2011 年度卒業論文概要 - 新潟大学...PRO...

22
新潟大学人文学部 英米文化履修コース 2011 年度卒業論文概要 【英語学】 池田 真司 On Control in English 菊池 美央 The Acquisition of Case by Japanese Learners of English 田中 陽平 Notes on Small Clauses in English 韮澤 肇 On the Double Object Construction in English 山沢 翼 On Ellipses in English 【英米文学・文化】 五十嵐 優美 9.11 とアメリカ 板垣 利沙 P. G. ウッドハウス『マイ・マン・ジーヴス』研究 小川 めぐみ ロバート.N.ベラー「市民宗教論」研究 長部 美里 イラク戦争研究 川崎 瞳 アメリカの家族の行方 北村 和貴 RA・ダール研究 真水 彩奈 ジェイン・オースティン『高慢と偏見』研究 白井 まなみ ジェリー・フォルウェル研究 進藤 みき ジョージ・マクドナルド研究 鈴木 ちさと トマス・ハーディ『テス』研究 武田 奈緒 チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・トゥイスト』研究 田中 彩 A Study of Alice Walker 長井 宏憲 ノーム・チョムスキー研究 七澤 光里 進化論裁判とアメリカ 原沢 萌 『トム・ブラウンの学校生活』研究 山岡 可歩 エリザベス・ギャスケル『メアリ・バートン』研究

Transcript of 2011 年度卒業論文概要 - 新潟大学...PRO...

  • 新潟大学人文学部 英米文化履修コース

    2011 年度卒業論文概要

    【英語学】

    池田 真司 On Control in English

    菊池 美央 The Acquisition of Case by Japanese Learners of English

    田中 陽平 Notes on Small Clauses in English

    韮澤 肇 On the Double Object Construction in English

    山沢 翼 On Ellipses in English

    【英米文学・文化】

    五十嵐 優美 9.11 とアメリカ

    板垣 利沙 P. G. ウッドハウス『マイ・マン・ジーヴス』研究

    小川 めぐみ ロバート.N.ベラー「市民宗教論」研究

    長部 美里 イラク戦争研究

    川崎 瞳 アメリカの家族の行方

    北村 和貴 R・A・ダール研究

    真水 彩奈 ジェイン・オースティン『高慢と偏見』研究

    白井 まなみ ジェリー・フォルウェル研究

    進藤 みき ジョージ・マクドナルド研究

    鈴木 ちさと トマス・ハーディ『テス』研究

    武田 奈緒 チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・トゥイスト』研究

    田中 彩 A Study of Alice Walker

    長井 宏憲 ノーム・チョムスキー研究

    七澤 光里 進化論裁判とアメリカ

    原沢 萌 『トム・ブラウンの学校生活』研究

    山岡 可歩 エリザベス・ギャスケル『メアリ・バートン』研究

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    池田 真司 On Control in English

    本論文は、英語におけるコントロールに関する研究である。コントロールというのは以

    下のような例で観察できる現象である。

    (1) a. John tried [PRO to leave].

    b. John persuaded Bill [PRO to leave].

    c. John promised Bill [PRO to leave].

    PRO は音形のない空の主語であり、(1a)では主語の John と、(1b)では目的語の Bill と、そ

    して(1c)では主語の John とそれぞれ同一指示関係にある。ここでいうところの John, Bill

    といった先行詞をコントローラーと呼ぶ。コントロールに関する議論では、どの NP がコン

    トローラーであるのかを予測する理論が必要となる。

    そこで、Kikuchi (1980) の分析に沿って、これまで提案されてきたコントローラーの選

    択に関する理論を概観した。具体的には、Rosenbaum (1967) の最短距離の原則(minimal

    distance principle)、Chomsky (1980) で提案されている理論、Jackendoff (1972) の

    Verb-Marking Theory、Williams (1980) の叙述理論(Predication Theory)を考察の対象

    とした。これら4つの理論を検討した結果、いずれの理論も問題を含んでおり、現状のま

    までは不十分であるという結論を下した。

    また、上記のような理論ではコントローラーを選択できない例があり、そのような例に

    関しては Manzini (1983) で提案されている domain-governing category を導入した。この

    枠組みを採用することにより、コントロールを2種類に分類することができる。

    (2) *John asked Bill [PRO to behave oneself]

    (3) [PRO to behave oneself in public] would help Bill

    例えば、目的語位置に不定詞節が生じている例(2)では PRO の恣意的解釈は不可能であるの

    に対して、主語位置に不定詞節が生じている例(3)ではそれが可能である。また、(2)は

    domain-governing category を持ち、その中で PRO は束縛される。一方、(3)は

    domain-governing category を持たず、PRO は自由に指示する。また、COMP を伴う例(4)、

    不定詞節が外置された例(5)、不定詞節が元位置にある受動態の例(6)などに対しても同様の

    分析を行い、コントロールが2種類に分類できることを示した。

    (4) John asked [how [PRO to behave oneself]]

    (5) It would help Bill [PRO to behave oneself in public]

    (6) *It was decided by John [PRO to behave oneself]

    さらに、domain-governing category を用いた分類が、義務的コントロールと随意的コン

    トロールの分類につながる可能性に言及し、本論文の結論とした。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    菊池 美央 The Acquisition of Case by Japanese Learners of English

    本論文では、英語の日本人学習者が起こすエラーに注目する。Zobl(1984)の実験によると、非対格動詞において過剰な受身生成のエラーが見られる。

    (1) *The most memorable experience of my life was happened fifteen years ago. Burzio(1986)の非対格動詞仮説によると統語的、意味的に自動詞は、非対格動詞と非能格動詞の二つに分けられる。それぞれ区別された動詞の組として考えられる。

    (2a) An accident (Theme) happened. 非対格動詞 [ ø , ] (2b) A boy (Agent) laughed. 非能格動詞 [ Agent , < ø > ] (1)のエラーの原因を考えるため 3 つの分析を行った。 1 つ目は非対格動詞の統語的分析である。非対格動詞の主語はもともと VP 内に生じて IPの spec にくり上がる。この NP 移動が、受動態の主語の NP 移動と似ていることから、日本人学習者は非対格動詞を受動態にするエラーを引き起こしたと考える。

    (3a) [IP An accidenti [I ’ Infl [VP happened ti ]]] (3b) [IP The songi [I’ was [VP written ti by him ]]] 2 つ目は日本語と英語の非対格動詞の比較をする。英語と日本語の統語構造が異なっていることが分かる。Yatsushiro(1999)は Scope の実験結果から、日本語の Theme は VP 内に留まることができると提案した。日本語は IP の spec が空でもよい言語なので主語が VP 内にとどまる。そのため主語が繰り上がる NP 移動は珍しいので、彼らは受け身の形態こそがNP 移動を表すものとして考えているのであろう。 (4)日本語 [IP [NP e ] [VP Dokoka-ni daremo-ga tuita ]] 3 つ目は非対格動詞の意味的分析を行う。非対格動詞の Causative 動詞は他動詞としても使える。一方、Non-causative 動詞は他動詞になることはできない。Causative 動詞で Themeが主語の時、受動態になるので、Non-causative 動詞においても Theme が主語であれば受動態になると誤って認識している。Theme が主語だと受身形にしてしまう傾向がある。

    (5a) The window broke. / The storm broke the window. (5b) A star appeared in the sky. / *The darkness appeared a star in the sky. Causative verb [(Causer), ] Non-causative verb [ ø , ] さらに日本人学習者は非能格動詞では非対格動詞と同じようなエラーをほとんどしなかっ

    た。このことから、二種類の動詞を意味的に区別できていることがわかり、主題役はどの

    言語にも共通していると結論付ける。一方で格付与は言語によって異なることがわかった。

    英語の非対格動詞は内在格と構造格のどちらが働くかによって構造が異なるといえる。 (6a)英語 [IP There Infl [VP arrived everyone somewhere ]] (6b)英語 [IP Everyonei Infl [VP arrived ti somewhere ]]

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    田中 陽平 Notes on Small Clauses in English

    本論文では英語における小節構造について議論する。小節とは、いわゆる学校文法でい

    う SVOC 文型の OC 部分に該当する。節には節を構成するために補文標識や定型動詞が必

    要であるが、OC は、この条件を満たさないが、それぞれ主部と述部の役割を果たすため、

    小節と呼ばれる。小節は、ECM 構文型と there 構文型に分かれる。

    第二章では、there 構文に小節が生じることの正当性と、ECM 構文型小節と there 構文

    型小節の違いについて議論する。Williams(1984)は幾つかの理由から there 構文の連辞に

    後続する要素は小節を構成しないと主張している。この主張は McNulty (1988)と

    Chomsky(1986)の主張に反することから、Kikuchi and Takahashi(1991)は、日本語の小

    節構造を援用することによって、there 構文に小節が生じることを説明しようとしている。

    またこの分析を利用し、恒常特性記述の述語が there 構文型小節に生じないことが説明で

    きる。Carlson(1977)によると、恒常特性記述述語は総称的解釈しか許されないとされ、

    さらに、Diesing(1992)は、Heim(1982)の論理構造の分析を利用して議論を進めている。

    これらの分析を踏襲し、ECM構文型小節の主語が外部主語の位置にあるのに対して、there

    構文型が内部主語の位置にあることから、後者には一時特性記述述語しか生じないと考え

    ることが可能になり、この事実が説明される。

    第三章では、there 構文について詳細に議論する。Stowell(1983)の分析を利用し、存在

    there 構文は、動詞 be と名詞句補部および場所格補部を必要するという事実を、Aki (1995)

    の分析から説明する。また、この主張は、存在 there 構文は、目的語と到達点表現を含む

    与格構文と共通の構造を持つと予測するが、この予測が正しいことを明らかにする。

    以上の分析を通して、英語における小節構造は、ECM 構文型小節と there 構文型小節

    があること、また there 構文型小節には別種類の構造を仮定する必要があることを論ずる。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    韮澤 肇 On the Double Object Construction in English 本論文は、英語における二重目的語構文についての研究である。Larson(1988)とFujita(1996)の二重目的語構文の分析を基に、二重目的語構文に関する言語現象を確認・再検討することで、より正確な二重目的語構文の構造をとらえることを目的とする。 まず、2 つの目的語の非対称性を確認する。 (1) a. I showed Mary herself. (2) a. I showed each man the other’s socks.

    b. *I showed herself Mary. b. *I showed the other’s friend each man. この非対称性は三又枝分かれ構造では説明できず、本論文では二又枝分かれ構造(特に併

    合(merge))を採用する。 次に Fujita(1996)で提案された使役構文での動作主・誘因者構造 (Agent-causer

    structure)の階層性を確認する。 (3) [VP Subj1(Agent)[V’ V1 [AgroP [Agro’ Agro[VP2 Subj2(Causer)[V’ V2 [XP Subj3 X]]]]]]]

    また、二重目的語構文と与格構文の関係性を認め、基底構造から二重目的語構文と与格

    構文のどちらにも派生可能性を持つ中立的な構造を提案する。 さらに Larson(1988)と Fujita(1996)の格付与・主題役付与の方法が非規則的であること

    を指摘し、より体系的な格付与・主題役付与の方法を定義づける。 Fujita(1996)の提案した構造で最小連結条件(Minimal Link Condition)の違反があるこ

    とを指摘する。Fujita(1996)の構造では LF で格付与を行う。 (4) Fujita(1996)における John gave a book to Mary.の LF での構造( が MLC 違反 ) [VP1 John[V’ gavek[AgroP a bookl[Agro’ tk[VP2 tl[V’ tk[AgrpP Maryi[Agrp’ toj(tk)[VP3 tl[V’ tk[PP tj[NP ti]]]]]]]]]]]]

    Fujita(1996)で焦点を当てられている逆行性束縛(Backward Binding)は二重目的語構文では認められないが、与格構文では容認可能であるという言語事実を確認する。 (5) (Dative Construction) a. ? John showed each other’s friends to Bill and Mary.

    (Double Object Construction) b. *John showed each other’s friends Bill and Mary. 最後に本論文で提案する二重目的語構文の構造に、逆行性束縛(Backward Binding)に関

    する言語事実に矛盾せず、最小連結条件にも違反していないことを明らかにして以下の目

    的語構文の構造を提案し本論文の結論とする。 (6) a. John gave a book to Mary. [AgrSP Johnk[TP tk gavei[VP3 tk ti[VP2 ti[AgrOP a bookj[AgrO’ [V’l [V ti][NP2 tj]][AgrO’[VP1 Mary tl]]]]]]]] toの挿入※the last resort (7) a. John gave Mary a book. [AgrSP Johnl[TP tl gavej[VP3 tl tj[VP2 tj[AgrOP Maryk[AgrOP a booki(tk)[AgrO’ tj[VP1 tk[V’ tj[NP2 ti]]]]]]]]]] ① ② ③ の順に移動がおきる。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    山沢 翼 On Ellipses in English

    本論文は英語における削除現象についての研究である。主に VP 削除、NP 内削除、間接

    疑問文縮約に焦点を当て、これら 3 つの削除現象に統一的な分析を与えることを目的とす

    る。各現象は以下のようなものである。

    (1) VP 削除:John talked to Bill but Mary didn’t [e].

    (2) NP 内削除:John calls on these students because he is irritated with those [e].

    (3) 間接疑問文縮約:Linda tells me she is going on vacation, but when [e] is still

    unclear.

    例文を通して検討した結果、これらの現象には、①等位接続節、従属節内のどちらにも

    発生できる、②後方照応制約に従う、③発話境界をこえて発生できる、④語用論的先行詞

    を持つことができる、といった共通点を確認することができる。これらは、別の削除現象

    である「空所化」には見られない性質であることから、上記 3 つの削除現象をそれと差別

    化でき、また、これら 3 つの削除現象に統一的な説明を与えることができると予想される。

    これらの統語的特性について説明するために、まず Jackendoff (1971)や Ross (1969)ら

    による初期の削除理論を概観した。それらによると VP 削除は最大投射 VP に作用するのに

    対し、NP 内削除と間接疑問文縮約はそれぞれ中間投射 N’、S に作用する。そして削除が成

    立するためには、VP 削除において助動詞で占められた INFL、NP 内削除において指定部、

    間接疑問文縮約において WH‐句が、それぞれ必要となる。

    ここで問題となるのは、①削除が異なる投射レベルに作用していること、②削除を認可

    できる要素、できない要素に対して統一的な説明を与えることができないということの 2

    点である。

    これらの問題を解決するために、Saito and Murasugi (1990)と Lobeck (1995)の理論を

    用いた。 Saito and MurasugiはDP仮説を用いてVP削除とNP内削除の一般化を図った。

    これにより VP 削除、NP 内削除ともに最大投射に作用することが示される。また同様に

    CP 仮説を用いることで間接疑問文縮約においても最大投射に作用することがいえ、3 つの

    削除現象の作用する範囲が最大投射範疇に統一される。また二つ目の問題点に対しては、

    Lobeck の認可と同定の理論により統一的な説明が与えられることを示した。さらに機能素

    性を与える機能範疇に注目し、こうした機能範疇が削除を導入できるという提案を示した。

    以上の分析により、VP 削除、NP 内削除、間接疑問文縮約は統語的に統一的な分析が与え

    られ、一般化できると結論付けた。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    五十嵐 優美 9.11 とアメリカ

    ―テロの背景とアメリカ国家のあり方に関する考察―

    本論文では、アメリカ同時多発テロの背景について分析し、そのテロをアメリカ国家が

    どのようにとらえているのかということについて考察した。

    第1章では、なぜアメリカがテロ攻撃の対象とされたのかということについて考えるた

    め、9.11 テロの首謀者とされているオサマ・ビンラディンや他のイスラム急進主義者の主

    張に注目し、彼らの不満がどのようなものなのか、検証した。その結果、主としてアメリ

    カ軍のサウジアラビアへの駐留やパレスチナ問題におけるアメリカのイスラエルよりの姿

    勢などに、彼らの不満があることがわかった。次に、これまでにビンラディンほどアメリ

    カを敵視した人物はいなかったという事実や「イスラムの地からの異教徒の排除」を最も

    重視する彼の見解に注目し、彼によってイスラム世界の人々の祖国の政情や彼らを取り囲

    む状況に対する不満や怒りなどがすべて、共通の敵、アメリカへと向けられることとなっ

    てしまったことを明らかにした。

    第2章では、アメリカの過去の対外政策やテロリズム対抗措置、9.11 に関与したテロリ

    ストの生い立ちに関する事実をもとに、9.11 テロの発生した要因について検証した。そし

    て、アメリカの自国本位の外交政策や他宗教に対する無理解や軽視がイスラム世界の人々

    に反米感情を植え付けてしまったこと、中東やその周辺地域の不安定で不健全な社会環境

    がテロリストの台頭を容易にしてしまったこと、アメリカ政府や情報機関がテロ対策・防

    衛に関して怠慢な姿勢であったことなどが、このテロの背景にある要因であるということ

    を明らかにした。

    第3章では、9.11 テロをアメリカがどのようにとらえているのかということについて、

    このテロに関する公式文書であるThe 9/11 Commission Reportをもとに考察した。まずは、アメリカが自国にとって都合のいいように、このテロをサミュエル・ハンチントンの「文

    明の衝突」という枠組みでとらえているということを指摘した。そして、このレポートに

    はアメリカの過去の外交政策を正当化する記述や 9.11 テロが主としてイスラム側の要因か

    ら発生したというような記述があるということを示し、結果としてアメリカが「文明の衝

    突」という彼らにとって好都合な図式に依拠しているために、このレポートにおいては彼

    らの過去の好ましくない外交政策などについての的確な分析や反省する姿勢が見られない

    ということを批判的に述べた。またその一方で、このレポートに見られる、テロリズムの

    増大を防ぐために発展途上の国々の社会環境改善に努めようというアメリカ側の姿勢や、

    テロから国を守り、テロに備えるために有効な対策を講じようとしているアメリカ側の姿

    勢は評価に値すると述べた。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    板垣 利沙 P. G. ウッドハウス『マイ・マン・ジーヴス』研究

    ――ウッドハウスの過去から考える女性登場人物――

    本論文では、『マイ・マン・ジーヴス』My Man Jeeves(1919)に描かれた女性に注目し、

    ウッドハウスが本作品において男性に悪影響を与える女性ばかりを描いた理由について探

    る。また、女性登場人物のほとんどが同じようなタイプの女性であることから、ウッドハ

    ウスが過去に出会った実在の女性がモデルになっているのではないかという仮説を立て、

    論じる。

    第 1 章では、『マイ・マン・ジーヴス』執筆以前のウッドハウスの過去を調査し、作品内

    の登場人物の設定や出来事との比較を行う。ウッドハウスは自身が訪れた地を、バーティ

    ーが住む場所として設定し、また他の登場人物においても事件の舞台としていることが多

    い。さらにウッドハウスは自身が出会った執事を、ジーヴスのモデルにしていることを後

    に明かしている。このことから、『マイ・マン・ジーヴス』がウッドハウスの過去と強い結

    びつきを持った作品であり、また本研究における答えを導く手段として、作者の過去を調

    べることが有効であるといえる。

    第 2 章では、「伯母」について着目する。本書に描かれた伯母は、甥が望まないことを強

    要し、また甥も決してそれを断ることができないという特徴が見られる。これは、甥が伯

    母から経済援助を受けており、伯母の要求を拒否し機嫌を損ねることは、自身の生活に支

    障をきたすからだという理由が挙げられる。ウッドハウス自身も、幼少期から学生時代に

    かけて、伯母の世話になっていたため、作品の甥たちと同様の環境であったといえる。こ

    のことから作品の伯母に影響を与えたのは、ウッドハウスの伯母である可能性が高い。

    第 3 章では、「婚約者」の女性に焦点を当てる。彼女たちには、初めに婚約していた男性

    を一方的に捨てるという共通点が見られる。その理由を、唯一その特徴を持たないメイド、

    エマとの比較を行いながら探る。彼女たちには、付き合っている男性に違いが見られる。

    女性たちから婚約を解消される男性は、バーティーやレジーといった、第 1 章で筆者の過

    去との強いつながりがあることを指摘した人物ばかりである。さらにウッドハウス自身が、

    過去に愛した女性と破局する経験を何度もしている。これらのことから、付き合っている

    男性が、筆者の過去とどれほど共通点がある人物かによって、婚約者と別れるか否かなど

    といった女性の行動に違いが出てくると考えられる。

    以上のことから、ウッドハウスが作品の中で男性に害を与える女性ばかりを描いたのは、

    それが自身の過去や体験に基づいたものだからだという結論に達した。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    小川 めぐみ ロバート.N.ベラー「市民宗教論」研究 ―市民宗教が持つ曖昧性と柔軟性―

    社会宗教学者ロバート.N.ベラーRobert Nelly Bellah(1927-)は、論文 ‘Civil Religion in

    America’(1966)の中で、アメリカには個人が信仰する宗教とは別に国民全体で共有する宗教的意識(市民宗教 Civil Religion)が存在していると述べた。彼にとって市民宗教は、アメリカ人が地域の一員や国民としてのアイデンティティの決定のために不可欠なものであった。

    しかし彼の論文に対しては、「形式的で直接市民に作用する力はない」「アメリカ的帝国主

    義に依存している」など様々な批判や議論が生じ、最終的にはベラー本人が発表当初の市

    民宗教は現代アメリカ社会では形骸化していると述べるまでになった。しかし彼はその後

    もそうした宗教的共同意識がアメリカの国民と社会を結びつけ得るという姿勢は崩してい

    ない。私は、彼はアメリカ社会を広く客観的な視野をもって考察しており、市民宗教は今

    日でもアメリカに大きな影響を与えていると考え、それを証明することを本論文で試みた。 第 1 章では、市民宗教は独立革命の時代に生まれ、本来はアメリカ国家の統一と国民の統制のために作られた制度であることを明らかにした。市民宗教の聖典とされている独立

    宣言と合衆国憲法は、建国の父たちが民衆の自由を抑制するために作られたものであった。

    初期の市民宗教は多様な宗派の共同体を内包するために幾分かの柔軟性を持っていたが、

    あくまで厳格なキリスト教の共同体を基礎にした制限的な制度であった。 第 2 章は、アメリカ社会の都市化と民族の多様化が進み、伝統的なキリスト教的共同体が崩壊しつつあった 19 世紀後半に、市民宗教が初期のものから新たな形に変容したことを明らかにした。市民宗教は成立当時から有していた「情念」という要素を利用し、より多

    くの市民に訴えかける力を持つ「温かさ」と「熱意」を持つ言葉を得たことで、キリスト

    教に依存するものからより総括的なものへと変容していったのである。 第 3 章では、ベラーが情念のような市民に直接作用する力を重視していたのは、社会が抱える問題に対し市民自らが行動を起こすことが重要だと考えていたからであると述べた。

    これにより市民は社会に対する責任ととともに、自身も社会に支えられているという相互

    依存的な関係を自覚する。ベラーはアメリカと世界各国も同じ関係にあり、よりよい世界

    の実現には、一方的な干渉や圧力ではなく、相互協力と試行錯誤の繰り返しが必要である

    ということを主張しているのである。 情念は曖昧で不確かなものだが、その不確かな言語に支えられているアメリカの市民宗

    教はそれ自体曖昧で不確かなものなのである。しかしこの曖昧さと不確かさはまた柔軟性

    と流動性でもあり、アメリカの市民宗教は常にその時代の人々の考え方を反映してきた。

    そしてアメリカ人自身も、社会の変化や多様化に対応するためにそのアイデンティティを

    変化させてきたのである。ベラーの市民宗教は、アメリカ人のアイデンティティ自体が非

    常に脆いものだということを明らかにしたのであり、これこそが彼の論文が多くの混乱を

    呼んだ原因でもあった。ベラーの市民宗教論は、決して帝国主義的でも形式的でもなく、

    日々変化するアメリカ社会と国際情勢に柔軟に対応することを呼び掛けているのである。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    長部 美里 イラク戦争研究

    ―大統領と高官たちの思想・感情―

    本論文ではイラク戦争開戦の要因の一つとして、ブッシュ政権の高官たちの思想や個人

    的な感情があったということを明らかにした。第一章では開戦までの過程を検討すること

    で、彼らの思惑が政策決定にいかにして反映されたのかを検討した。政権はイラクを攻撃

    するためにタカ派やネオコンの思想が基となっているブッシュ・ドクトリンを発表し、先

    制攻撃の必要性を主張した。さらに、イラクが大量破壊兵器を保有している確固たる証拠

    はなかったにもかかわらず、ブッシュと政権はラムズフェルドやチェイニーの盲目的な確

    信に強い影響を受け、イラク戦争は開始された。

    第二章ではブッシュの個人的な感情や信仰、そして支持者との関係がいかにイラク戦争

    推進と結び付いたのかを明らかにした。ブッシュは湾岸戦争以降の父から引き継いだ未完

    のミッションをやり遂げるという意識、そして父の暗殺未遂を行った独裁者フセインへの

    個人的な憎しみを持っていた。また、強い信仰心を持ち、就任後はホワイトハウスで定期

    的に祈祷会や聖書研究会を行った。しかしキリスト教はイラク戦争開戦の決断に影響を与

    えたのはなく、イラク戦争を正当化するために用いられたのである。またブッシュは 2004

    年の大統領選挙でのキリスト教保守・右派の票を獲得すること、そして大口の資金提供先

    である軍事産業に利益をもたらすことも認識していたに違いない。

    第三章ではとラムズフェルド、そしてチェイニーとウォルフォフィッツという政権の高

    官たちの政治思想や経歴について述べた。ラムズフェルドの政治家としての人生は失意の

    連続であった。しかし国防長官に就任し、ブッシュと特別な信頼関係を築くことで悲願は

    達成された。彼はミサイル防衛構想を中心とするタカ派の思想と、ネオコンとの関係を駆

    使し、テロに対する戦いの顔にまでなったのである。また、米軍再編や度重なる戦争によ

    り軍事産業が利益を得たことをブッシュと同様に認識していたことは間違いない。チェイ

    ニーはタカ派であること、ハリーバートン社との関係、ウォルフォフィッツはネオコンで

    あること、そしてブッシュ同様に未完のミッションへの使命感が理由となり、政権内で大

    きな役割を果たした。

    このように開戦の背後には高官たちの様々な思惑が存在していたのである。アメリカが

    現在の軍事プレゼンスを保持し続ける限り、今後も同様のことが起こり得る可能性がある。

    だが、このようにして始まった戦争が招いた結果は 9.11 テロとともにアメリカ国民の記憶

    に残り続けるだろう。そしてこの先、政策の選択肢として戦争があげられたときの抑止力

    となるに違いない。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    川崎 瞳 アメリカの家族の行方 ― 家族観の変化と離婚問題 ―

    今日、アメリカには様々な形態の家族が存在している。離婚や再婚は世界トップレベル

    であり、そのため片親家族やステップファミリーが絶えず生まれている。より最近では、

    結婚せずに同棲を続ける非婚カップルも増加しており、また養子縁組がよりオープンにな

    ったことは同性愛者カップルたちにも希望を与えた。このような家族に関する様々な変化

    の中で、最もアメリカ人にとって身近にあるものが離婚問題である。現在、アメリカ人の

    結婚の二組に一つが離婚で幕を閉じると言われている。この背景には、アメリカにおいて

    家族という概念に変化が生じてきていることが考えられる。 本論文では、アメリカ人の結婚観、子供に対する価値観、離婚観にそれぞれ変化が起き

    ていると仮定し、これらが相互に作用し離婚を助長していることを明らかにしようと試み

    た。 第一章では、家族を作り出す基本制度としての結婚に焦点を当て、時代ごとにアメリカ

    人の結婚観がどのように変化してきたかを提示した。かつては家と家とを結びつけ「労働

    と生産の単位」であった結婚が、19 世紀の “love-based marriage”という概念の誕生をきっかけとし、個人の自由によるプライベートなものへと化していることを明らかにした。 第二章では、アメリカの家族における子供の役割に注目した。かつては、子どもを持つ

    ことが成功した家族の象徴として認識されており、子供のいない夫婦は病理的であるとさ

    れていた。しかし、今日そのような考えを持つ者は半数にも満たず、子供が家族の幸福度

    を測るという考えは減少しつつある。このことから、家族の中心として夫婦を結びつけ、

    さらに離婚を食い止めるバリアーとしての子どもの役割が失われつつあることを示した。

    また今日の家族において、子どもとの結びつきよりも夫婦の結びつきが重視されている可

    能性を指摘した。 第三章では、家族を解体させる離婚の問題に焦点を当てた。主要な離婚原因が「愛情の

    欠如」といった夫婦の感情に基づくものであることから、アメリカにおける離婚の多くが

    夫婦の都合で行われており、それは家族の問題というよりも夫婦二人だけの問題となって

    いると考察した。二章で述べた子供の役割の欠如に加えて、離婚に対する世間の見方が寛

    容化し、離婚経験者自身もそれを失敗とみなすのではなく、より幸せな家族を持つための

    ポジティブな手段であると捉えるようになったことで、離婚の増加がますます進んでいる

    と考えた。 以上のように、結婚をより個人的なものと捉える人々の結婚観の変化が夫婦主体の家族

    を生み、子供をその中心から追いやった。そのため家族の中で離婚を食い止める存在が欠

    如し、加えて離婚に対するポジティブな解釈をもつ人々が増えたことで離婚が日常化して

    いる。このようにそれぞれの変化が相互に影響しあって、現在のアメリカの家族の多様化

    を生んでいると結論付けた。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    北村 和貴 R・A・ダール研究

    -ポリアーキー論による公民権運動の客観的評価-

    本論文における目的は、アメリカの政治学者ロバート・A・ダール(Robert Alan・Dahl)

    によるポリアーキー論を用いて、1960年代を中心に盛り上がりを見せた公民権運動が

    アメリカにもたらした政治的体制における変化、影響について客観的な評価をあたえるこ

    とである。この客観的な評価を国、あるいは地方の体制において行うことで、民主主義に

    程遠い体制にどのような過程を踏むことで民主主義的な体制へと向かうことができるのか

    を示し、またすでにある民主主義的体制のより一層の民主主義的な体制の促進を行うこと

    ができるのである。

    第一章では、主にポリアーキー論についての説明を行った。ダールのポリアーキー論が、

    政治的体制における自由度を意味する異議申し立ての度合い、そして政治的体制における

    参加度を示す包括性によって構成されていることについて述べた。その上で、ポリアーキ

    ー論の前提となっている政治的体制としての民主主義的体制がその民主主義的体制の条件

    化で暮らす人にとって有益であるかについての考察を行った。

    第二章では、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr.)を指導

    者として行われた公民権運動についての説明を行った。次に公民権運動の概要について述

    べた。公民権運動がどのようにして発足し、いかにして社会問題となっていったのかにつ

    いて述べ、公民権運動によってもたらされたアフリカ系アメリカ人たちにおける変化につ

    いて説明した。

    第三章では、公民権運動はポリアーキー化であり、アメリカの政治的体制において影響

    を及ぼしたことを証明した。まず、第二章でのべた公民権運動によってもたらされた変化

    が、ダールのポリアーキー論における、体制としてのポリアーキーを評価づける具体的な

    条件に基づき、アメリカの政治的体制において民主的な促進を行ったことを証明した。さ

    らに、本論文において考察した公民権運動によってもたらされたそれらの政治的体制にお

    ける民主的な促進を、①自由度を示す公的異議申し立ての促進②参加度を示す包括性の促

    進③公的異議申し立ておよび包括性の促進、の三つのケースに分類した。また、政治的体

    制における民主的な促進は黒人に関連した体制に限定してみられたわけではなく、アメリ

    カ全体の体制に及ぶものであったことについても述べた。

    本論文における、公民権運動によってもたらされた変化・影響を対象とし、ポリアーキ

    ー論を客観的な尺度として用いて評価を行う、という試みを通じ、公民権運動は確かにア

    メリカにおける体制を異議申し立て、包括性の二つの要素を高めた民主的に促進したポリ

    アーキー化であった、と結論づけることができるのである。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    真水 彩奈 ジェイン・オースティン『高慢と偏見』研究

    ― 第一印象に作用する偏見 ―

    『高慢と偏見』Pride and Prejudice(1813)では、主人公のエリザベスを中心に、人を「第一印象」で判断する描写が目立つが、先行研究では第一印象によって知ることができ

    る情報は極めて少なく、役に立たないと言われることが多い。しかし、仮に第一印象を否

    定されているものとして読むと、説明のつかないことが多々ある。エリザベスが第一印象

    で人間性を見抜くことができる人物の存在や、ダーシーの所領のペンバリーを一目見るだ

    けで彼との結婚を考えるなど、第一印象は有効的に使われることが多い。よって、本論文

    では第一印象は否定的に描かれていないことを明らかにし、第一印象を否定的に見せてい

    るものは何か探ることを目的とする。

    第 1 章では、一般的に誤りと考えられているエリザベスのダーシーとウィカムに対する

    第一印象を検証する。その結果、間違っているのは第一印象でなく、「認識」であることが

    明らかになる。ダーシーは高慢で不愉快な人物であり、ウィカムは外見で得をする人物で

    あるというエリザベスの第一印象は正確であるが、「偏見」によってダーシーは不人情なこ

    とをする人という印象と、ウィカムは紳士らしい人の典型という印象が生じる。エリザベ

    スは偏見によって生じる印象に基づいて 2 人を認識するため、認識を誤ってしまう。

    第 2 章では、エリザベスが第一印象で人間性を見抜けるコリンズとキャサリン夫人に対

    しては、偏見が働いておらず、偏見によって間違った印象が生じないため、認識が成功し

    ていることを示す。また、第一印象は正確であるものの、偏見のためにダーシーの認識に

    失敗するエリザベスは、ペンバリーの風景を通して彼の人間性を把握できる。エリザベス

    が偏見を持つダーシーを理解する手段として、ペンバリーの風景、手紙、肖像画など人間

    でないものを使っていることには、ダーシーという人物を偏見を与えることなく伝える意

    味がある。このことから明らかになるのは、偏見が働かないものに対するエリザベスの認

    識は正確だということである。

    第 3 章では、エリザベスがダーシーとウィカムだけに偏見を抱くことについて、エリザ

    ベスの「虚栄心」が原因であると提示する。よって、人間でないものやエリザベスの虚栄

    心を傷つけることも満たすこともない人物には、エリザベスの偏見が働かない。エリザベ

    スは、自分に対してそっけない態度をとったり侮辱をして虚栄心を傷つけるダーシーを悪

    い方向に、好意的で虚栄心を満たすウィカムを良い方向に考えるため、偏見が生じる。

    以上より、『高慢と偏見』において否定的に描かれているものは、エリザベスの偏見と、

    偏見を形成する基になる虚栄心であると結論づけられる。偏見は第一印象を打ち消し、間

    違った印象を生じさせ、結果的に間違った認識へと導くのである。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    白井 まなみ ジェリー・フォルウェル研究

    Jerry Falwell はテレビ説教家で、新宗教右翼団体 Moral Majority の創設者である。初め

    は政治の世界への不介入を公言していたが、アメリカの伝統的な価値観の衰退を危惧して

    1970 年代後半に政治への介入を始めた。Moral Majority は福音派の政治化という時代の流

    れの一部として取り上げられるが、Moral Majority や Falwell に焦点を当てた研究は少な

    い。そこで本論文では Jerry Falwell の思想や Moral Majority の社会的位置づけについて

    示し、Falwell の意図と Moral Majority の意義について検討した。

    第 1 章では Falwell の宗教観に着目し、育ってきた環境や周囲の人や教会活動などの影

    響から福音主義的な宗教観を形成していった事を示した。Falwell は敬虔な Baptist の母親

    から信仰を受け継ぎ、無神論者の父親と自分の born-again 体験や教会での聖書の勉強や近

    所の家を訪問して証を広める活動から、信仰を人々と共有することを重視するようになっ

    た。教会で出会った Whittemore 親子からは“deeper spiritual life”という、現実世界での行

    いよりも神と自分の関わりを重視する生き方を学び、晩年の Falwell に影響を与えた。

    第 2 章では Falwell は中絶問題など多くの人が関心を持つ社会問題に言及する事で国民

    の倫理意識を高め、祈祷の時間や宗教的な教育によって人々の倫理観を形成する事を目指

    したことを示した。Falwell は福音主義的な理由から人工妊娠中絶に反対し、テレビやラジ

    オで訴えたり、中絶を望まない女性が子供を産める環境が整った施設を作ることで中絶件

    数を減らすことを目指した。また、Falwell は教育に関して熱心で、Liberty University を

    初めとする教育機関を創設し、様々な分野で優秀な人間を育て、それによって福音の伝道

    活動を世界中に広めようとした。

    第 3 章では、Moral Majority は表面的な力しか持つことができなかったことを示した。

    Moral Majority は、born-again を宣言した Reagan を支持したが、Reagan の Moral

    Majority 支持は上辺だけのものだった。Falwell は初め聖職者の政治関与に反対していたも

    のの、政治に福音を広める可能性を見出し、考えを改めていった。Moral Majority は福音

    派の考えに偏りすぎたことにより宗教や経済など様々な立場から批判された。Moral

    Majority は結局、福音派の価値観を世間に推し進めようとしているるだけという見方をさ

    れていた。Moral Majority は世の中に道徳の危機意識を強く印象付ける事には成功したが、

    実際の政治には影響を与える事ができなかった。

    以上から、Moral Majority は福音主義的なキリスト教の価値観を政治に取り込み、非現

    実的な政治を目指したことから批判的に見られ、世論との間に溝ができた。しかし社会問

    題に対する道徳観の崩壊に警鐘を鳴らし、そういった倫理的価値観や道徳の問題を人々に

    改めて考え直す機会を与えたといえるだろう。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    進藤 みき ジョージ・マクドナルド研究 ―「水」がもつ多義性とその役割について―

    ジョージ・マクドナルドは 19 世紀ヴィクトリア朝時代に生きた詩人、小説家である。彼

    の宗教観と想像力が混じり合う幻想的なファンタジー小説は多くの作家に影響を与え、現

    在でもモダン・ファンタジーの先駆者的存在としてその名を知られている。マクドナルド

    の作品には数多くの象徴的なモチーフが用いられるが、本論文ではその中でも特に物語中

    で重要な意味を付与されている「水」のモチーフのもつ多義性とその具体的な意味を探る

    ことを目的として、マクドナルドが水に与えたと思われる 3 つの水の役割について考察した。 第 1 章では、水のもつ浄化作用に着目して、物語中における浄化作用のもつ意味と効果を明らかにした。ドイツ・ロマン派の影響を受けたマクドナルドの来世信仰とも呼べる死

    後の世界の理想化によって、彼の作品の中には死後新たな生を迎える登場人物たちが多く

    描かれている。彼にとって死後の生こそが真の生なのであり、肉体の死を迎えてから真の

    生に移るまでには死の熟成期間が存在するが、その中で物語における水浴は真の生へと移

    行する熟成期間前に全ての穢れを洗い落とす効果をもち、死後の再生への重要なプロセス

    になっていることを示した。また同時に浄化するという行為は、魂を清めることにより物

    事の本質を露わにする力を与え、登場人物に「善」をもたらすというもう一つの効果も持

    ち得ることも指摘した。 第 2 章では、物語中において母性を与えられて描かれている水について「母なる水」として考察した。『黄金の鍵』The Gold Key における「影の降ってくる国」(≒天国)への旅路が女性の子宮へと進む行程を象徴していること、またマクドナルドが最も神に近い存在

    であると考えていた幼児の姿をした火の老人を旅路の最後であり子宮を象徴する洞窟に配

    置していることから、水浴をはじめとする様々な水のモチーフが、母親としての人格と愛

    情をもち実際的に登場人物に働きかけるものであると同時に、登場人物を子宮へと回帰さ

    せ、新しい生を受けるにふさわしい条件を整えるものであったことを示した。 第 3 章は「導きの水」と題し、作中において水が登場人物を異世界へと導く役割を果たしていることについてのどのような解釈が可能かを考察した。マクドナルドは人間の力や

    作品はすべて神から与えられた二次的なものであり、その点で人間は神に対し受動的な存

    在と考えており、彼にとって自然はその神の意志を人間へと伝える媒介物であった。その

    中でその神聖さゆえに彼は水を「神の想像力から生まれるもの」としており、それは人間

    の想像力、つまりは個人の中に別世界を作り出す源でもあるために、作品中では異世界へ

    の案内役として描かれていることを指摘した。 以上の議論により、マクドナルドが水を単なる科学的物質や風景の一部として描いてい

    たのではなく、そこに彼の宗教観やフェアリーテール論に関わる多義的な意味と思想を意

    識して投射していたことを証明した。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    鈴木 ちさと トマス・ハーディ『テス』研究

    ―ハーディの〈自然〉観とテス―

    本論文では、ハーディの『テス』Tess of the D’Urbervilles(1891)に関し、主人公であ

    るテスによって〈自然〉が、彼女をめぐる 2 人の男、アレク・ダーバヴィルとエンジェル・

    クレアによって〈文明〉が表され、自然と文明の対立構造が描かれているのではないかと

    指摘した上で、テスの息子ソローや、テスの妹ライザ・ルーに視野を広げ、テスの持つ〈自

    然〉の性質が血族により受け継がれていることを示す。

    第 1 章では、テスの清純さと人間としての虚栄心の背反について指摘したうえで、テス

    とアレックの〈血縁〉について考察し、ハーディがテスに神聖な側面を与えた理由を探る。

    第 2 章では、『テス』において、アレック=「都会型悪人」、エンジェル=「田舎型善人」

    という二項対立的図式が見受けられることを指摘し、テスの持つ清純さとセクシュアリテ

    ィの二律背反が、〈自然〉と〈文明〉との背反に相当する可能性を指摘する。

    第 3 章では、テスの清純な側面が、ハーディの詩作群にもみられる自然賛美を表してい

    ることを指摘し、一方で、テスのセクシュアリティが〈文明〉を飲み込む〈自然〉を表し

    ていることを明らかにする。

    第 4 章では、ライザ・ルー、ソローの両名について、テスとの関係を明らかにする。ラ

    イザ・ルーはテスと同じ血を持つものであり、「とてもいい子で、単純で、清らか」な人間

    である。この意味でライザ・ルーは〈自然〉の清純な側面を継承していると考えられる。

    ソローはアレックとテスの間にできた息子であり、テスのセクシュアリティを確立する役

    割を果たしている。

    以上に述べてきたことから、『テス』はハーディの自然観が表出した作品であり、血縁関

    係によって〈自然〉の清純な側面を継承したライザ・ルーが〈自然〉を表すエンジェルと

    共に生きていくこと、そして〈自然〉がよみがえりを迎えることこそ、〈自然〉と〈牧歌的

    な文明〉との融合であり、ハーディが最も描きたかったテーマだったのではないか、と結

    論づける。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    武田 奈緒 チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・トゥイスト』研究

    ─フェイギンからみるディケンズの悪─

    チャールズ・ディケンズの『オリヴァー・トゥイスト』Oliver Twist(1838)は、孤児の少年オリヴァーが大都会ロンドンに出てきて、生まれもった純粋さと数奇な運命により

    下層階級から脱却し成功を収める話である。本論文では、ディケンズが『オリヴァー・ト

    ゥイスト』を執筆するに当たり犯罪者の姿を「ありのまま」に描くことを一つの目的とし

    ていたことから、盗賊フェイギンに注目することによりディケンズ自身が考えていた悪と

    は「自己保身」と「自己利益」の追求であることを論じ、同時に「真の悪は子どもの中に

    は存在しない」ことを導き出す。

    第 1 章では、フェイギンと彼を取り巻く子どもたちとの関係を考えることで、フェイギ

    ンには、子どもたちに彼を裏切ることができない気持ちを植え付け、保身をはかる「陽気

    な老紳士」を演じる姿があることが分かる。また、フェイギンとサイクスの比較により、

    サイクスはふだんから残忍さをはっきりと表に出す「直情型」の人間であるのに対し、フ

    ェイギンは冷静に周囲の状況を見定めることによって、己の保身のためならば周囲をも平

    気で裏切るというずるがしこさをもった人物として描かれているとする。これは、サイク

    スが死の間際に自身の犯した「罪の意識」にさいなまれるのに対し、フェイギンは絞首台

    に上る直前まで「死」そのものにおびえる姿にもっともよく表されている。

    第 2 章では作者ディケンズの幼少期の思い出を通し、靴墨工場での肉体労働により社会

    的、階級的な挫折感を味わい自尊心を傷つけられた上に、子どもにとってよき理解者であ

    るはずの両親が彼を理解してくれなかったことに深く傷ついたことを証明した。またディ

    ケンズに強く意識させたであろう、物語に多く出てくる「首つり」というキーワードを、

    ニューゲイト監獄を通して検証するとともに、ディケンズ自身が興味をもって監獄を見学

    していることで、作中における描写がいかに研ぎ澄まされたかを検証する。

    第 3 章では以上を踏まえ、「世の中には冷たく、残酷な性質を持っていて、最後は救いが

    たく、完全な悪と化する人間がいる」という序文に注目し、作品中での子どもの末路を考

    察することで、最初から全くの悪はいない、つまりディケンズの考える悪の一つは「真の

    悪は子どもの中には存在しない」ということだと結論づける。さらに第 43 章でフェイギ

    ンがノアに説く“Number One”の哲学に注目し、もう一つの悪を「貪欲なまでに「自己保

    身」と「自己利益」を考えることで、他人を顧みない、思いやりという心の欠如した人間」

    であることを検証する。さらに 19世紀イギリスの人々に恐怖を植え付けた絞首刑という、

    極悪の犯罪者における最悪の、しかしある意味で最高の刑によってフェイギンの人生の幕

    を下ろすことによって、ディケンズはここに彼の考える「悪」に鉄槌を下しているという

    見方ができるとした。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    田中 彩 A Study of Alice Walker On the relationship between self-esteem and the spirit of co-existence in Possessing the Secret of Joy 本論文では、アリス・ウォーカー Alice Walker (1994 - ) の 『カラー・パープル』The Color Purple (1982) と『喜びの秘密』Possessing the Secret of Joy (1992) を取り上げ、自尊心と共生の精神が彼女の考える「ウーマニスト」“womanist”という思想とどのような関係にあるのかを考察した。この 2 作品には「オリンカ」という彼女が創作したアフリカ系の国と部族が登場し、タシは「オリンカ族」の少女で、実際に中西部アフリカ、中近東、アジアの一

    部の国々で行われている女子割礼を受ける。この「女の儀式」と呼ばれる女子割礼により

    タシは身体の自由を奪われ、自尊心を喪失し、精神の崩壊を経験するが、周りの人々の助

    けによって自尊心の回復を果たす。この自尊心の回復の過程において、タシはアフリカの

    神話や伝統の中には女性の神聖さを貶める罠が隠されていることに気がつく。アリス・ウ

    ォーカーは、タシの経験を描くことにより、伝統という名において正当化されてきたこの

    習慣について、その正当性と存続に疑問を投げかけている。 第 1 章では「オリンカ人」の特徴とアフリカの神話、タシが「女の儀式」を受けるに至った経緯を考察した。「オリンカ人」は彼らの伝統や慣習と異なる生き方や方法を拒絶して

    おり、また、アフリカの神話には男性にのみ神聖さを与え、女性の神聖さを奪うための罠

    が隠されていることを明らかにした。さらに、「オリンカ人」は白人の搾取により民族とし

    てのアイデンティティーが揺らぎ、残された民族の証として「女の儀式」を固守している。

    これらのことから、白人や外国人による搾取が彼らを伝統や文化に固執させ、「女の儀式」

    は自尊心を喪失させるものであると述べた。 第 2 章ではタシの自尊心の回復に焦点を当て、彼女が周囲の人々の助けによって自己を取り戻していく過程を考察した。多種多様な人物の多角的な発想や視野がタシの自尊心を

    回復させ、彼女は自分の抱える問題を認識し、それを他人と共有し、周囲の人々に支えら

    れながら自立する力を手に入れた。独立と相互依存の間にバランスを見出し、本物の自己

    を持つ仲間たちの中に自分を置くことに成功したタシは、失われた自尊心を取り戻し、自

    身の価値を認識するようになる。タシの経験を通して、アリス・ウォーカーは自尊心と共

    生の精神には関係性があると考えていると述べた。 第 3 章ではアリス・ウォーカーが作り出した「ウーマニスト」という言葉の定義に触れ、彼女がタシの経験を通して主張していることについて考察した。「ウーマニスト」の特徴は、

    区別や差別を排するところにあり、アリス・ウォーカーにとってその最も重要な目的は共

    生の精神の創造であると考える。この作品の真意はアフリカ批判ではなく女性の自由の探

    究にあり、彼女はタシの経験を通して、全世界に共通して根づく、差別、貧困、社会的不

    平等の根源を暴き、それらを正当化する伝統や文化、慣習を提示し、その是非を問うてい

    ると述べた。 以上のことから、彼女が思い描く共生への入り口には自尊心の問題があり、その回復の

    一例として『喜びの秘密』においてタシの経験を描いていると考えられる。女性器切除と

    いう経験は特殊なもののように思われるが、自尊心を喪失し、自分の価値を見失い、差別

    や抑圧に苦しむ女性は全世界に存在する。彼女は女子割礼の暴力性や危険性を告発するだ

    けではなく、それが行われる背景や根源を明かし、人種、宗教、性別の境界を越え、自由

    な心と広い視野で差別や既成概念に立ち向かう術を提示し、自尊心を促すことが、他者の

    価値を認め、共生の精神を共有することに関係すると証明したと結論づけた。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    長井 宏憲 ノーム・チョムスキー研究 ―米国の知的文化の批評におけるユダヤ的特性―

    ノーム・チョムスキーAvram Noam Chomsky (1928-)は米国の言語学者、哲学者、批評家、活動家である。彼の政治批評家としての評価には、急進的、反体制派、反グローバリ

    ズム、アナキストといった一般的な認識がある。ユダヤ系アメリカ人でありながら米国や

    イスラエルの政策を厳しく批判する彼は「アメリカの良心」と形容される一方、主流メデ

    ィアからは周辺に追いやられ、政治学、特に国際関係論においてはあまり取り上げられて

    いない。ここで留意しておく必要があるのは、彼は政治学者ではなく政治批評家、思想家、

    活動家としての性格が強いということである。彼のエスニシティが政治批評にどのように

    反映されているかという点についての研究は、主として中東問題やシオニズムに関連した

    彼の批評を扱ったものであり、他の政治批評一般、政治思想に関するものは少ない。松本

    典久は無政府主義者の議論をユダヤ教のメシア思想になぞらえ、チョムスキーの議論には

    夢想的・幻想的という特徴があることを示唆し、それを否定的に捉えている。他に松本が

    触れているユダヤ性は、正義感、反権威主義が強い点や被害者意識などである。 本論文では、1. 無政府主義者チョムスキーの議論、特に理想的共同体のモデルに関する

    批評は夢想的・幻想的であるのかどうか、またさらに敷衍して、2. 中東問題以外の批評には彼のユダヤ的特性が反映されていないのか、という二つの問題について論究した。その

    際、彼が身を置いた米国及び米国のユダヤ文化の中から以下の三点、①思想形成期におけ

    る彼個人のユダヤ教信仰の特徴、②ニューヨーク(NY)のユダヤ人労働者の文化の影響、③ニューヨーク知識人との相違点に着目して分析を行った。またユダヤ的特性の反映を検証

    する際に、本論文では米国の知的文化の批評を中心に取り上げた。 第一章では、上述の着眼点から彼のユダヤ的特性の形成とその特徴を分析した。そして

    彼のユダヤ的特性として、①少数派としての性質(ユダヤ的な歴史観に由来すると思われる過去への執着と弱者への共感)、②「非ユダヤ的ユダヤ」性(「異端者」、「現実的な知識は『行動的』でなければならぬという思想」、普遍性の志向)、③ユダヤ系知識人としての特異性(大衆擁護、周縁性、理論よりも行動と実践を重視する姿勢)が導き出された。 第二章では、これらのユダヤ的特性が学校教育と大衆教育、知識人批判を中心とした知

    的文化に関する彼の批評にどのように反映されているかについて検証した。まず学校教育

    と大衆教育に関する批評に反権威主義、「異端者」、大衆への信頼、周縁性、理論よりも行

    動と実践を重視する姿勢というユダヤ的特性が反映されていることを示した。そして同様

    に知識人批判に関しては、預言者的な道徳的価値判断の重視、その判断基準の平等な適用

    つまり普遍性の志向、ユダヤ的な歴史観と符合する普遍的命題の繰り返しといったユダヤ

    的特性の反映を指摘した。 本論文では上述の問題 1.に対して、NY の労働者階級文化に対する言及から、彼がかつ

    ての NY のユダヤ人共同体をある種のモデルと考えていると想定し、もしそうならば彼の共同体をめぐる議論は「旧き良き」を思う、過去のものを夢見るという意味において「夢

    想的」なものであり、「幻想的」という特徴も、現実的な問題を解決し、より良い社会を構

    想するのに役立つという意味で肯定的に捉えられるという結論に至った。次に問題 2.について、米国の知的文化に関する彼の批評には、第一章で導き出されたユダヤ的特性が反映

    されているという結論を得た。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    七澤 光里 進化論裁判とアメリカ

    ―論争から考察するアメリカの未来―

    Charles Robert Darwin がヨーロッパで進化論を発表し、『種の起源』が公刊されてから

    100年が経過した今でも、人類の生命の起源と発展を追究する論争は人々の関心を呼ん

    でいる。1991年のギャラップ社の調査によると、47%のアメリカ人は未だに「神が一

    万年のある時点で我々人類をほぼ現在の形に作り上げた」と信じおり、進化論を巡っての

    争い・運動は長い年月に渡って社会全体を巻き込んでいる。本論文では、科学と宗教の関

    係はアメリカという国を形成する重要な要素であると仮定し、進化論裁判を詳しく見直す

    ことで、これからのアメリカの展望を、また科学と宗教のより良い関係について検討する。

    第一章では進化論を提唱したダーウィン自身の科学と宗教に対する姿勢と、ダーウィン

    が発表した進化論によってキリスト教が浸透している世の中にどのような反響が出たのか、

    アメリカの科学と宗教の二項対立の状況と、キリスト教原理主義を築き上げた背景につい

    て考察した。ダーウィンは幼い頃からのキリスト教信者であり、進化論を発表する際も古

    くから伝わる創造論と神の存在を否定し、人々の反発を買うものと危惧していた。第一次

    世界大戦を経験したアメリカの原理主義者は、文明の危機を感じ進化論を攻撃するように

    なった。その標的は一斉授業のスタイルで進化論を教授する教育の場に集中し、反進化論

    運動が活発化し始めた。

    第二章では進化論を巡って議論の白熱したスコープス裁判を、進化論と創造論それぞれ

    の立場で具体的に考察する。科学と宗教の軋轢を生んでしまった原因の一つに、科学の権

    威性と人との距離があったことが考えられる。また多くのマスメディアによってスコープ

    ス裁判の様子が伝えられたことによって、双方の対立がより強められたと思われる。

    第三章ではその後裁判の影響によってアメリカ社会で新たに起こった裁判と、創造論者

    たちの活動の変化を考察した。権威性を持つ科学に対して創造論者たちは創造論を進化論

    と同じく生物の時間に教えることを推進した。彼らが積極的にマスメディアを使用し、政

    治の場に介入する傾向を見せたのは、自らの信条を擁護するためであったと考えられる。

    また、第三の立場として、科学と宗教が融合した創造科学の存在が現れ始める。この立場

    は思想を創造論に依拠しながらも、創造論、進化論の双方と対立する姿勢を見せている。

    今後のアメリカの科学と宗教の関係に大きく関係する可能性を持っていると言える。

    終章では、進化論裁判の流れからアメリカの拠り所となっている宗教と科学を取り巻く

    環境と可能性を考察し、これからの社会の在り方についての展望をまとめた。科学と宗教

    の教育のスタイルを考え、お互いの領域に干渉しないよう努めることが、アメリカにとっ

    て最良であると結論づけた。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    原沢 萌 『トム・ブラウンの学校生活』研究 ―トマス・アーノルドの改革史的見方の付加―

    トマス・ヒューズの『トム・ブラウンの学校生活』Tom Brown’s Schooldays について、2 つの既存の見方が存在する。パブリック・スクールへの入学を控えた少年たちに対する「説教本」としての見方と、「悪童物語」の先駆けになったとする見方である。本論文では、こ

    れらの見方に加え、トマス・アーノルドが行った改革の再現を行っている作品とする視点

    を加えようと試みた。トマス・アーノルドが実際の校長時代にパブリック・スクールに対

    して抱いていた理想と、『トム・ブラウン』内に見られる秩序の回復の過程に焦点を当て、

    アーノルドの理想の実現が物語内でなされていることの証明を行った。 第 1 章では、オールド・ブルックとブラウン郷士に着目し、アーノルドの思想を正当化する人物として描かれていることを述べた。オールド・ブルックの言動は、アーノルドの

    改革を擁護しているだけでなく、他の生徒に対する影響力が大きい。このことから理想的

    な監督生として描かれているだけでなく、監督生制度がパブリック・スクールの運営にお

    いて必要不可欠であるという考えの流布に影響を与えたといえる。またブラウン郷士は、

    パブリック・スクールでの養成が期待される男子像の提示をする役割と、有産階級の絶対

    性を支持する考えを持った人物として描かれていることを指摘した。2 人の存在は、アーノルドが打ち立てた監督生制度とラグビー校に期待した、支配階級としての「クリスチャン・

    ジェントルマンの育成機関」としての役割の正当性を象徴していることを明らかにした。 続く第 2 章では、トムとジョージ・アーサーがラグビー校の改革者としての役割を担っていることを証明した。2 人は作中で、実際にアーノルドが校長として試みていた改革を代行している。それはラグビー校に「伝統」として根付く悪習の排除とキリスト教精神の植

    え付けである。アーノルドは在任中にこれらを達成できなかった一方で、トムとアーサー

    は数晩で成功を遂げていることを指摘し、『トム・ブラウン』がアーノルドの理想実現を代

    わりに担っている作品とする見方を示した。 第 3 章では、「悪」に染まった人物としてフラッシュマンとハリー・イーストを扱った。それぞれを暴力的な悪とパブリック・スクール生的な悪の象徴とみなし、ラグビー校の秩

    序の崩壊の一端を担う存在であったことを述べた。両者はアーノルドの理想からかけ離れ

    た人物であり、決してパブリック・スクール生としてふさわしい存在ではない。しかし、

    物語の進行と共に彼らの「悪」は放校もしくは更生という形で取り払われ、秩序の整えら

    れた学校の実現が行われている。アーノルドが理想としたパブリック・スクールにふさわ

    しくない存在は必ず作中から排除され、洗練された場所への移行が図られる構成となって

    いることを述べた。 これらのことから、『トム・ブラウン』の登場人物がアーノルドの思想に基づいた役割を

    担っていることを示し、アーノルドの改革成功を劇化した作品とする見方を明らかにした。

  • 卒業論文概要 新潟大学人文学部英米文化履修コース

    山岡 可歩 エリザベス・ギャスケル『メアリ・バートン』研究 ―拒絶する女性たち―

    エリザベス・ギャスケルの『メアリ・バートン』Mary Barton(1848)は、大きく「労

    働」と「恋愛」の 2 つのプロットに分かれる。労働のプロットにおける描写が高く評価され、この作品は「社会小説」であるとみなされているが、「社会小説」という枠にはめるこ

    とは、恋愛のプロットを十分に評価しているとは言えない。そこで、この作品における恋

    愛のプロットの重要性を示すことで、「社会小説」としてこの作品を評価することの危険性

    を主張した。本論文は、その危険性を示す方法として、恋愛のプロットに生きる女性登場

    人物の「拒絶」という共通した行動に注目した。拒絶の理由は、拒絶の対象が、その登場

    人物の存在意義を揺るがすからであると考えられるが、彼女たちは最終的に対象を受け入

    れる。この態度の変化から、この一連の行動が、彼女たちの存在意義に何らかの変化をも

    たらしていることについて論じた。 第 1 章では、「外面的なものを美しく見せること」を存在意義としていたメアリに注目し

    た。メアリは彼女に求婚するジェムを拒絶する。ジェムはメアリが求める、階級を超えた

    結婚や経済的余裕を叶えることができないからだ。しかし、ジェムがメアリの内面に働き

    かけることで、ジェムへの愛を自覚したメアリは、ジェムを受け入れるようになる。その

    結果、外面的なものにこだわらない女性、受動的ではなく能動的に行動する女性へと変化

    していることを指摘した。 第 2 章では、「自立し、他人のために行動すること」を存在意義としていたマーガレット

    に注目した。彼女は、誰かの重荷となって生きていくことを強いると考えられる「盲目に

    なること」を拒絶する。しかし盲目は、お針子の仕事や奉仕ができなくなるというマイナ

    ス要素だけでなく、新たな生き方が開けてくるなどプラス要素もマーガレットに与える。

    そこでマーガレットは、盲目が存在意義を保つことを阻害すれば拒絶し、阻害しなければ

    受け入れることがわかった。阻害する場合には、存在意義を実行する手段を、盲目であっ

    ても遂行できるものへと変化させることで、存在意義を保っていることを指摘した。 第 3 章では、「ジェムの母親であること」を存在意義としていたジェインに注目した。母

    親としての役割が妻に取って代わられることを恐れ、妻よりも母親を愛してほしいと願っ

    ていたジェインは、ジェムの妻になろうとするメアリを拒絶する。しかし、「メアリの母親」

    という新たな役割が与えられるとともに、メアリと共存しながらもジェムから愛され、母

    親として生きていけると知った瞬間、メアリを受け入れるようになる。メアリを受け入れ

    た後も、ジェインはジェムの母親として存在するため、その存在意義に変わりはないが、

    それを成り立たせる「母親の概念」が変化したことを指摘した。 このように、拒絶していた対象を受け入れるという一連の行動は、3 人の存在意義に何ら

    かの変化をもたらすものであることを実証した。さらに各章に、彼女たちの変化に対する

    ギャスケルの意図を見出すことで、恋愛のプロットを見逃すことは、作者の意図を見逃す

    ことでもあると指摘した。よってこの作品全体を評価するには、「社会小説」という枠の中

    では不十分であると結論づけた。

    平成23年度英米文化履修コース卒業論文概要表紙01池田真司02菊池美央03田中陽平04韮澤肇05山沢翼06五十嵐優美07板垣利沙08小川めぐみ09長部美里10川崎瞳11北村和貴12真水彩奈13白井まなみ14進藤みき15鈴木ちさと16武田奈緒17田中彩18長井宏憲19七澤光里20原沢萌21山岡可歩