

き適当な大きさに切

りわける。

あぶらえをフライパンで

少量

がぱじけ

るまで

煎る。

をすり鉢で

油が

にじむ

までよ

くすり、砂糖、醤油

昧醸を加え昧を整える。

○@

の中

に○を入

れよく混

ぜ合

わせ適量を盛りつける。

★奥

一言

 

当寺で

は、毎年行ぅ

お十

夜法要

に精進料理を数品お

ししております。

 

今回は飛騨地方特産の、

 「あぶらえ」を使

ったあえ

物を紹介します。

 

聞き慣れないかと思

いま

すが、「あぶらえ」とは荏胡

麻のことで

す。

 

普通は胡麻

を使うところ

を、飛騨地方で

は昔

からこ

の「あぶらえ」

を使

って、

あえ物を作

ってきました。

鳥の餌にも使

われるようで

すが、胡麻

にも劣らな

い重

厚な昧わ

いと香

ばし

さがあ

ります。ほぅ

れん草や山菜

のくぐみなどをあえたり、

平餅のたれにも使

います。

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3時間目

社会日本に住む外国人と

外国に住む日本人

 

んも街で

国人

をょ

く見

かけ

ると思

いま

。電

バス

の中で

本人

かと思

いた

ら、外

語で

をし

いるグ

ルー

プが

いた

トラ

ンで

たど

たど

い日

語で

注文

とり

に来

る人

    

おおすもう 

あけほの

いま

。大

撲の

曙関

やJリ

グの

シンド

選手

ど、

さん

もょ

く知

って

いる外

も少

なく

はな

いで

よね。

 

日本に住む外国人は、もち

ろんそれぞれいろいろな理由

やって未ています。

 

日本人と結婚した人、勉強

に未だ人、働きに来た人、そ

れから戦争などで

自分の国

住むことので

きなくなった、

難民と呼ばれる人だちなどで

す。また、韓国・朝鮮人や中国

人で古くからいる人の多くは、

日本

が昔占領していた時代

に、

無理やり連れてこられ働

かさ

れていた人やその子孫です。

 

反対に、たくさんの日本人

が外因で

生活しています。み

なさんの親戚や友だちの家族

も、留学したり仕事で移り

住んで

いる人ふ

いるので

はな

いで

しょうか。ドジャースの

野茂投手の活躍に

ぱ、皆さん

も海を越えて声援を送ったこ

とと思います。

 

ぱ国

際電話も手軽

にかけ

られますし、大きな事件など

はすぐテレビで伝えられます

が、日本

も経済的にまだまだ

貧し

かった時代

に、現地の様

子もまったくわからないまま

に農業移民としてわたり、大

変な苫労をしてきた人

たちも

大勢います。昔、外国

へ売ら

れて

いった

貧し

い家

さん

もあ

りま

た。

 

た太平

争以

けで

く、現

在で

も、日

本の

男性

地の

女性

に生ま

、そ

のま

き去

された

たち

も相

にな

りま

 

れにで

心の

すま

るさと

いう

のが

るので

ぱな

いかと思

います。お正

お盆

に、家

族や親

が集

うひ

は、何

いえ

い安心

があ

ので

はな

いで

か。

 

や希

望を

って

るさ

を離

れ、成

る大

るで

う。

自ら

んで

移り

いれば、

族を

うた

にし

かた

く一大

へ働

に来

る人

、中

にはだ

れて

から引

き離

れて

る人

いま

いず

にしろ

こと

も文化

もち

がう

ころで

るこ

ぱ大

変な苦

労で

す。

に賃金

く、発

した

お千本

して

、日

をめ

ざし

てや

って

る人

はま

まだ増えると思います。関西

新空港の建設など、安

い労働

力を必要

とする目本の有情も

あります。

 

しかし、多くの外国人にと

って、日本は決して住みやす

い国で

はな

いとよくいわれま

。税

はし

かり

され

るの

に、選

ぱ与

えら

れな

いな

ど、法

の問

ありま

す。で

も、

っと大

は、

かり合

る人

が少

いこと

だと

いま

す。

 

なさ

んの

わり

の外

たち

が、どん

なことで

苫労し

いる

か、な

目本

やっ

か、そ

して

の人

ぱど

んな

とこ

なの

か、

をも

って

接し

いく

こと

切で

す。

また

外国で

、日

ぱど

んな

立場

か、私

ぱど

んな

関係

って

か、歴

や政

・経

につ

いて

も正

い知識

を持

るよ

に学

んで

いきま

しょ

Q 

現在、目本にはどれくら

いの外国人が住んで

いるで

十万

人以上

五十万人以

百万人以上

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檀信徒のための心・得・実・践・ノ・‐

・ト

法然上人と御忌

浄土宗の各寺院ではさまざまな

年中行事が行われます。それら

は仏教徒として、浄土宗檀信徒

として信仰を確認し、深めて

く絶好の機会なのです。

轟’浄土宗

寺院の年中

行事

 

浄上京の寺院で

行われる行事

ぱ、仏教各宗派で

共通に行われ

るものと、浄土宗独自の行事と

があります。ひ

とまず了

子な行

事をその実施される時期を基準

に列挙してみましょう。

★「修正会」 

一月一目上

二目

 

新年を祝い、

.年の無事を析

る各宗派共通の行事です。

★「御忌」 

一月ニ

ト五日

 

浄土宗独白の行事て

法然上

人のお命日

に執り行われます。

★「涅槃会」

二月十五日

 

お釈迦さま入滅の日に行われ

る法会で、仏教徒の

T般行事で

す。

★「鎮西忌」

二月二十九日

 

浄土宗の第一祖

、鎮西聖光土

入の

お命日に行われる行事です

★「善導忌」

三月十四日

 

善導火帥のお命日

に行われる

行事です。

★「彼岸会」

三月・九月

 

ご存知のお彼岸で

す。春分・

秋分の日を中日にした前後三日

の行

事で

す。

★「宗

祖降

会」

七日

 

法然

お誕生

を喜

遺徳

ぶ行事で

★「花まつり(潅

仏会)」

月八日

 

お釈

さま

お誕

に行

れる、

宗派

共通

行事で

す。

★「お盆

♀ュ蘭盆会

)L 

月・八月

 

地域

により

なり

ます

が、

を供

養す

る国

的な

行事で

す。

★「施

餓鬼

 

・八

月を

に、現

は五

に行

う寺

も多

って

。ま

、特

に日

にち

を定

てで

はな

、日

常的

に行

われ

いる地域

あり

す。

★「お十

夜」

 

‐ャ月

からト

ー斤

に浄L

る行

事で

一定

の期

を定

た別

時今-仏

を許

し、

阿弥

陀仏

を讃

る法会

。大

光明

いて後

上御

天皇

命で

れた

が始

りで

★「成

道会」

月八

 

お釈

さま

お悟

をひ

目に行

る、仏

教徒

の共通

の行事で

す。

 

この

にも

「仏記‥会

」「開山忌』

お身拭

い式」等

々あり

すが

檀信

さま

には、

ぞれ

の行

の意

ご理解

き、

した

菩提

の行

には積

ご参

加頂

いと思

いま

轟’法

 

さて

閲述

しま

した

に、

土宗

各寺

院で

は年

を通

さま

ざま

行事

が行

れて

が、「御忌

」ぱあの

『広辞苑』

にも

「浄

土宗

の開

祖法

然ト

年忌

る法会

と記

されて

いるよ

に、

浄上

京特

の行

して

く認

れて

いるので

 

また

、「なには女

や京

を寒

がる

御忌

詣で

蕪村

が詠

んで

いる

に、

俳句

の存

季語

もな

って

いま

す。

 

さて

この

「御忌

いうラ‥

は元

、天

や皇

ご分

汀わ

れる法

に限

って

使

いたも

ので

。先

にも申

しま

た通

一月ニ

ト五

が法

お分

日で

この忌

の法

「御忌

いう

ので

 

一般

に使

うこ

とので

きな

「御忌

いう言

が、

然上

の忌

に使

るよう

にな

った

のは

、遡

ること四

余り

.五

四(大

水四

)年

の後

柏原

から

知恵

の第

超荏‥存

に約

(天

の命

)が

くど

れま

した

いま

り後

、孟

(陰

《注釈》

涅槃会

 「涅槃

」は煩悩

の火が吹

き消

れた状態の安

らぎ、悟りの

境地

いう.バ葉です

が、ここで

はお

釈迦

さまの入滅

、亡くな

ったと

いう意味で

いられて

いま

す。

が国

と中川で

行われ

る、

お釈

さまの追悼報恩

の法会で

す。

鎮西聖光上人

 

..六..~

……八年

 

浄Lよ

の彰一.組令兄房弁

長ト

のこと。尾州西

北部を中

心に

活躍

されたた

め鎮西ト入・筑

レ氏

・宸‥導寺ト入

などと改称

れた。四ト八

力与

を建』吼された

いわれ

る。福岡

県久留米所

大本

山血‥導かの

開山ト入です

③善導

大師

 

で..~六八

.年

 

中国

浄L

教の大

成行。法然L

は「偏

に准‥導

.師によ

る」と

いい、親鸞は

「宸‥導独り仏

の正

を明ら

かにせ

り」と述

べて

るよう

に大

いなる貼付を

ゾえた

④宗

祖降誕会

 

然ト入は

.…

……(長承し

年、火

作川久米南

粂稲岡庄

、現

の岡山県久米

郡久米南町

まれ

になりま

した。父

は漆間

時田

、ほほ秦氏

の出身で

、独り

.jで

幼々いいは勢至

丸と申

されまし

仁 

この誕生の

地には

「誕生

か」

が建

-- *"jれて

おり、多く

の万

お遺徳を偲び参拝されて

いま

す。

⑤花

まつり

(潅

仏会)

 

お釈迦

さま

の誕生仏

を桶のよ

うな入

れ物

の中火

に置

き、その

に入

れて

ある伴祭を

杓で

汲ん

誕生仏の順

に潅

ぎま

す。こ

「潅仏」

いう作法で

す。

 

誕生仏は花で

った佗

御宝と

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.月春のはじめ)の月に遇わ

ば宜しく京畿の門葉を集めて、

ブ七日昼夜、法然上人の御忌を

條せしむべきなり」という内容

のものでした。

 

これ以後毎年、一月十八日か

らニト五

目まで御忌の法会が盛

に行なわれるようになったの

です。

 

こうした天皇の勅命がで

る理

は、法

然ト

の在

欧中

に、

、後臼

皇、

後鳥

の三

の戒

師を

めら

こと

や、

然ト

人滅

九ト

して

、伏

、後二

両帝

願で

『勅

御伝

いう法

然ト

の伝

が編纂

され

たと

いう

があ

って

この

「御

忌」

いただ

いたので

 

、法

然上

き後

、ト

の徳

を幕

子た

が、毎

お命目

に現

の知

恩院

・勢

に参

し、

恩謝

徳の

法会

んで

いま

。こ

うし

弟.Lた

の法

然し

を慕

う気

持ち

が、

御柏原

の勅

つな

った

いえ

るので

いで

しょ

か。

 「御忌

明冶

期まで

は、

月ニ

ト五

お命

にあ

わせ

われて

いま

した

が、

明冶

から

、気

の関

や参柱石

便宜ト

山知

恵院

や各

山を

じめ

くの

寺院で

、盲

一月

けて

、季

の良

い四

に行

にな

りま

した

 

もち

ん、

お命

一月二

にも

、各

地の

寺院で

お勤

されて

いま

 

の法要

が修

る目

の違

いは

って

お今-仏の

み教

って

、生

る喜

びと勇

たち

お示

し下

った法

然L

ご遺徳

ぶと

とも

に、

上人

御心

かな

お念

仏の

いそし

ため

の、

りよ

ご縁

を頂

く機会

、こ

御忌

なので

φ法

 

述の

御忌

の由

から

おわ

かり

にな

るよ

に、法

上人

ご功績

く社会

に認

れて

いた

ので

す。

 

ぱ法

上人

に下

れた大

師号

からも

い知

るこ

がで

きま

す。

 

師呼

いえ

ば思

い出

され

のは

「弘

法大

師」と

いわ

れるほ

ど、

真言

の開

・空海

さま

専売

特許

よう

に思

れて

いま

が、法

然上

七度

わた

て、

の天皇

から大

師‥ゲを

おら

るので

す。

 

師号

ぱ朝廷

から

有徳

高僧

に賜

る称

号で

ある、「人

師」の

ので

す。

 

さて、

然上

が賜

った

の大

師号

ぱ次

りで

す。

 

九七

(元

.0

)年

、東

山天

から最

の大

師号

「円

師」

の贈

り名

を賜

りま

 

一七

一 

(牢

水八

年、中

門天

から

「東

漸大

師」

す。以

ぱ五

年毎

に賜

るこ

にな

りま

す。

 

一七

六一(宝暦

ー)年

、桃園

「慧成

師」

、一ハ

ー (文

化八

、光

格天

「弘

覚大

師」

を、

二八六

(万

延二

)年

、孝

明天

から

「慈

教大

師」を

、加

されま

た。

 

一九

一 

(明治

四ト

)年

、明

治天

「明

師」

、そ

て昭

和天

から

一九

一 

(昭

和三

)年

に、「和順

帥」

が贈

れて

いま

 

紀、

一年

には

どん

な大

師‥ヅを賜

ことで

う。

 

然ト

お徳

が時

越え

く評

れて

ること

の大

る証

いえま

う。

 

、法

然上

のみ

えの

に生

いこ

とす

る者

にこの

いな

る遺

を謝

、念

生活

の励

させて

いた

いと

いま

す。

いう

お守

に人れて

おまつりしま

すので、柁

まつりと

いわれて

るのです

⑥別時

念仏会

 

特別

の道場

を設け

て、

期間を

って勤

める念仏の

こと。

⑦大

師号

 

が田で

最初

に大

師‥ヅが

噌ら

れた

のは、八六六年

に清和

犬自E

から大台京の開祖

・殼澄

(ビ六

~ハ

し..)

に、「仏教

大師」の

‥ヅが噌られたこ

とに始まり

、空

海(じじ四

~八ミ丘)には、九

.年

に「弘法人

帥」の‥ゲが贈ら

れて

います。ま

た、親鸞聖入

.一し.、√△

二六こ

)には、

ビハ

(明治九

)年

に「兄

良大

師」の‥ゲが贈

られて

いま

す。

☆詳

細は菩提寺

ご往職

ご相談

、トさ

い。

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仏一教

ーら

だ一博

物一館

写す

祈るバ香 港 )

 

お経を筆写する写経や、仏像を描く写仏が静かなブー

ムを呼んでいるようです。難しい漢字が並ぶ『般若心経』

などの経典を、一字一字心を込めて写すことで、心がな

ごみます。お経の難しい意味を知らずとも、写すことで、

ゆったりとした時を過

ごせるといいます。なせ

心が落ち

つくのでしょうか。写すという行いの中にある意味を、

今回

もともに探っていきましょう。

 

中国の

いにしえの都・長安、

現在の西安の街

から十キロほ・ど

山沿

いに走った場所

に、敦煌、

玄関と並

ぶ大石窟寺院・竜門石

窟があります。五

世紀末

から九

世紀まで、大小二千

あまりの石

窟が据られ、そこで

あまたの憎

が、修行の生活を送

ったと

いわ

れます。その中で

、最大

の仏像

が、奉先寺洞と呼ばれる石窟に

  

だいるしやなぷつ

ある大盧遮那仏、切れ長の目、

まろやかな輪郭などひときわ優

美なお顔をしていらっしゃいま

す。この仏さまぱ、中央アジア

から極東まで膨大な版図を誇っ

た大唐帝国の女帝・則天

武后が

発願したもので、武后自らの顔

を写

させ、造立したといわれて

います。

 

全宇宙の教主・盧遮那仏

に似

せて、自らの顔を仏像に写し取

るとは、比類無

い権力を持った

女帝らしい発想で

す。現此の欲

望を満足させるのに飽きノ

水遠

の命を願

ったので

しょう

か。

 「写す」と

いう行

いを解

く鍵

ぱここにあります。女帝は、仏

いう「完全なもの」に自らの

顔を擬

して、

永遠を得

よう

しまし

た。つまり写

す行為

もとにあるもの、写されるもの

ぱ、写したものより完全なもの

あると

いうことで

す。もっと

簡単な言葉で

いうと、コピーよ

り原本

が、より完全で

あるとい

うことで

すね。何

か完

全なもの

があって始めて、写す行

いが生

れてくるというふうにも

いえ

ます。則天武后は、完全なもの

ある仏さま

に自

ら似せること

によ

って、より

パーフェクトな

存在になろうとしたわけで

す。

 

こう考え

ると、お経を写すと

いう行為

もわかります。写す手

になるものぱ、どこ

か完全な

もので

なくてはなりません。完

全な教えで

ある経典が手本とな

り、心を込めて写すと

いうこと

が、

.つの修行

になりうるのも

わかります。

 

さて、お経ぱ写経のように字

を写すだけで

なく、声

に出して

となえられます。中国の言葉に

訳した

お経で

も、タイやスリラ

ンカの言葉のお経で

も、その国

の人で

あっても聞

いただけで

意味

がわかるもので

はありませ

ん。

 

中国の三国時代・已ハの国で使

われた発音だったり、サンスク

ット、パーリーという古代

ンドの読み方で

となえられるも

ので

、決して簡単には現代人に

聞いただけで

ぱ理解で

きま

せん。

なぜ理解できないものを、そう

して読むので

しょう。

 

ここで

も写すという言葉がキ

ーワードになります。お経を読

むと

いう行

いは、意味をわ

かる

ために読むというより、九日で

経、つまり

お釈迦さまがお説き

になった完全無欠な言葉を写す

行為で

あるといえないで

しょう

か。もちろん、仏道修行の

ーつ

として、仏典・お経の意味

をよ

りよく理解す

るために、

お経を

読むと

いうことも当然あります。

武后 は自らの 顔を写して仏 を造 立したバ 中 国・竜 門 石 窟)

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何度目の

お正月

かな。私のような年配

者ぱ指析り

かぞえながら、

つい過

ぎ去っ

た日のことを振り返ってしま

います。

 

子供のころの無茶苦茶に楽しかったお

正月。戦争末

から戦後のしばらくぼお餅

もなかった。終戦の大晦日、それで

もラ

ジオは紅白散合戦らしきものをやってい

ました。ラ

ストで

アナ君は絶叫しました。

 「この忌まわしき年、

さようなら/」

 

自分というものを軸点にして時の移り、

世の変わりが展開しできました。ただ一

点、

どんな時代、自分

が幾歳になっても

胸で強く呟く言葉がありました。

 「この新し

い年こ天

やるぞ/・」

 

さて私が最後

になる年のお正月、その

新年の決

意は何でしょう

か。「今年こ

お浄上

から阿弥陀さまがお迎えに来て下

さい」で

あったら有り難

いと思

って

いま

す。

新しい年を迎えて

うつりゆ

時のなかで

インド人は時 を写 すのに車 輪を使った。(インド)

となえます。また日蓮宗で

ぱ南

無妙法蓮華経と

いう題目をうち

わ太鼓をただきながらおとなえ

しますね。

 

われわれ浄土宗のほ

かにも浄

土真宗、時宗などでは南無阿弥

陀仏と

いう六字の名号をひたす

らおとなえします。真.べ

題目、

念仏

いずれも意味として

ぱ、何

かに帰依しますと

いう単純な意

味です。法華経という

お経に帰

依します。阿弥陀仏に帰依しま

すというそれだけの意味で

す。

しかし、それは阿弥陀仏という

宣命なものを、声で写して

いる、

何度も何度も声をあげて写して

いるという意味にとれないでし

ょう

か。

音の

 

南無阿弥陀仏と何度も何度も

お称えして

いるとゾL日だけが洛

に響きます。音の連なりだけ

が蝉脱に響

いてきます。南無阿

弥陀仏という意味はいつの間

かどこかへ消え去

って、音の無

限な連鎖だけが残ります。純粋

な声だけの世界で

、阿弥陀仏と

ともにあると

いう気さえしてき

ます。

 

念仏三昧と

いう言葉がありま

す。声にだす

お念仏を続けるこ

とによって、ある種の宗教的な

境地に達することと

いわれます。

京都の地名

にもなったぼ万

遍念

仏、お十夜法要の元になったト

目十夜念仏、現在もお寺で行わ

れている別時今-仏などすべて、

お念仏を丸一目から何日もの間

お称えする修行で

す。レ日米、数

多くの聖者と呼ばねた念仏憎が、

このような行にいどみ、それぞ

れの宗教体験を語って

います。

 

ボクポクと木魚の皆に八日わせ

て、お寺の本堂で

阿弥陀さまの

前に一入、長

い間、念仏を称え

る。ひたすらお念仏を称えたあ

なたにはどんな体験が待ち構え

いるのでしょう

か。

かし、例えば般若心経を何度

も何度も繰り返して読むという

行いは、そうとだけともいえま

甘ん。

 

例えば喜

八宗で

ぱ、陀羅尼や

真言と

いう古代インドの言葉を

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E皿皿

E皿四{浄

玖’ー

訥!吟じ新

トEE檀忌御と人上然法

』oDO GALLERY大

名僧を訪ねて新しい年、新しい世紀に向けて浄上の心

まちかと説法

い修

寺内大E‥

一皿

天g^r-vsぶらえ」

なむちゃん教室日

本に住む外

国人・c外

国に住む日本人

檀信徒心得イヒ法

然上

人と

仏教からだ博物館

″写

ぅっりゅく時ヵなかで

しい年

語造の・-?

・R

0

二の

心切

一なるか