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CREATOR'S FILE www.toppan.co.jp/gainfo クリエーターズファイル 1 ©2005 TOPPAN/GAC vol.22 Apr.1, 2005 特別号 松本氏学生時代からアメリカへりデザインをんだ現在もニューヨークで活躍するアートディレ クターだがけた数多くの展覧会図録偉大なアーティストからも称賛されるそんな松本氏図録制作かう姿勢すべきしみもなく費用時間をかけるアメリカについ また日本における文化への理解力についておったまつもとたかあき アートディレクター 1974 年渡米カリフォルニアパサディナのアートセンター卒業ニューヨークの Knoll International にアートディレクターとして勤務後87 M Plus M 共同設立94 matsumoto incorporated 設立現在N.Y. ADCTDC など受賞多数美術館へのコレクションも多数松本高明 MATSUMOTO TAKAAKI ex. 2 GA info. / CREATOR'S FILE vol.22 Apr.1, 2005

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  • CREATOR'S FILE

    www.toppan.co.jp/gainfo

    クリエーターズファイル

    1

    いろいろな出会いから生まれた人生

     

    サイトの読者には、アメリカで勉強してアメリ

    カでデザイナーになられた、松本さんの経歴に関

    心を持つ人も多いことと思います。その辺りから

    お話しいただけますか。

     

    僕の生まれは金沢ですが、家庭の方針で中学

    校からは東京の自由学園という一風変わった学校

    に入りました。ここで高校生くらいから美術の世

    界に進みたいと考えるようになり、個人指導など

    も受けていましたが、自由学園は受験用の教育は

    まったくしていないし、自分の準備不足もあり、

    現役での受験に失敗しました。

     

    その頃姉が、インテリアデザインの仕事をし

    ていましたので相談に行くと、姉の友達のグラ

    フィックデザイナーを紹介されました。彼が「美

    術をやりたいなら、ロサンゼルスにアートセン

    ターという素晴らしい学校があるから、そこ

    に行ったらどうか」とアドバイスされました。

    1972年のことです。

     

    しかし何も知識がなかったので、とりあえず赤

    坂のアメリカ文化会館を訪ねると、まず英語の勉

    強をしなければならないといわれました。そこで

    紹介されたのが、サンフランシスコ近郊のオーク

    ランドにあるホーリーネームズカレッジという、

    大学に付属した英語のカリキュラムを持った学校

    です。結局勧められるままそこに決めて渡米し、

    その学校で6カ月ほど英語の勉強をしました。

     

    英語はなかなか上達しませんでしたが、一応

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    vol.22 Apr.1, 2005

    特別号 松本氏は、学生時代からアメリカへ渡りデザインを学んだ、現在もニューヨークで活躍するアートディレクターだ。氏が手がけた数多くの展覧会図録は、偉大なアーティストからも称賛される。そんな松本氏の図録制作に向かう姿勢と、残すべき本に惜しみもなく費用と時間をかけるアメリカについて、また日本における文化への理解力についてお話を伺った。

    まつもとたかあきアートディレクター1974年渡米。カリフォルニア・パサディナのアートセンター卒業。ニューヨークの Knoll Internationalにアートディレクターとして勤務後、87年M Plus Mを共同設立。94年matsumoto incorporatedを設立し、現在に至る。N.Y. ADC、TDCなど受賞多数。美術館へのコレクションも多数。

    松本高明 M A T S U M O T O T A K A A K Iex.2

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    文 化 が 支 え る 、 残 す べ き 本

  • 家具カタログ ノール社 1984年 ポスター ノール社 1984年ロバート・ベンチュリ(建築家)の家具デザイン紹介のため、椅子の背を原寸大で型抜きしてポスターとしてデザイン

    2

    英語学習のためのカレッジを卒業したので、では

    大学に行こうということになったのですが、まだ

    英語が不充分だったこともあり、当時のガールフ

    レンドが行くというモンタレーのコミュニティー

    カレッジに一緒に行くことにしました。入るに当

    たっては英語の試験もあったのですが、なんとか

    ごまかして潜り込みました。このときにはまだ分

    からなかったのですが、取りあえずここに入った

    ことが後々とても有利に働きました。

     

    幸運だったのは、ここでとてもいい先生に出

    会ったことです。というのも、日本ではデッサン

    がつたなければ「下手だ」としか言われませんが、

    この先生は下手でもとにかくいいところを見つけ

    て誉めるんです。これが僕にはとても合っていた

    ようです。2年生になってこの先生と進路の話を

    すると、君はアートセンターに進む気はないのか

    と聞かれました。試験の難しい学校なのでとても

    無理だ、と僕が言うと、その先生はまずポートフォ

    リオをつくりなさいと言って、つくり方にも細か

    くアドバイスしてくれました。僕自身は半信半疑

    でしたが、それを持ってアートセンターに行くと、

    そのポートフォリオがとても評価され、すぐに来

    なさいと言われたのです。

     

    なんだか不思議な話ですね。

     

    そうですね。いろんなことが、幸運に働いた

    ような感じでした。通常外国からの学生はTO

    EIC

    やTOEFL

    のような英語の試験を受けなければい

    けないのですが、僕はアメリカの中での転校とい

    うことになったので、それが必要なくなりました。

    その後も僕は、英語の資格試験は一度も受けたこ

    とがありません。英語が苦手だった僕にとって、

    これはとても助かりました。

     

    でも入ってみると、授業は非常に厳しいもので

    した。コミュニティーカレッジで1カ月くらいか

    けていたカリキュラムを、ここでは1週間でこな

    すのです。夜も寝ないでやらなければ、ついてい

    けません。僕はここで、生まれて初めて真剣に勉

    強をしました。

     

    ここを卒業してデザイナーの道に入られたので

    すか。

     

    そうです。卒業時には、アルバイト先からシカ

    ゴの有名デザイン事務所も紹介されましたが、自

    分ではニューヨークに行こうと決めていたので、

    フィル・ギィップスというデザイナーの事務所に

    入りました。この人は当時「エイリアン」とか「スー

    パーマン」などの映画ポスターが有名で、ニュー

    ヨークタイムズのアニュアルレポートなども手掛

    けていました。ここでは勉強と人脈づくりのつも

    りで1年半ほど仕事をし、その後ノール(K

    noll

    International

    )という家具の会社に移りました。

     

    この会社はデザインを非常に重視する会社で、

    企業イメージを高めるためにカードひとつでもオ

    リジナルなものをつくっていました。ここでは2

    年目からディレクターになって、30人ほどの若い

    デザイナーと仕事をしました。6年ほどいました

    が、アメリカの永住権などもこの会社にいたとき

    に取ってもらいました。その間に賞もいくつかも

    らいましたし、友人など横の関係も広がってきた

    ex.2 松本高明 特別号

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  • レベッカ・ホーン 展覧会図録 グッゲンハイム美術館 1993年 ロイ・リキテンシュタイン 展覧会図録 グッゲンハイム美術館 1994年

    3

    ので、フリーの仕事もどんどん入ってくるように

    なりました。昼は会社の仕事、夜は自分の仕事と

    いう生活を2年ほど続けました。

     

    ノールでは、予算の制約や会社の押しつけなど

    はほとんどありませんでしたから、かなり自由に

    やれました。アメリカの場合通常、そういう制約

    が非常に多いので、デザイナーとしては幸せでし

    た。そのうちにフリーの収入が会社の給料を上回

    るようになってきたので、独立しました。独立後

    もノールの仕事をしていた関係で、ファブリック

    や家具、インテリア関係の企業からの仕事が多く

    ありました。

    作家の人生を受け止める感覚

     

    松本さんの展覧会図録の仕事は、どのあたりか

    ら始まったのでしょうか。

     

    元々純美術が好きだったので、80年代の終わり

    から90年代の初めにかけて何かそれに関係する仕

    事をしたいと思い始めました。するとちょうどそ

    の頃、友人の学芸員からグッゲンハイム美術館で

    レベッカ・ホーンの大きな展覧会があるので、そ

    の本をデザインしてくれないかという話がきまし

    た。こういう仕事のギャランティーは非常に少な

    いのですが、僕は以前から彼女の作品がとても好

    きだったので引き受けました。それが、アメリカ

    で展覧会図録などを手がけた最初でした。

     

    ドイツまで行って、彼女の持っているものをい

    ろいろ見せてもらいました。パフォーマンスや映

    像もやってきた人なので、写真やフィルムも多く、

    それらを見ているとそれまでの彼女の人生や生き

    方を感じることができました。現存する作家と仕

    事をすると、そういう様々なことが見えてきて、

    非常に刺激的でした。

     

    この仕事の評判がよかったのか、グッゲンハイ

    ムからまた仕事の話が来ました。それが、ロイ・

    リキテンシュタインです。出来上がったのは、約

    30センチ四方で400ページ以上ある本です。こ

    ういう本は日本でいう展示会図録というようなも

    のではなく、作家の集大成になるものです。だか

    ら美術館だけでなく、街の書店でも美術書として

    売られます。学芸員や美術館にとっても、そうい

    う形で世の中に出ることがまた歓びなのです。

     

    でも彼のようにキャリアを積んだ作家は、40年

    代、50年代に手放した作品などは、それ以降一度

    も見ていない、などというものもかなりあります。

    本を作る過程でコレクターから写真が届くのです

    が、元の色などはほとんど分からない、状態の悪

    い写真も沢山あります。ところが助かったのは、

    彼の場合何年代から何年代まではこの色というよ

    うに色が決まっていて、パレットも残っていまし

    た。そこでそのパレットからチャートをつくり、

    製版の際に色をつけたものもあります。

     

    結果的にリキテンシュタイン本人も、これが自

    分に関する最高の本だと言います。彼自身が「こ

    れから自分のことを知ろうとするなら、この本し

    かない」というほどの決定版的なものになりまし

    た。彼くらいの作家になると経済的なことよりも、

    自分が歴史的にどう評価されるかが問題です。そ

    の頃のグッゲンハイム美術館は、多少お金をかけ

    特別号ex.2 松本高明

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  • 杉本博司 『Sea of Buddha』 2001年 エルスワース・ケリー 展覧会図録 グッゲンハイム美術館 1996年

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    最近はどのような仕事を手掛けられていますか。

     

    今はメトロポリタンやグッゲンハイム、フィラ

    デルフィアのミュージアムなどの美術館の仕事を

    しています。メトロポリタンミュージアムにコス

    チュームインスティチュートというところがあり

    ますが、そこの本は毎年僕のところで制作してい

    ます。

     

    写真家の杉本博司さんとはいろんな本をつくり

    ました。ドライトラップという、校正刷りのよう

    に1色刷っては乾かし、また1色刷っては乾かし

    という方法で印刷したものもあります。これはア

    メリカの印刷所で刷りましたが、結局印刷には3

    カ月かかりました。こんな贅沢も、資金を出して

    くれたところがあるからできることです。

     

    これまでもいろいろな本をつくってきましたが、

    現在の出版業界ではこういう本づくりについては

    資金が出ない状況です。美術館は図録などの採算

    性はあまり問わないのでできますが、杉本さんの

    本などは、杉本さんの仕事を知る人が是非出版し

    たいということで資金を出してくれたり、奨学金

    のような公的な資金を活用しなければできません。

    出版ビジネスではほとんど不可能です。

    日米のグラフィックデザインと文化への理解

     

    松本さんから見て、日米のデザイン界の違いを

    どのように感じられますか。それとも大きな違い

    はありませんか。

    てもそれに相応しい良い本をつくろう、という気

    概がありました。

     

    現代作家の図録を多く手掛けられていますが、

    本づくりの魅力はどんな所にあるのでしょう。

     

    やはり、作家と一緒につくるのは、非常に面白

    いですね。リキテンシュタインのあとに、エルス

    ワース・ケリーの仕事がきました。これ以来、彼

    に関する本はすべて僕がやっています。彼は、「私

    の作品を壊さないでデザインしてくれるのは、君

    だけだ」といってくれます。仕事を始めたとき

    には、僕も何度もやり直しをしました。彼の作品

    は、一定の大きさの中に納めようとすると形が壊

    れてしまうのです。仕方ないので僕は、仕上がり

    サイズの紙を彼のところに持参し、「これに直接

    描いて下さい」と提案しました。結果的にうまく

    いきましたが、彼は「これまで、そんなことを言っ

    てくれるデザイナーはいなかった」と言います。

     

    ほかにも亡くなったフィリックス・ゴンザレス・

    トラスなど、現代作家の図録類をつくりました。

    彼はゲイで、自身もHIVで亡くなった人です。

    彼の作品に、キャンディーだけを積んで、それを

    ひとつずつつまんでいく、というものがあります。

    そのキャンディーの重さが、恋人の体重だったの

    です。つまりそれは、次第に恋人がHIVに侵さ

    れていく様子です。彼の本は、そんな彼のパーソ

    ナルな世界を出そうということで、小さな日記帳

    のようなデザインにしました。このように現存す

    る作家と仕事をすると、その作家と生死を共にす

    るような感覚を得ることもあります。

    特別号ex.2 松本高明

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  • C R E AT O R ' S F I L E vol.222005年4月1日発行

    発行凸版印刷株式会社東京都千代田区神田和泉町1番地〒101-0024http://www.toppan.co.jp

    発行責任者三浦 篤

    スーパーバイザー樋澤 明

    企画・編集・制作凸版印刷株式会社 GACTEL.03-5840-4058http://www.toppan.co.jp/gainfo

    取材:浅野正樹、福田大、福井信彦文:福井信彦 編集:浅野正樹 デザイン:福田大

    左列上段より、「アフタヌーンティー」 ブランドロゴマーク 1990年、 「アフタヌーンティー」 商品マーク 1990年、 「レストラン喜八」 ブランドロゴマーク 1987年、 以上サザビー社中列上段より、「ICL」 ブランドロゴマーク 1992年、 「サザビー・バッグ」 ブランドロゴマーク 1987年、 「AIX」 ブランドロゴマーク 1994年、 以上サザビー社右列上段より、「淡島ホテル」 ブランドロゴマーク 1990年、 「沖縄水族館」 ブランドロゴマーク 1990年

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    心配をしていました。最近になってそういう一種

    の強迫観念のようなものがやっとなくなり、本は

    やはり残るだろうという方向になってきました。

    デジタルでは、情報を得たり、図や写真や文字を

    見ることはできますが、モノに触れなければ分か

    らない触感や匂い、製本の工夫や技術などは伝え

    られません。僕の所にも、ネットで紹介したいの

    で本の画像を送ってほしいといってきますが、そ

    んなものでこの本の良さが伝わるとはとても思え

    ません。

     

    今、オフセットの印刷技術については、基本的

    には世界中みな同じです。だからどこで評価する

    かというと、いい内容で、いいデザインで、いい

    印刷で、いい製本でつくっているかということで

    しょう。これはたんなる技術の問題ではありませ

    ん。だから印刷会社が仕事を広げようと思ったら、

    やはりいい著者や編集者、デザイナーと組んで、

    いい仕事をするしかないでしょう。

     

    日本の企業は文化事業、教育事業に関わっても

    投資の元を取ろうとするようですね。でもアメリ

    カの企業は、文化や教育で元を取るのは初めから

    無理だと考えます。アメリカの場合、文化事業に

    寄付をすると税金で落とせる、という税法上の違

    いもあります。日本の場合それがないからでしょ

    うか、企業は文化事業を宣伝としか考えませんし、

    なにか具体的なリターンを求めます。

     

    しかし、税制のせいばかりにできないと思う

    のは、日本の企業経営者に文化や教育への理解力

    が足りない点です。クリエイターが打ち合わせに

    参加しても、多くの場合経営者の意見はほとんど

    出てきません。「先生、お任せします」などと言

    われますが、デザイナーを先生あつかいするとい

    うことは少なくともアメリカではありません。で

    もそういう意味では、もしかすると日本のデザイ

    ナーの方がやりたいことができるのかもしれませ

    んね。

     

    グラフィックデザイン自体は、アメリカも日本

    もそうは変わらないと思います。しかしデザイン

    も社会の中にあるのだから、社会が変わってこな

    いとできないことがあるのではないかと思います。

    今の日本では企業の力が非常に強いので、企業の

    体質が社会やデザインにどうしても反映するよう

    な気がします。

     

    今後、印刷はどのようになると思われますか。

     

    10年ほど前にある本づくりに携わっていると、

    出版社側はこれをCD

    -book

    にしないといけないの

    ではないか、そうしないと時代に遅れる、という

    特別号ex.2 松本高明

    © 2 0 0 5 T O P PA N / G A CG A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 2 2 A p r. 1 , 2 0 0 5